―― 僕。視線は刺し貫く
リベラのように、僕はたくさんの女性を愛した。しかしリベラのように
「生涯のほんとうの愛はただ一つ、フリーダに捧げたもの」
とは言えなかった。
仕事である程度の成功をおさめたら早めに引退して、あとはどこか治安のいい海外に土地を買ってそこでずっと絵を描いて暮らしていこうと思っていた――それまでには、結婚くらいならばいいだろうという女性には巡り会えるだろうし、もしかしたら運命の女性を見つけることだってあるかも知れないし。
愛呼に死なれてから、僕は会社に居づらくなった。
決して誰も、表だって非難する者のはいなかった。ミサキでさえ、恋人ではなくなったものの社内では変わりなく声をかけてきた。
しかし、どこかでいつも誰かが後ろ指を指しているような感覚が僕にまとわりついていた。
周りの目が気になる、そんなことはかつてなかったはずなのに、僕はだんだんと追いつめられていった。
メキシコの絵画をやろう、キュビズム、メキシコ壁画運動やその後のシュルレアリスムとの関連など歴史的要素を絡めて、企画からそう言われてあまりなじみのない画集を借りてきた。そもそもシケイロスやリベラなどの描いた『革命から生まれた民衆の為の壁画』など、政治的なメッセージに満ちたものは僕の趣味ではなかった。リベラなどは失脚後のトロツキーとも親交があった、という所も単に重苦しいだけな感じがしていた。僕は機械的にその画集をめくっていく。
とある頁で僕の手は止まった。
フリーダ・カーロの黒い瞳が真直ぐに僕を見つめていた。
心の奥底まで、僕の自我の中心をぐさりと刺し貫くように。
それまで罪悪感というものは少しも抱いていなかった、愛呼は勝手に死んだのだ、妊娠だって妄想に過ぎなかった、恋愛がこじれて死を選んだのは、何も全世界で彼女が初めてという訳ではない、その程度に捉えようとしていた。
フリーダの目は、そんな僕をはげしく断罪していた。
彼女自身は許していたはずだ、パートナーであるディエゴ・リベロの女性遍歴を。でなければ再婚をする訳がない。第一、最初に若いフリーダが彼に「ここに降りてきて、話を聞いて下さい、私の絵をみて」と声をかけた時、既にその巨匠は既婚者だった。その後の結婚生活も波瀾万丈だった。しかし、ふたりはお互いに深く愛し合い想いあっていたからこそ、どこの誰と浮名を流そうと、最後にはまた結びついたのだ。しかもお互いの作品に対して崇拝にも近い敬意を表していた。
僕は愛呼のことを、ずっと理解していた、理解してると思っていた。
有能な社長秘書、誰に対しても物おじせず、しかも、芸術に対しても造詣が深かった。
そして、僕のことを十分理解してくれていた、と。
フリーダの視線を浴びた瞬間、僕は自分こそが大莫迦ものだと悟った。
理屈だけで他人が分かると思っていた、理論だけで芸術は語れると思っていた自分。今まで軽視していた感覚に、急に足元を掬われたような衝撃を受け、震えるしかない自分、フリーダは時を超えて、僕を糾弾した。ディエゴも許した訳ではない、激しい愛と尊敬に値する人物……しかし身体全体の切り裂かれるような苦痛の幾分かは、確かに存分に彼から受けていた責め苦にも原因があるのだ、と。理論では割り切れない、本能としての痛み。
絶望に直結した苦しみ。貴方にも感じられる?
画集を取り落とし、僕は叫んだ、声にならない声で。
高価な本を何するんだ、そう言いかけて企画部長は僕のただならぬ様子に気づき、言葉を飲み込んだ。普段沈着冷静な僕が、すっかり取り乱して半狂乱になった姿は、彼にもかなりのショックだったようだ。
それから数日もしないうちに、僕は辞表を出した。誰も引きとめなかった。




