静けさの中で
「めぇえん!」
夕暮れを前にして道場に気合がこだまする。
頭上から振り下ろされてくる鋭い竹刀を一歩下がってやり過ごし、そのまま前方へと踏み込み胴をなぎ払う。
「どうぉお!」
相手もこちらの動きなどはお見通しで、すぐさま二度、三度と篭手と面を打ち込んでくる。お互いにぶつかり合い、竹刀のつばで競り合う。
タイミングを見計らいどちらともなく、一歩で離れる。そして、竹刀の先と先が触れ合う程度の間合いが広がる。
ジリジリと攻め合う。こちらが小刻みにステップを踏み、相手の隙をうかがうのに対してあちらはどっしりと構えゆったりと動く。
一瞬 目と目が合う。
スパァアアアン!!
気がつくと目の前の相手は自分のはるか後方にまで移動していた。そして妙に頭の頂上が痛い。
「まったく何してるの!」
練習が終わり道場の掃除をしているとプリプリとご立腹の様子で先ほどまでの練習相手が顔をだす。
「ん、なんだ夏帆か」
一瞬手を止めてチラリとみやる。運動後のためかうっすら上気しいてどうしてか色っぽい。なにより、汗ばみ剣道着をきているというのも反則だろう。
「ん、なんだ夏帆か。じゃないわよ、最後の稽古で手抜いたでしょ。動きが止まりっぱなしだったんだから!」
「あー、悪い、悪い。また夏帆に見惚れてたんだよ」
本気とも冗談ともとれない口調で返す。夏帆は誰がどう見ても美人で剣道が似合う凛々しさを備え持っていた。そして実際、俺は夏帆の事が好きなんだと思う。
「まったく、人のせいにするんじゃないわよ。裕輔のその集中力の無さ、スタミナばっかりあって勿体無いわよ。それにあんな動きされたんじゃ練習になりゃしないわ」
夏帆はさらに何か言いたげだったが、そこまでを一気にまくし立てた。
「だったら、別の奴を誘えばいいだろう。お前なら一声かければいくらでも集まるだろう」
「部活が休みの日に、真面目に練習する奴なんて居ると思うの? それに、数だけいたって無駄よ。かえって練習にならないわ」
夏帆はウチの高校の女子剣道部のエースで全国大会にも出場する腕の持ち主だ。腕が確かなだけに練習量も桁違いで、休みの日も欠かさず竹刀を振るっている。性格に少々難があるのだが、喋らなければ、容姿端麗、スポーツ万能、学業まぁまぁと、校内の人気ランキングにも名を連ねるほどには魅力的らしい。
その残虐非道の美少女Aの練習についてこれるヤツは稀で部活の無い日は半ば無理やりつき合わされている不幸な少年Bが、中島裕輔ことオレなわけだ。ちなみに不幸な少年Aは居ないのであしからず。
「さぁーて、掃除も終わったし帰るか」
今日も夏帆の辛いしごきに耐え抜いた俺は安堵して家路に着こうとする。
「ちょっとあんた、他にする事は無いの!?」
何故だかはわからないが夏帆は、いつもよりも3割増しの目つきの悪さでジトーっとした殺人光線を放ってくる。
「ん?掃除も終わったし、神棚に挨拶も終わったし、戸締りも確認したぞ。他に何があるって言うんだ?」
が、俺は疲れていることもありそれを無視する。おそらく夏帆が心配しているのはそんなことだろう。いつもどおり俺は後片付けを終え道場の入り口に立つ。
「そうじゃなくて。本気でわからないの?」
まるでそれが最終宣告のように聞き返してくる。加えて夏帆はかなり苛立っている様子だ。
「悪い、頭の悪い俺にはわからないや。夏帆、言いたいことがあるならハッキリ言えばいいじゃないか。夏帆らしくないぞ。」
俺は、うんうんと諭すように夏帆に言ってみる。何故かはわからないが、この休みの日の練習後はたまにこんな事がある。
「ぅ、うるさいわね!言えるわけ無いじゃないの!! 死ね、ハゲ、バカ、最低!!」
上ずった声と共に罵倒しながらガスガスと蹴ってくる。
「いだいだ、いだだだだだだだ。」
たまらず逃げ出すと、学校の外に出るまで全力で走るハメになった。
まったく、いつもの夏帆なら言いたいことはズバット言うはずなのに全くもっておかしかった。まさか誘ってるわけでもあるまい。
ふと思ったことを直ぐに否定する。あいつにとって俺はちょうどいい下僕か練習台兼実験台程度の存在だろう。それ以上でもそれ以下でも無いはずだ。俺は馬鹿な妄想を振り払うと後ろで肩で息を切っている夏帆を見やる。
まだ怒っているらしく、俺が振り返ると夏帆はソッポを向いてしまった。話しかける雰囲気でもなかったので、俺はそのまま歩きながら夏帆を見続ける。むしろ魅入られたといった方がいいかもしれない。
彼女の肩にかからない程度にそろえられた短めの髪が小さく揺れる。
耳から首筋にかけて浮き出た白い肌が微かに上下する。
それらはまるで、幻想。
いつも見ているはずの、けれども初めてみる彼女。
その幻想は、まるで闇夜に浮かぶ三日月のようだった。
冷たくて、静かで、でも月の光は淡く僕らを照らしていた。
「ねぇ、ちょっと聞いてるの!?」
夏帆の声で現実に引き戻される。いつの間にか俺よりも夏帆は前にいて、位置関係が逆になっていた。
「あ……、ごめん。ぼーっとしてたよ」
声をかけられた時に、体がビクッとしてしまった事に恥ずかしさを覚えながら、夏帆の次の言葉を待つ。
「まぁいいわ、聞こえて無かったのは許してあげる。だから――」
俺はよっぽどビックリしていたようで、夏帆はその様子を面白そうにしていた。
「次の日曜日の買い物に付き合いなさい。いいわね、これは命令よ」
「はぁ?」
俺は阿呆みたいにそれだけを言うのが精一杯だった。夏帆の真意がつかめない。お互い買い物は一人で行く派だし、これまで一緒に買い物になんか行ったことはない。
「何勘違いしてるのよ、あんたはただの荷物持ちよ。」
何故か夏帆は慌てた様子で言葉を繋いでいく。
「荷物持ちか……。わかった、買い物に付き合うよ」
少し考えた後、別に断わる理由も無いので承諾した。むしろ、私服の夏帆を見れるとあって期待に胸が膨らんだ。といっても、男だから膨らんでもらっても困るけどね。
「ふふふっ、覚悟しておきなさいよ。私の荷物持ちはすごーく大変なんだからね」
「うーん、じゃあ……。買い物に付き合うかわりに、何かお礼をしてくれ」
図々しいと思いながらも、夏帆の言葉に覚悟を決め一つの条件を言った。
「私が買い物に誘ってるのよ、嬉しくないの?」
夏帆は、ちょっとムスッとした表情で考えている。しかし、少しすると悪魔のような意地の悪い顔つきになった。
ヤバイ、あの顔はマズイぞ。きっと何か、よくない事を企んでいるに違いない。
俺の先ほどの決意は脆くも崩れ去った。
「そうねぇ、お礼してもいいわよ。今ここでならね。」
ネットリと絡みつくようにそう言うと口元を歪め、眼光を鋭くし始めた。
「ちょっ、待って。やっぱ無し、かんべ――」
「じゃあ、裕輔君歯を食いしばってもらおうかなぁ?」
俺の声を遮って、夏帆は不穏な事を言い出した。俺はパブロフの犬並みの条件反射で、ギュッと歯を食いしばり、目を閉じる。
「覚悟は出来たでしょうね」
返事が無いのを肯定と受け取り夏帆は近づいてくる。
そして――。
ふにゅ。
一瞬触れた何かは直ぐに離れていく。
ふにゅ? ドスッ! とか、ガシッ! とか、ボコ! とか予想していたのに、実際にはほんの少し唇に何かが触れただけだった。
第二波が来るのではないかと予想していた俺は、臨戦態勢もとい歯を食いしばる事を続けていた。
「もーいいよー」
夏帆が遠くから声が聞こえたので恐る恐る目を開ける。夏帆はもう100mは先に居た。
「もうお礼したからねー、約束破ったら覚えてなさいよ。じゃあねー」
彼女は勝手な事だけ言って、見えなくなっていった。
ポツンと取り残された俺は、今さっき唇にあった感触を思い出してみる。
やわらかくて、少し冷たい。自分の指を唇に当ててみる。いや違う、指じゃない……。
まさか唇? 他に思い当たる体のパーツが無いが、今の感触が唇だと断定するための情報がどうしても欠けている。
頭の中では堂々巡りだった。片やそんなはずある訳が無いという声と、あれは夏帆の唇だったという声が白熱したバトルを繰り広げている。
俺は不安と期待に胸を躍らせて、家路を急いだ。
今日の感触が、唇だったのかどうかを確かめる計画を、頭の中で思い描く。
俺は今から、次の日曜日が楽しみになってきた。
つづく(ハズ)
人の容姿の書き方って難しいです。考えない方がいいのでしょうか。
アクション要素とラブコメチックな話に初挑戦、というか書いてたら勝手になってしまいました。
これからの作品の参考にさせて頂きたいので、感想などありましたら是非評価のほどよろしくおねがいします。