(5)『妹!?』
少し遅くなりました~。
黒巣の言った通り、神凪は校門のところに立っていた。
ただし、遠目にも不機嫌が見てとれる。
ST直後から待っているのなら既に30分経っている。そんな時間まで喧嘩したばかりの奴を待っているなんて、妙に律儀な奴だ。できれば関わりたくないぐらい怖い。うつむいたまま門柱にもたれているような、ドラマでよく見るような光景だが、空気がピリピリするような感覚に思わず身がすくむ。
「……神凪」
聞こえてなければいいのにと思いつつ、声をかける。その本心が伝わったのか、声が小さくなってしまう。
しかし、人通りの少ない静かな夕暮れ時、5メートル離れているかいないかといったところから発した声が届かないわけがなく、神凪は俺の方に振り向いた。
「待ったか?」
どう言えばいいのかわからなかったというのが本音だが、思った以上に現状を受け入れたような言葉になってしまった。
「に、20分くらい……だけ」
夕焼けに少し頬を赤らめて躊躇いがちにそう言った神凪は、喧嘩しているにもかかわらず何故かとても嬉しそうに見えた。
「なぁ神凪」
先に立って歩き始めた神凪を呼び止めると、彼女は立ち止まり、そして振り向いた。
「ごめん」
「え!? ヒト……急にどうしたの?」
それはこっちの台詞じゃないかと。とは言え、これ以上は絶対に目立ちたくない。
よくわからないことになってるのは何となくわかる。だからそれだけは確認しておきたい。
ただこのままだと自分がついていけない。
「……とりあえず帰ろっか」
俺の沈黙をどう受け取ったのか、神凪は曖昧に微笑んで再び先に立って歩き出した。
俺は帰り道にある公園で、神凪と隣り合うようにブランコに腰かけていた。
「何それ? 私は笑えばいいの?」
なんて酷いことを。
公園のブランコなんてシチュエーションはもっとわかりやすく起こるものだと思ってたんだけどな。
「……私のことを知らないなんて信じられない……あんな約束までしたのに……」
「え? 今なんて……?」
「何でもないっ!」
神凪は子供のように頬を膨らませると、ブランコから跳ねるように立ち上がった。そして、その場でくるっと身を翻した。
「今からヒトの家に行ってもいい?」
「えっ!?」
「そんなにびっくりすることないじゃない。なんでかヒトは覚えてないみたいだけど、私たちは……コホン、その……幼なじみなんだし」
ああ、そうか。
そういえばそうだった、らしいな。
「行ってもいい……かな?」
不安そうに俺に目線を合わせてくる。
神凪は何をそこまで不安がってるんだろう。例えそういう関係じゃなかったとしても、女子にこんなこと言われて断る男子高校生がいるだろうか、なんて馬鹿な思考回路に見切りをつけて切り捨てる。
俺の現実がかかってるんだから真面目に考えないといけないんだ。
「ヒト……どうかした?」
気がつくと、神凪は心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「あ、いや。何でもない。奇跡ならたぶん大丈夫だよ……その、来ても」
神凪はきょとんとして目を丸くした。
「奇跡……?」
神凪は訝しげな視線を俺に送りつつ、窺うように呟いた。
「あれ、違ったか? 神凪奇跡だよな。幼なじみだから名前の方がいいのかなって思ったんだけど……すまん神凪」
「あ、ううん。違うの。奇跡であってる。久しぶりだったからビックリしただけ」
「久しぶり……?」
「あ、えっと……ヒトってば中二になった頃から、私のこと『奇跡』って名前じゃなくて、『神凪』って呼ぶようになったから……」
何故かしょんぼりするようにうなだれた神凪は急にバッと顔を上げると、慌てたように両手を胸の前で振って、
「あ、でも! その……! わ、私はどっちでもいいから!!」
「……奇跡はどっちがいいんだ?」
ボッ!
目の前で神凪が夕焼けの中でもはっきりわかるくらい赤面した。
え、なんで? 俺今ナニ言ったっけ……。別にそんなおかしなことは言ってない気がするんだけど。
「わ、わにゃ、わた、私はっ……き……奇跡って呼んで欲しい……けど……」
「じゃあこれからは奇跡って呼ぶよ」
「で、で、で、でもでも……黒川さんに……その……悪いし……」
今、奇跡は何て言ったんだろう。どんどん声が小さくなって、後半は全然聞き取れなかった。
「は、早く行こっ、暗くなっちゃう」
奇跡は、促すように前に立って柔和に微笑んだ。
「ああ、そうだった」
カバンを肩にかつぎ直して、この歳ではかなり低く感じるブランコから腰を上げた。
その時だった。
「わっ!」
「!?」
背後から突然、肩に手が置かれ、思わず肩が跳ねる。
「あは、成功!」
聞こえた明るい声に振り返ると、小柄な女の子が立っていた。
肩より上でカットされた髪先がピンピンと外ハネした、活発そうな子だ。少し幼い顔立ちは整っていて、近くの中学の制服を着ている。
「奇跡さん、こんにちは~。夕方ってこんばんは、かな?」
「こんにちはでいいと思うよ、ヒノちゃん」
奇跡も少し驚いたらしく、胸に手を当てて少し息が速くなっている。
「奇跡の知り合い?」
「え? 何言ってるの、ヒト」
「奇跡さん。お兄ちゃん、学校で頭でも打ったんですかぁ?」
お兄ちゃん……? この子、お兄さんがいるのか。
「お兄ちゃん?」
奇跡がヒノ、と呼んでいた女の子はぐぐっと至近距離まで顔を寄せて、下から見上げてくる。
「お兄ちゃん、って……俺のコト……?」
「ねぇ、奇跡さん。お兄ちゃん、何かありました?」
「う~ん……アレもそうなのかな? 私のことを知ら――憶えてないとか言ってるね」
「……それ、何かのネタですか?」
「ヒトは本気みたいだけど……。ねぇヒト、まさかヒノちゃんのことまで憶えてないとか言うつもりじゃないよね?」
ニコォッと微笑みつつも陰りのある表情で訊いてくる奇跡。どう見ても怒ってる。
そしてその隣では、訝しげな表情で見上げてくる謎の妹(?)、ヒノ。
「……俺、妹いるのか?」
妹なんていない、と言い切らなかったのはひとえに恐怖からきた咄嗟の機転に他ならない。
「……ねぇ、奇跡さん。私はお兄ちゃんの意味不明宣言にどう反応すればいいのかなぁ……?」
本気で悲しそうな顔――いや違う。この顔は俺に対して混乱しつつも憐憫を憶えているかなり複雑な感情が含まれている。こんな顔が人間にできるのか。初めて知った。
それから何を喋っていたのか、正直よく憶えていない。
たまに『聞いてるの!』などと怒られる度に『そんなこと言われてもこっちだってワケがわからないんだ!』などと言い返し、さらに話が激化していたことだけは憶えている。
そして気がつくと、いつのまにか俺の部屋で俺は正座をさせられ、今日会ったばかり(俺自身の感覚としてはそうなのだから仕方がない)の女の子2人と向かい合っていた。
既に時間は午後の7時を回るところ。
大して広いわけでもない部屋に3人が入ると少し室温が上がってきて、奇跡が立ち上がってエアコンのリモコンを手に取り、つける。勝手知ったる動作だった。
「15年も一緒に過ごしてきて、こんなバカなこと言わされるとは思わなかった……。ていうか、普通ありえないよ!? ふっつーの家庭で実の兄に自己紹介なんて!」
などとキレ気味にバンバン床を叩いたヒノは、
「私、麻倉陽乃! 陽乃はお兄ちゃんの名前の『人』を刀って漢字を複雑骨折させたような漢字の『乃』! 乃木坂の乃ね! 2つ年下の中学2年生ッ! 誕生日とか別に言わなくていいような気もするけど9月5日の乙女座! お兄ちゃんの! 妹! です!」
『!』ひとつにつきバンバンと床を叩きながら暴力的かつ単純明快な自己紹介を終えたヒノは、はぁはぁと荒立った息を整えようと深呼吸している。
「あ、俺の名前は――」
「こっちはお兄ちゃんのプロフィールぐらい知っとるわ、馬鹿ぁッ!!!」
我が妹、かなりアグレッシブ。
はい、ようやくまともに熱が冷めてきて、正常な思考感覚を取り戻しつつある。
『幼馴染』に続いて『妹』!?
ぜんぜん笑えない感じに、俺の症状がホントに記憶喪失なんじゃないかと思えてきた。