それぞれの想い 〜side美希〜
あの日以来、例の青年とは、仕事に向かう電車の中で、よく話すようになった。
しかし、私は肝心な事は何一つ話していない。
彼も特に聞いてくるわけではない。
『食事に行こう』って言われた事についても、特に急かされない。
あれは、一種の社交辞令のようなものなのか?
社交辞令にしては、彼が真剣だった気もするが…。
「あのさぁ…、有馬く、有馬さん!」
「孝平でいいですよ!」
「じゃあ、孝平君。この前の…、『食事に行こう』って話だけど…。」
無かった事にしてしまうのはどうかと思った私は、彼に聞いてみる事にした。
「都合のいい日あります?」
やっぱり、社交辞令ではないようだ…。
「まだ、予定は立てられないんだけど…。やっぱり、私みたいなおばさんとじゃ、色々難しい問題があるんじゃないかと…。」
自分で、『おばさん』って言っちゃったよ…。
「坂下さんは、『おばさん』っていう歳じゃないでしょ?」
「私はもう…、三十二歳なんだけど…。」
自分で、歳まで言っちゃったよ…。
「そうだったんですか!二十五歳ぐらいだと思ってました。若く見えますね!でも、若く見えるなら、『おばさん』じゃないですよ。」
彼は、年齢については全く気にしていない様子だった。
「若作りし過ぎ…かな?」
「そんな事ないですよ。それから、もし二人だけが無理なら、友達を呼んでもいいですよ。こっちも人数を合わせますから。」
「恥ずかしい話、一緒に行ってくれる友達はいなくて…。」
学生時代に親しかった友人達は、ほとんど結婚しており、私が健太を引き取ってからは連絡は途絶えがちになっている。
しかし私は、この状況を誰かに相談したい…。
健太に相談するわけにはいかないし、健太の祖父母も勿論ダメ。
美容室のスタッフには、こういう事は相談したくないし…。
春子さんは…、止めておこう…。
きっと、もっとややこしい事になる…。
そうなると…、春子さんの娘しかいないな…。
いい歳した大人が、女子高生にこんな相談するのは、おかしな話だが…。
それにしても、私の交友関係は狭いな…。
送信『友美ちゃんに相談したい事があります。それで、二人だけで会えないかな?健太には絶対言わないで欲しいんだけど。』
受信『いいですよ。何の相談ですか?』
送信『内容は会ってから話す。くどいようですが、健太には内緒で。』
受信『了解!』
私は、本当に大人なのだろうか…。
最近、子供達に迷惑を掛けてばかりいる…。
「ごめんね、急に呼び出したりして。」
「大丈夫ですよ。それよりも、相談って何ですか?」
友美ちゃんは、心なしか、ワクワクしているように見える。
大人の私に頼られるのが嬉しいのか…?
それとも、何かに感付いているのか…?
「くれぐれも健太には内緒にして欲しいんだけど…。実はね…。」
彼女に孝平君の事を話す私。
「やっぱり、そうでしたか。」
「…!『やっぱり』って…?」
「最近、健ちゃんが美希さんの様子がおかしいって悩んでて。私は、彼氏でも出来たんじゃないのかな?と思っていたんです。」
健太も何か感付いているのか?
「健太は…、何か言ってた?」
「何だか面白くなさそうでしたよ。健ちゃんは『お母さん』が大好きみたいですから。」
友美ちゃんの言葉には、少し苛立ちが含まれていた。
「私は、『お母さん』じゃないんだけど…。」
「前から不思議に思ってたんですけど、美希さんは『母親』だと思われるのは嫌なんですか?」
「嫌じゃないけど…、私みたいなのが『母親』と名乗るのは恥ずかしいっていうか…、健太の実の母親に申し訳ないというか…。」
私は、自分が母親代わりになれているかどうか自信がない。
最近は特に…。
「それは、美希さんの考え過ぎですよ。だって、他人の私から見て、美希さんと健ちゃんは、『母親』と『息子』以外に見えないですから。しかも、とても仲が良い母子に見える…。」
「そうなのかな…。」
「それで、美希さんの彼氏の事ですが…。」
「か、彼氏じゃないよ、まだ!」
「『まだ』って事は、美希さんはその彼の事が、嫌いじゃないんですよね?むしろ、気になっている存在なんですよね?」
「それは…、そう…なんだけど…。」
「だったら、深く考える必要はないんじゃないですか?友達みたいな感覚で、食事に行けばいいと思いますよ。その彼と話してみて、色々気付く事があると思うんだけど。」
「それでいいのかなぁ…。」
「その彼ってどんな人なんですか?」
「健太の父親に似ているんだよね…。顔じゃなくて雰囲気が…。」
「それって、美希さんのお兄さんですよね?」
「うん。」
「何をしてる人なんですか?」
「学生…。」
「えっ!…学生?いくつなんですか?」
「えーと…、二十歳。」
「ハタチー!」
「ちょっ、声が大きい!」
「すいません…。美希さんって…、凄いですね…。」
「ま、まぁね…。」
彼の年齢を聞いて唖然とする友美ちゃんに、私は苦笑いを浮かべて自虐的に開き直ってみせた…。
「ついでだから、私も美希さんに相談しようかな…。」
「何を?」
「美希さんは、健ちゃんの好きな女の子って誰だと思いますか?」
「えっ!誰って…、友美ちゃんじゃないの!」
「美希さんもそう思いますよね?でも…、私、自信がなくて…。」
「『自信』って?」
「健ちゃんの中では、優先順位の一番は、いつも美希さんだから…。健ちゃんは、誰とも付き合う気はないんじゃないかと思ってて…。」
「それこそ、友美ちゃんの考え過ぎだよ。アイツだって、もう高校生なんだし、恋人ぐらい欲しいんじゃないかな?」
「でも、健ちゃんの基準は美希さんだから、私なんかじゃダメだと思っちゃって…。」
「健太は、自分の考えを悟られないように隠すところがあるからね…。でも、私が見る限りでは、友美ちゃんが好きという事は、隠し切れていないけどね。」
健太が、自分の気持ちを隠すように育ってしまったのは、多分、私の所為だろう。
私が至らない所為で、友美ちゃんにも辛い思いをさせてしまっている。
「美希さんにそう言って貰えると、少し自信が出てきました。」
「うちのバカ息子に、友美ちゃんは勿体ないぐらいなのに。アイツは何を考えているんだか…。」
恋愛方面に関しては…、私の所為じゃないよね?
「それにしても、美希さんとこんな話をするとは思ってもいなかったです。」
「それは、私も一緒…。」
「美希さんに、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「仮に…、仮にですよ、私が健ちゃんと結婚したとして、美希さんも嫁いびりとかするようになるんですかね?」
「するわけないでしょ!むしろ、友美ちゃんみたいなお嫁さんなら、健太より大事にするよ!」
私は、友美ちゃんを応援しつつ、少し寂しい気持ちだった…。
健太は、いつか私の下を離れて行ってしまう…。
これがそう遠くない事を、実感せざるを得なかった。