―― 私。午後9時過ぎ
何人ものうつくしい女性の顔が次々と私の脳裏に浮かんだ。見たこともない人たち。
貴女は誰? たぶん、今まで彼がつき合ってきたひとたちなのだろう。ミサキさんもいるだろうし、愛呼というひとも。
どの目も同じ光をたたえていた。哀しみの湖、という本のタイトルをふと思い出した、友だちに借りたハーレクインロマンスだったような気がする、内容は全然、覚えていない、しかしその本のタイトルだけがいつまでも記憶の中に生き残ってしまった。
哀しみの湖、彼女たちの瞳の中にうつる景色。自分を憐れんでいるのだろうか、それとも真実の愛にたどり着けない彼を哀れに思っているのか、それとも、お互い幸せになれそうもない恋の不始末を嘆いているのか。
眉の濃い、エキゾチックな顔立ちの人がふいに目の前に現れた。これは絵? それとも本物の女性? 民族衣装のような左肩から布を垂らした美しいドレスを身にまとい、髪を高く結い上げている。私たちは見つめ合う。
―― 身体中が痛い、酒に頼っても、強い薬を使っても。それ以上にこころが痛い。
彼女の、彼女たちの痛みが今、同じように私の中に流れ込んでいく。
同じ痛みを共有するものたちは、視線で多くを伝えあう。
その中のひとりが、私にまっすぐ向いてこう言った。
―― あなたの話を聞かせて。あなたは誰?
私は語りだす。
「私の名は小絵。父が名付けてくれた」
―― 小絵、お前は小さな絵のように在りますように、と。場所をとらずどこにでも収まり、そこで出逢うひとびとを束の間でも癒すことができるように。どんなに小さな作品であろうと、ある時には大きな感動をもたらすこともある。父さんは昔どこかの美術館でとても小さな絵をみてね、今もそれが目に焼き付いているんだ。
聞いた時には少しむっとした。私はニンゲンであって、人からじろじろ見られるようなモノではないのだから、と。
でもあとになって、急に思い出す。
父は仕立て屋の店をかまえていた。そのこじんまりとした仕事場、作業台の脇に額に入った絵ハガキがあった。ふわりとした優しい色と淡く溶けてしまいそうな輪郭、慈しみに満ちた笑顔の中、瞳だけいたずらっぽく煌めいている。
誰の絵なの、聞いたら、ルノワールだと教えてくれた。芸術などにはほとんど興味のない人だと思っていた。
家を取り壊す際に、その絵をまず外した。額を取り落として壊してしまい、私はあわてて中のハガキを拾い上げた。ひっくり返すと、黄ばんだ中にブルーブラックのインキ文字が細やかな几帳面さをみせて並んでいた。
母から父へ宛てた手紙だった。
まだ結婚していなかった、もっと若い学生の頃の。
『先輩、先日は誘っていただいてありがとうございました。
この絵をじっと観ていましたね。画集は高くて買えないので、せめて御礼に絵ハガキでも、と思いお送りしました。
ルノワール展、よかったですね。ぜんぜん絵のことは分らないですが、とても優しい気持ちになれました。ではまた学校で。
追伸 私のこと、これからは「のり弁」と呼ばないでくださね!! 範子』
父はあの絵のことを、ずっと思っていたのだろうか。
優しく甘やかな空気を醸し出す、ひとに満ち足りた気持ちを与えるものとして、小さな絵を愛していたのだろうか。
それはひとつの愛のかたち。
私はしかし、フリーダの焼けつくような痛みの視線に晒されて悟った。
愛を表す方法は一つだけではない、と。
技法の数だけ、思いを抱える作者の数だけ人びとの前に掲げられる絵には、違う愛がこめられるのだ、と。
あまたの技法を知ることで、どれかを選ぶことができる。
私は何を選ぶ?
穏やかに細やかに、甘く流れる愛?
コントラストの明確な、光と影との際立つ激しい愛?
それとも。
……暗い。
今は眠りたい。
暗い。




