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出あうことのない二人、出逢う  作者: 柿ノ木コジロー
第6章 ダイアローグ
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―― 私と僕

―― 済んだよ。見てくれていたかい? 僕はここまで来た。ようやくほんとうに君の前に立てる。


 懐かしい声。ずっと、語りあっていた静かな、優しい声。

 そしてその姿も。


 初めてではない、もちろん。

 私たちは夢の中でずっと、出あうことなく出逢ってきたのだから。


―― 僕は直接伝える、君に。そうして、これと共に君に与える、僕の想いの全てを。

 でもその前に、君から何か、言いたいことはない?


「そうね……それでは聞いてちょうだい」


 私はようやく目をひらく。白い天井に向かい、息を整えてから語りかけた、彼の姿を見ることなく、ただ、その心に向かって。


「ポロックの作品を解釈した時にはっきりと悟った。

 貴方は決して、最後のさいごまで満足することがない。人生の終わりの時まで。

 例え私に会えたとしても、そして、むさぼるように会話を重ねたとしても、更に私の身体を抱いたとしても。

 最高潮に達したその刹那にも、貴方はすでに更なる充足について思いを巡らせているだろう。

 ベッドから跳ね起きて、こう言うだろうか。

『ありがとう、すごく良かったよ』

 それとも黙って去っていくだろうか。

 次にいつ会おう? そう問うのだろうか。


 もちろん、どんどん深みにはまっていくということはあるかもしれない、でもそんな逢瀬は何の実も結ばない。

 貴方は私との出逢いを意味のあるものと考えてくれるだろうが、唯一無二のものだとは、決して感じてはくれないから。


 束の間の愛に理屈なぞ必要ないと言うだろう。

 もちろん、私だって貴方に逢いたい、もっともっと会話をしたい、貴方の身も心も知り尽したい、私も貪欲な女だから。単に快感を共有するというのも十分魅惑的だ。今まで築いてきたものを壊すのにも、何ら躊躇いはない。


 それでも、貴方を全力で遠ざけたいという気持ちも真実。

 貴方の中に底無しの虚無をみてしまったから。重ねた末の空白を。

 貴方は死。貴方は虚無。貴方は求めることが強すぎて、相手の全てをむさぼる。感情や感覚の全てを相手から奪い尽し、それを自らの心の暗闇に吸い込ませて、しかも何の痕跡も残さない。


 意図しているわけではないのは、よく分かっている。

 でもそれが貴方の本質。



 泣いているの?」



―― 後悔はしているんだ。



「それでも言えるの? 私に」


―― ああ、是非、言いたい。例え後悔を重ねることになっても。


「本気で思っている?」


―― ああ、本気だ。


 もちろん君は僕の本質を見抜いている。

 僕は今まで気づかないふりをして生きていたんだ。でも、今そうして面と向かって告げられたことばは深く心に刺さった。


 僕は他人から奪うだけ、そしてそれを全然活かすことなく次から次へと虚無の穴へ吸い込ませていく。


 僕は成長することがない、いつまでたっても欠落したピースは埋まらない。ポロックがドリップを重ねて重ねて、どんなに重ねても多分満足できなかったように、作風の転換に迷い将来に行き詰まり、自分のキャンバス同様、どこで終わりとするのか見失ってしまったように、気づいたら、虚無の穴をぽっかりと開けてしまったように。


 例え、君とむすばれても、僕は変わらないだろう。


 それでも言いたい、言わずにはいられないんだ。



「それを聞いたら、貴方は最後になってしまう気がする。それでもいいの?」


―― いいんだ。むしろ僕はこれで終わりにしたい。小絵、君は?


「今となっては、聞いたとしても、多分何も変わらないでしょう。

 夫のこころからの呼びかけを聞けたから。

 私もそう。前々から感じてはいた、それでもことばで聴く事によって、私はすんなりと彼のおぼつかないけどまっすぐな想いを受け入れることができた。何の小説だったろう、愛とは愛してくれる相手を心から受け入れることだと。そして息子と娘の涙。ことばより雄弁に、それは私のこころを濡らした。

 卑怯だと言われようと仕方がない。私はやはり、彼らを心から愛している。

 夢の中で彼らを失った時、ようやく気づいた。遅すぎる?」


―― だいじょうぶ。君が望むだろうと思ったものを、見せただけだから。

 では君の結論は。 


「私は……今まで通り生きることにします。


 愛とは複層的なもの、それはキャンバスの上に次々と重ねた色のよう。貴方はポロックの絵の中に無意味な重なりを見たたのかも知れないけれど、私はそこに創り上げられていく人生の重みを感じた。貴方への想いは持ち続けたままでも、私は生きていける、更にドリップが重ねられた、そのキャンバスを心のアトリエに拡げたままで」


―― だったら尚更よかった。君まで虚無に落としたら、と心配したよ。


「……貴方はどうするの、これから」


―― 今までの仕事は、何も生み出すことはしなかった。ぐうぜん知人から頼まれた配送がなかったら、君の住む街に来る機会はなかったし、あの店に立ち寄らなかったら、倒れていた君を見かけることもなかっただろう。

 運命を、感じた。君をみた瞬間に。


 僕はあまりにも、君を深く想い過ぎた。僕は君にことばを告げてから、この同じナイフで刺してやるつもりだった。

 そうして僕も全てをお終いにしよう、と。


「うん、さっき見た光景みたいにね」


―― でも少しだけ、気持ちは変わったんだ。

 なぜなのか分からない、でも急に、君と対話をするうちに、こんなことを思ったよ。



 僕は生き続け、そして絵を描いてみようか、と。


 君の名のように、小さな絵を。どんな場所にでもしっくりとなじみ、その人だけに分かることばで愛を呟き続けるような、これから出逢う人たちに与えていけるような、心安らぐ小さな絵をたくさん。


 できるかどうかは不安だけれども、君という存在を知って僕は何かが変えられる気がしてきた。


 小絵、君は僕にとっての大切な小さな絵だ。

 しかしそれが本来存在する場所は僕の部屋ではない。

 もっと、他の人たちが暮らしている大きな温かい部屋の中のようだ。僕はそれをこの目で見る事ができただけで幸せだった。

 そしてようやく解ったんだ、それを切り裂く権利は僕にはない、と。


 いつまでもその想いを持ち続けることができるか……それは判らない。


 でも今、君の絵を心に刻んだ。

 複製でいいんだ。ずっと心の壁に掲げていようとおもう。


 一度だけ口にしてくれ。その絵の裏側に記すことばを。 


「ならば、あなたも言ってくれる?

 私たちにとって最後のひとことを」

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