―― 私。 普遍性に置かれた対角線
モンドリアンの話は刺激的だった。
彼は言った。宇宙を統べるバランスを目指し、己の作品を普遍性という高みに昇華させた、と。それはモンドリアンの事だったのだろうけど、私には、まるで他人事ではなかった。
私には作品と呼べるものはない。強いて言えばこの家庭、そして成長しつつある子どもたち。それは私が創り上げ、育んできたものだ。しかしそれは普遍性とは対極にある。あくまでも個人に終始したものごとの寄せ集め。具体的なものごとをまとめてひとつのくくりとして見ているだけに過ぎない。しかしその世界がずっと当たり前だと思っていた。いや、当たり前の、揺るぎない世界だと捉えていなければならなかった。
私にとって、普遍性とは何だろうか?
家庭が普遍性という価値を持ち得ないのならば、私はどこに自分の価値を求めればいいのだろうか。
彼は私の心、あわただしく見えて実は平穏な水面に鋭い一石を投じた。
彼は私の対角線だ。
今まで信じていた雑多なる日常という水平垂直の世界に、鋭い斜めの線を投げかけてきたのだ。
モンドリアンにとってそれが不協和音だったように、私にはそれがありふれた和音の中に生じた信じられないほどの歪みだった。
自分にとっての普遍性を信じて疑わなかった対象への、初めての疑念。
それを否定することは、私にはどうしてもできない。あまりにも、その疑念は魅惑に満ちていたから。
見失っていた何かを見つけるための鍵、どこかにあるはずの。
その存在を教えてくれたのは彼。
でも、彼の名前すら知らない。
いつから、私のそばに現れたのかも。