―― 僕。音の無い世界で
そんな女性は、はじめてだった。
僕の価値観を塗り替えるような人。僕とは違った目で世界が見えている人。
次に出逢えたのも、始まりと終わりが判然としない。
いつの間にか、傍に彼女がいた。
僕は言った。やあ、また会えたね。今度は一緒に何を語り合おうか。
その声は、霧に吸い込まれるようにすぐにか細くなって消えていった。
彼女から返事はない。
口が動いているようだった、それでも、何も聴こえてこない。
ぼんやりとした輪郭が、わずかに細かい陰影を帯びてくる。
ようやくはっきりと彼女の口もとがみえた。
形のよい、少しふっくらとした桜色の唇、口の傍をかるく上げた容認のしるし。
―― いいよ、私も何も聴こえない、でも一緒に見ることはできそうだね。
そう言った、のだと思う。心に直接響いてくる想い。
高くもなく、低くもなく。
―― 行きましょう
彼女の差し伸べた白い指が僕の手をとる。初めての感触。圧迫感のないやわらかな包み方、それは僕が求めていたからだろうか。
僕はすんなりと、彼女に手を引かれて一緒に駆け出した。
茫洋とした乳白色の大気の中に、黒みがかった四角い何かが見え始めた。
堂々とした建物の外観、そして頂くは細い尖塔のついた丸屋根。丸屋根と、端に伸びた屋根の上に見えるのは、確かに十字架のようだ。曇ったような空の中、それは何かを導くようにくっきりと天を指していた。
温かい、何かに取り巻かれたようなモノクロームの世界の中、僕はその建物の前に佇む。
脇には彼女が寄り添うように立っている。音はなくとも、その存在だけは確かだった。
―― ここ、知ってる? 神田。
「もちろん、すぐに分かった。よく知ってたね、君」
―― おばあちゃんの家が近くにあったの、でもちょっと感じが違う。広々しているな、この辺り。でもあの建物はよく見たもの、あれは……
この建物は東京復活大聖堂……ニコライ堂。
しかしこれは本物のニコライ堂ではない。
描かれたものだ、松本竣介によって。
松本竣介は十三歳頃に罹った病気が元で聴覚を失う。
ほとんど聴こえない彼にとって、それから取り組んだ絵画創作というのはひとつの心のよりどころであっただろう。
おりしも、日本は殺伐たる大戦へと更に嵌り込んでいくところだった。個人は全て、国という全体のために奉仕すべきという論が至る所で声高に語られていた。
「君はもし、個人を捨てて組織に奉仕せよ、全体に埋没して歯車の一つと成れ、そう求められたらどう反応する?」
―― 考えられない。その時の時流に従うしかないのかな、私には家族もいるし、守っていかないとならないものが多いから、その日その日何とかしていくだけかも。貴方は?
僕にも分らない、その期に及んでの自分の反応は。ただ身をすくませて縮こまっているだけだろうか。怖いから。
心では受け入れられないと分かっているんだけれども、その求めを拒否した時にどうなってしまうのか……暗澹たる時代にはそんな不安を抱えていた人が結構多かったのだろうか。
―― ねえ、あの人を見て
彼女が指し示す方に、若い男が黙って立っていた。こちらに背中を向けていて、僕たちには全然気づいていないようだ。
黒っぽい服に身を包み、脚を軽く肩幅に開いている。素足にサンダル履きのようだ、そして両手を軽く握り、静かに前方の何かを見据えるように立ち尽くしている。
彼だ。
松本は、美術雑誌「みずゑ」に1941年に掲載された画家の戦争協力を説く座談会記事『国防国家と美術』に対して、事実上の反論となる『生きてゐる画家』という一文をやはり同紙に投稿、『新しい倫理の展開、人間精神の生成のために』描くことがまず重要である、と訴えた。
その後描かれた『立てる像』で風景の中に自らの像を表した時、人びとの多くは、彼のまっすぐな目線とその凛とした立ち姿に、反戦の意思と強い抵抗というメッセージを読みとった。
僕もずっとそう思っていた。厳しい向かい風の中に立つ、悲壮とも言える自画像だと。
彼の別作品「議事堂のある風景」にも、反戦や反体制のメッセージが込められている、という専門家もいる、僕もそう信じてきた。
しかし実は、そうではなかったのかも知れない。
―― あの人、何だか楽しそう。でもどことなく、哀しそうにもみえる
彼女の言いたいことがよく解らなかった。彼女も後ろ姿しか見ていないはずなのに。
どうしてそんなことが? ぼくの訝しげな表情は何かで読みとったらしく、彼女の口もとが優しく笑った。
―― 声も聴こえないし、姿もしっかり見えないけど、何だかここには不思議な味の風が吹いているもの。
そっと舌を出して、軽い風の流れを受け止めている。
同じように、僕も舌を出して風を味わってみた。
……甘い、そして少し塩辛い、潮風のような風味。それはあの佇む男の方から吹いている風だった。
彼女の白い腕が男の方へと伸ばされる。
―― それに輪郭が、微妙に揺れている。人も、あの聖堂も。
気づかなかった。
松本の絵は、比較的線が安定しているという思い込みがあったのだが、こうして絵の中に取り込まれるようにして対象を見据えていると、その輪郭線は緩やかにうねり、あるいはためらいながら全体の像を結んでいる。
実は彼は、やはり色々と迷っていたのではないのだろうか。
そして絵筆をはしらせる中、やはり、好きなことは好きなのだ、気持ちの赴くままに描きたい、しかし本当にこう進むしかないのだろうか、様々な思いが沈黙の世界の中でせめぎ合っていたのではないのか。
しかし迷いの多い線でありながら、それらは構図の中に明確でしっかりした形を結び、彼の静かなる決意として確固たるフォルムを作りだしている。
―― 時代は変わっても、私たちは同じなんだね。
続けて、彼女のこころが聴こえてくる。
いつの世となっても、悩みや迷いで震えながらそれでも我々は粛々とものごとを形作っていくのだ、と。
時にはそれを楽しみ、それで苦しみながらも。
出来上がっていくものの揺ぎ無さを、僕たちは互いに、静寂の中で感じ取っていた。