(7)『文芸部』
放課後――。
木曜日だということで文芸部の部室だという………………ここ?
「ていうかウチの学校……文芸部なんてあったっけ……?」
旧第2資料室。
最近新設された部室棟に次々移されていく他の部活動の流れに逆らう、もとい流れから取り残される形で旧校舎の奥の奥にひっそりとたたずむお化け屋敷さながらのボロボロの引き戸の前に立って、俺は嘆息を繰り返していた。
俺の意識では、自分は帰宅部だったはずなのである。
それが何故こんな廃墟みたいな出で立ちの部室で名前すら知らなかった蓮池奏先輩とたった2人で全く興味もない文芸部を営んでいる(ということになっている)のだろうか。
とりあえずお金を返さねばならない、と仕方なく引き戸に手をかける。
ガッ。
開かない。少しだけ光の筋ができる程度開いたところで止まってしまう。
いやいや、既に開いてはいないだろう、これは。
(立て付けが悪いのか?)
ガッ、ガンッ!
反動をつけてさらに強く横に引くと――バキッ!
やりすぎた感あふれる音がして、ガラガラ――――!
扉が、開いた。
「いらっしゃい、麻倉陽人くん」
まるで待ちかねていたかのように両手を広げ、椅子に腰掛けている蓮池奏先輩がそこにいた。
「あ、あの……」
「どうしたの? 私のこと、思い出した?」
思い、出した……!?
「あの! 思い出した、ってどういうことですか!?」
思わず蓮池先輩に詰め寄り、その肩を掴んで問い質していた。
先輩は不思議そうに首を傾げると、揺れる前髪の下からじっと見上げてきた。
そしてその両肩を掴む俺の手にチラチラッと視線を向けると、制服の袖から指先だけを覗かせた手を俺の右手に添え、
「陽人くん……痛い……」
そう弱々しい声で告げてきた。
「あ、す、すみません……」
慌てて手を離すと、先輩は「大丈夫」と言って椅子から立ち上がった。
(背、低い……)
一瞬浮かんだそんな感想を頭を振って、追い払う。今はどうでもいいことだ。
「先輩、思い出すとかってどういう意味ですか……?」
「そのままの意味。昨日は、私のことを憶えてないみたいだったから。変だね。何かあったの……?」
再び首を傾げた先輩から目を逸らし、一瞬話すかどうか迷う。
ただ話しても信じてもらえないだろう。
俺の周りで起こった、俺だけが自覚している現象はそれだけ突拍子も無さすぎる。今ですら夢だって可能性の方が高いと思っているくらいなのだ。
「……いえ、何でもないです」
言うのを諦めた。
どうしたって説得力のある説明ができる自信がなかったのだ。
「先輩、400円返します。ありがとうございました」
さりげなく新しい話題に転換させつつ財布を取り出し、中から100円玉4枚を蓮池先輩に差し出す。
「うん、どういたしまして。でも、私が渡した100円玉は貸したままにしておくね」
とその中から4枚を小さな白い指がつまみ上げた。直後、1枚を俺の手のひらに戻してくる。そして、開いたままだった俺の財布の中の硬貨の1枚を指差し、
「これ。絶対に使わないで。肌身離さず持ってて、約束」
と、その100円玉を俺の胸ポケットに移し変えた。意味がまったくわからない。
「そういえば昨日もそんなこといってましたよね……。どうしてですか?」
「……どうしても」
理由はわからないが、どうしても俺のところにこの100円玉を残したいらしいな。
しかもかなり真剣に。
ここで先輩とこんなワケのわからないことで揉めるのも嫌だし。些細なことだから大人しく従っとくか。
財布をしまうと、ちゃんとそれを了承と見做してくれたようで、先輩も3枚の100円玉をブレザーの胸ポケット・腰の左右ポケットと3ヶ所に分けて仕舞う。
何故だ……。
「ところで陽人くん」
「何ですか?」
「ついさっき壊れちゃった部室の鍵はどうすればいいのかわかる?」
私もこんなこと初めてだから、と続ける先輩をよそに扉の方を振り返った俺は顔面蒼白で惨劇を確認する。
さっきのは戸の立て付けが悪いわけじゃなく、鍵が古くてガタがきていただけらしい。そこに俺がむちゃくちゃな力をかけたせいで施錠部分がへし折れたのだ。
「……はぁ」
こんな経験は俺も初めてだが(と言うか経験するヤツの方が圧倒的に少ないはずだ)、とりあえず先生に知らせるのが一般的な対応だろうと推測できる。
「仕方ないか……。俺のせいだし」
俺はガックリと肩を落とし、部室を後にしたのだった。
振り返ると、無言で小さい手を振ってくる笑顔の先輩が眩しかった。
夕焼けの後光で。
「そんなお疲れモードでどしたの、ヒト」
職員室前でクロスレイブンこと黒巣礼文とばったりエンカウントした。
「よう、黒巣……。部室の鍵を粉砕したらどうすればいいと思う?」
「え? ナニ、あの鍵ついに壊れたの?」
前々から危惧はされていたらしい。
「とりあえず担任……は使えないから、事務の人に聞いてみたら? 今はたぶん南校舎の1階の廊下にいたよ。鞍志麻先輩が派手にスッ転んで歪んだドアの修繕してるんだって」
どうしてお前が3年生の校舎の現状知ってるのかな、クロスレイブン。
「そっか。さんきゅ」
「ユアウェル!」
「それを略すなよ」
確かに『奇妙な人間関係』のことさえ除けば、俺は元気だけどさ。
「んじゃーねー♪」
手を振って、ぱたぱたと駆けていく礼文の後ろ姿を見送っていると、
「おい、クロス――」
「――レイブンとちゃうわー!」
職員室の別の戸が開いて、ちょうど出てきた数学担当の七界先生に呼び止められてる。
「今週お前の家に行くからな」
「にぇ!? にゃんで!?」
「1学期末のテストから0点を取った生徒は誰だったかな?」
「アレはテスト時間寝落ちして――」
「答えたところは全問不正解っと」
「あたっ」
黒いのの平たい面で1発頭に貰った礼文は頭を押さえると、
「ちくしょー、2学期は100点とってやるかんなーっ!」
反骨精神と向学心に満ち溢れた、素晴らしい捨て台詞を残して逃げていった。
今や退廃傾向にある模範的な生徒だな。先生なんか思わず『はっはっは』なんて爽やかに笑ってるし。
「っと、とりあえず俺は……」
「どうした、麻倉。職員室に用か?」
南校舎の1階にいるという事務員さんのところに向かおうとした途端、俺まで七界先生に声をかけられた。
「あ、いえ。部室の鍵を壊しちゃって」
「部室の? 何部だ?」
「えっと……文芸部です」
「文芸部……? あぁ、蓮池の文芸部か」
ウチの文芸部には枕詞が付くらしいと思ったが、考え直すと先輩の名字だった。
「それで事務員の人に頼めないかと……」
「桶狭間さんにか? やめておけ。お前ら生徒じゃ会っただけで呑まれるぞ。間接で頼むにしても長篠先生か屋島先生に頼まないといけないし……。湊川先生も大丈夫だったか」
事務員とその3人の先生、いったいどんな人なんですか……?
「今から俺が交換してやるよ」
「えっ?」
一瞬迷った感情がバレたのだろうか、七界先生は、
「もう帰るだけだったし、気にするな」
笑いながらフォローする。
そして『道具をとってくるから先に行ってろ』と職員室に入ろうとした七界先生は、振り返って補足するように、
「代わりにひとつ頼みを聞いてくれ」
……頼み?