(6)『2日目の衝撃』
「起きて、バカ兄ッ!」
妹よ、昨日と兄に対する呼称が変わってはいまいか。
そんなツッコミを心中で返しながら目を覚ますと、『俺の知らない妹』麻倉ヒノが俺の腹の上にいた。
どうりで息苦しかったはずだ。
想像してほしい。寝起きに妹に乗っかられる。そんな想像を――――。
――――しただろうか。
少なからずそれをいいと考える者もいるだろうが、まず断言しておこう。
実際のところはただ重いだけ、なんて言うつもりはまったくない。
確かに重いし息苦しいから早くどいていただきたいのだが、言いたいのはそこではない。
多く想像されたであろう上にまたがられる構図――――
――――ではないのだ。
ヒノは今、俺の腹の上で横を向いて座り、あろうことか足を組んでいたのだ。そのせいか重心が傾き、お腹のウィークポイントに的確に食い込んでいる。
「ヒノ、頼むからすぐにどいて……!」
「ちゃんと起きたならそれでよーし。もう朝ごはん出来てるよっ」
一度身体を引いて、その反動でひょいっとベッドから飛び降りるヒノ。
その重みをまたしても腹に受けた俺がベッドの上で転げ回っている間に、ヒノはどたどたと激しい足音を轟かせながら階段を下りていった。
(妹ってこんな感じなのか……?)
色々と残念な現実を思い知りつつベッドからようやく起き上がると、ぼんやりと昨日の朝から夕方を経て夜にかけてのコトをひとつひとつ思い出していく。
未だに信じられないけれど、確かに存在しているらしいな。俺の知らない関係者が――。
「は……ははは……」
そして昨晩、奇跡が家に帰り、妹が部屋(俺の意識では隣室は空き部屋だったはずなのだが)に戻った大変なものを発見してしまったことまでを思い出し、思わず乾いた笑いを漏らす。
そして机の上の充電器にかけてあった携帯を手に取り、開く。
寝る直前、人間関係といえば――という考えを元に電話帳を確認したところ、たったひとつだけ初めて見る名前があったのだ。
その名前は『黒川天使』。
最初どころか今ですら人名かどうか疑わしい。
何故かこの人専用に受信メールボックスが分けられていたのだが、怖くて開くことが出来なかったのだった。
「お兄ちゃ~ん? 早くご飯食べないと食べちゃうよ~」
(2人分!?)
「朝練前にがっつり食べちゃうぞ~」
「お前、吐くぞ!?」
第一印象通り運動部に所属しているらしい妹と朝っぱらから一軒家の1階と2階で大声で話すという近所で目立つ行動――後々後悔することになるのは自明の理である。
1階に降りてリビングに入ると、ちょうどヒノが俺の領土を侵略しているところだった。
「おかーさん、お兄ちゃん来たよ」
などと俺のミニトマトを口に放り込んだヒノがカウンターキッチンの向こうで食器を洗っている母さんに間延びしたような能天気ボイスで言うと、
「今食べてるのすぐに隠しなさい。食べてないって誤魔化し通すのよ」
確かに遺伝を感じさせるような同じ調子の声でそんな風に返ってくる。
「うん、わかったー」
とさらにもう1つぱくり。
(え゛……? 共犯?)
息子の、そして兄の貴重な栄養をなんだと思ってるんだよ。
ミニトマトと言えばビタミンAβカロテン。皮膚や粘膜を丈夫にして病気への抵抗力を高める栄養素なんだっ。風邪でもひいたら2人のせいだからなっ。
と言いたいことを心に収めて、カロリーで言えば既に半分ぐらいであろうその朝食をそれ以上の侵攻から守ったのだった。
予鈴に悠々間に合うように家を出た俺は、道標高校までの通学路を歩いていた。
「結局ヒトの記憶が消えたのってどういうことなんだろうね。お母さんとかに相談してみた?」
そんなことを切り出してきたのは、さも当然のごとく隣を歩く、『俺の知らない幼馴染み』神凪奇跡さんである。
「こんな馬鹿なこと相談できるか」
「まあ、普通ないよね……。特に関係が深いはずの妹と幼なじみのことだけ完全に忘れるなんて……」
そう言いつつ、しらけムードのジトーッとした目を向けてくる奇跡。
「普通じゃないよね」
「そういう言い方はやめてくれないかな……。俺もそのせいでヘコんでんだから」
ああ、普通じゃない。
なんでこんなに普通じゃないんだ。
俺自身が普通(であると信じている)、ただの一般人なのに周りが普通じゃない。
「どうしてこうなった……」
俺の切実な呟きに、奇跡は怪訝な表情を浮かべるだけだった。
教室――。
奇跡と俺が前後に席につくと、それに気づいて立ち上がった礼文がタタタッと席に駆け寄ってきて、
「おは「よぅ、クロス」レイブンじゃないからぁーッ!」
さりげなく台詞が噛み合って1つにも聞こえるが、まったく狙って言ったわけではない。それは俺の机の天板をダダンダンダダンと両手で打ち鳴らす礼文を見てもわかるだろう。相変わらず朝から元気だな、黒巣礼文。さりげなくターミネーターのテーマをビートしてる。
ダダンダンダダン、ダダンダンダダン、ダダダッ、ダンッダンッダッ。ダダンダンダダン、ダダンダンダダン。
うるさい。
「おはよう、黒巣さん」
「うん、おはよー。神凪ちゃんもそっちで呼んでくれるから好きー」
ビートを止めた途端、ううう~と涙を流して奇跡の手を取りうんうんと何度も頷く礼文。奇跡も奇跡で礼文の肩をポンポンと慰めるように叩いている。
それなりに仲よさそうに見えるのになんで名字で呼び合ってるんだろうか。
「ヒトと神凪ちゃん、今日は2人で来たの? 途中で会ったの?」
「家の前で待ち伏せされたんだよ……」
「待ち伏せって何よ。ヒトが部屋出るのが見えたから私も出ただけじゃない。偶然よ、ぐ・う・ぜ・ん」
「はいはい……」
ヘソ曲げたようにそっぽを向く奇跡は、容姿に似合わず子供っぽい。
「転んでもただでは起きないね、神凪ちゃんも」
「別にいいでしょー、今の内くらい」
奇跡と礼文が何かよくわからない話をしてるな。ガールズトークってヤツかな?
ガラララッ。
「よーっしお前ら、席座れー。そこ誰だ、クロスレイブンか。とっとと動けー」
「黒巣やっちゅーに!」
入ってくるなり地雷をわざわざ踏んだ教師に不憫なツッコミを返しつつ、礼文は唇を尖らせて席に戻っていく。
「欠席とんぞー。伊藤と乃木坂以外に欠席してるヤツいたら返事しろー、いないなー? 書いちゃうぞー、よし書いたからなー」
仕事しろ、不良教師。欠席してるヤツが返事できるわけないだろ。
ちなみにイトウとノギサカというのはウチのクラスに2人いる引きこもり生徒の名字だ。たぶん。
「おーし、ST終わりだぞー。俺ぁちゃんとやったからなー。教頭にチクったりすんなよー。出欠簿さえ出せば誤魔化せんだから協力しろよー」
……おい。
来て1分も経たない内に担任が帰っていった教室に再び喧騒が戻ってくる。
「さて、と……」
「あれ? 何処か行くの、ヒトー」
出鼻をくじかれるように、意外と目ざとい奇跡に呼び止められた。
「あ、うん。ちょっと2年D組に」
「上級生じゃない。どうかしたの?」
「えっと……」
ポケットから折り畳まれたメモ代わりのノートの切れ端を出し、開く。
「蓮池奏先輩にお金を借りたんだよ。3……400円」
そう言って顔を上げると、奇跡がポカンとしていた。
「……今日は木曜日だし、放課後でいいんじゃないの?」
「え?」
その次の瞬間、俺は信じられない言葉を聞いた。
「蓮池先輩って文芸部の先輩でしょ?」
……………………なんだって……?