回り始めた歯車 〜side健太〜
「今日は、おとなしくしてろよ!」
「分かってるって。」
美希さんは、本当に分かっているのか怪しいもんだ…。
「昼ご飯は作ってあるから。」
「じゃあ、晩ご飯は久し振りに私が作ろっか?」
「やっぱり分かってねぇじゃん。おとなしくしてろって言ったばっかりだろ!」
「ハイハイ、すいませんでした。健太君の美味しい晩ご飯をおとなしく待ってます。」
「じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい、っと!」
俺を見送りながら、玄関を閉める美希さん。
本当に大丈夫かよ…。
「あっ、健ちゃん!おはよー!」
「ああ、おはよう。」
「美希さんはもう大丈夫なの?」
「『もう一日休もうか?』って言ったら、『大丈夫だから学校へ行け』って言われた。」
「健ちゃんが浮かない表情なのは、大好きなお母さんが心配だからなんですねぇ。」
「ば、馬鹿、違うよ!心配じゃねぇし。それに、お母さんじゃねぇし。」
「いいのかな?そんな事、言って!美希さんにチクッちゃうよ。美希さん、悲しい顔すると思うけどなぁ!」
「ぐっ…!」
今日も友美に言い負かされ、朝から気分が悪い。
それに、美希さんが心配なのは事実だし。
「よう、坂下!お母さんはもういいのか?」
廊下で、担任の先生にすれ違いざまに声を掛けられた。
「おかげ様でなんとか…。」
「大事に至らなくて良かったな。」
「先生が大袈裟なんですよ。」
「お前も病院からの電話を受けてみれば分かる。絶対パニックになるから。」
この先生は、決して熱血タイプの先生ではないが、面倒見が良く、俺は嫌いじゃない。
「そういえば…、武田先生は独身でしたっけ?」
「結婚してて娘もいるよ。娘がまた可愛いんだ、これが!今度、写真を見せてやるよ!」
「いえ…、結構です…。」
また言ってしまった…。
「先生には、『お母さんじゃねぇし』って言わないんだ。」
俺と先生の会話を横で聞いてた友美が、いたずらっぽい笑みで聞いてくる。
「一々、説明するのも面倒くさいだろ?これは、俺が十年間で学んだ事なんだよ。」
美希さんが、俺の実母じゃない事を知ってるのは、そんなに多くない。
勿論、先生は知ってるんだけど、この時はただ面倒くさかったから。
「先生に独身かどうか聞いたのは何で?前も先生ぐらいの歳の男の人に聞いてた事なかったかなぁ?」
「さぁ…、何でだろう?…単純に気になったから…かな?」
「ふーん…。」
これは、俺が小さい頃からの癖みたいなものだ。
恐らく、聞くか聞かないかの基準があると思うんだけど、自分でもよく分からない。
美希さんが倒れてから一週間ぐらい経った頃、事件は起こった。
まぁ…、大した事件じゃないんだけど…。
俺の中では大事件だ。
放課後、いつものように帰ろうとした俺は、二年生の女の先輩に呼び止められた。
「あ、あの…、坂下健太君だよね?」
「はい、そうですけど?」
「私、二年生の高木千里っていうんだけど…。ちょっと…、話があるんだけど…いいかな?」
「はい…?」
高木さんについて行く途中、少し離れた所にいた友美を見つけ、慌てて視線を反らした。
見つかってないよな…?
こういう事に慣れていない俺でも、これから起こりそうな事は、ある程度、想像がつく。
「あの…、いつも一緒にいる子と…付き合ってるの?」
恐らく、『いつも一緒にいる子』とは友美の事を指しているのだろう。
それぐらいは分かる。
「付き合ってない…ですけど。幼なじみ…なだけですが。」
「あの…私ね…、坂下君が好きなの…。良かったら…、私と付き合って下さい!勿論、私の事よく知らないだろうから、友達からで構わないんだけど…。」
ほら、やっぱり…。
俺って、実はモテるのか?
「えーと…、ごめんなさい。俺、好きな子がいるんです…。」
ちょっと惜しい気もするが、いい加減な気持ちで付き合うわけにはいかない。
「いつも一緒にいる女の子?」
「ええ、まあ…。だから、ごめんなさい。」
「やっぱりそうか…。急に変なこと言ってごめんね。ありがとう。」
そう言って彼女は、走り去ってしまった。
やっぱり、泣いてたよな…。
少し気が重かった…。
「見たよ、健ちゃん!可愛い女の子だったじゃない!」
「…!」
友美は校門の所で、誰かを待っていた。
最悪だ、よりによって、友美に見られた…。
気付いてないと思ったのに…。
「あの子と…、付き合う…の?」
「断ったから…。」
「よかっ…。」
「…?今、何か言いかけなかったか?」
友美は、何か言いかけて、慌てて口をつぐんだように見えた。
「何も言ってないよ。よし、じゃあ帰ろう。」
「誰か待ってたんじゃないの?」
「いいの、いいの。置いてくよ!」
「ちょっ、待てよ!」
もしかして…、俺を待っていたのか…?
友美とは、昔から一緒に学校へ行ったり、帰ったりする事は多い。
しかし、今日みたいに約束もなく、待っている事は初めてじゃないか?
用がある時は、一緒に帰ろうと言ってくるし、その他の時は、偶然、一緒になる事が多い。
帰る所は、ほとんど同じなわけだから、当たり前だと思ってたんだけど…。
「あー、また私の話、聞いてないでしょ!」
「えっ、き、聞いてたよ!」
「絶対ウソだね!…何か悩み事あるの…?」
「…最近さぁ、美希さんの様子が…変なんだよね…。」
まさか本人に向かって、『お前の事で悩んでいる』なんて事は言えるわけもなく、咄嗟にもう一つの悩み事を口に出した。
それに、美希さんの様子がおかしいのも事実…。
「もー、また美希さんの事?」
『このマザコン野郎!』って、絶対思われてる…。
「一昨日ぐらいから、何か考え事してることが多くてさぁ…。」
「子供じゃないんだから、悩み事の一つや二つぐらいあるでしょ。病み上がりだし。それに、人の話を聞かない問題児も一緒に住んでるしね!」
今日の友美の厭味には、いつもよりトゲがある。
「そりゃ、悩み事ぐらいあるだろうけど…。今までも考え事してることもあったけど…。」
今までとは、明らかに違う気がするんだよな…。
それに、美希さんは、本当に大人なのかよ、って思う事も多々あるわけで…。
「もしかして…、彼氏が出来たとか!もしくは、出来そうとか!」
「はぁー?」
そんな事、考えもしなかった…。
「そんなに驚く事じゃないでしょ?あれだけ綺麗な人に、彼氏がいない方が不思議なぐらいなんだから。」
「…。」
「あー、何か面白くなさそうな顔してるー。美希さんが他の男に取られるのが嫌なんでしょ?」
「違うよ!…違うけどさぁ…。」
結婚して幸せになって欲しい…。
他の男に取られるのが嫌だ…。
相反するこの二つの気持ちの間で揺れ動く俺。
こういう事が、現実味を帯びてきた今、俺の頭は混乱していた。
「ねぇ…、美希さんも確かに大事だけど…、自分自身の事はどうなの?」
「俺の事?」
「健ちゃんは彼女を作らないのかって事…。さっきも…、『断った』って言ってたし…。」
「俺は…、好きな奴いるし…。」
「ふーん…、誰?」
「それは…。お前に言うわけがないだろ…。」
『お前だよ』と言うわけにもいかず…。
「健ちゃんは、美希さんを基準に考えるからダメなんだよ…きっと。」
「『基準』って、どういう意味だよ?」
「あんな綺麗な人は、そうそういないって事。『基準』を下げれば、簡単に『彼女』が出来るかも知れないと思うよ…。健ちゃんは意外とモテるんだから…。」
「俺って、モテるのか…?」
「さぁ?知らない…。」
「何だ、それ?お前が言ったんだろ!」
友美は、この事について、これ以上、話さなかった。
最近、俺の周りで厄介な事が増えてきた。
それは、俺がそれだけ大人になった証拠なんだろうけど…。
しかし、自力で解決出来る程、俺は大人になりきれていない…。
友美と美希さんの事で、俺の頭の中は、容量オーバー寸前だった…。