回り始めた歯車 〜side美希〜
検査結果に異常はなく、私は翌日に退院した。
健太も学校を休み、私に付き添っていた。
「一人で大丈夫なのに。」
「先生が休んでいいって言ったんだし、家にいても暇だから。」
いつもの調子で、ぶっきらぼうに答える健太だが、その姿はまるで、娘の心配をする父親ようだった。
これじゃあ、どっちが親か分からない…。
退院した日の夕方、健太の幼なじみの友美ちゃんが家に来た。
友美ちゃんのお母さんが作ったという煮物を持って。
「気を使わせちゃって、悪いね。お母さんにも、宜しく言っといてね。」
この親子は、私と健太を何かと気に掛けてくれる。
「気にしないで下さい。うちの母は、他人の世話を焼くのが好きなだけですから。」
私達はつくづく恵まれていると思う。
最近は生意気になったが、複雑な家庭環境の健太が、グレずにここまでこれたのは、私達の周りの暖かい人達のおかげ。
健太の幼なじみの友美ちゃんは、しっかりしていて、小さい頃から健太のお姉さんみたい。
健太は、彼女の事が好きなのでは?と私は思っている。
友美ちゃんも多分…、でも、どうなんだろう…?
嫌いではないはずだが…。
私の事を、『健太君のお母さん』と言ったのも彼女。
「美希さん、体調はどうですか?」
『健太君のお母さん』と言った彼女に、私は『美希さん』と呼べと言った。
『お母さん』と呼ばれるのは気恥ずかしかったから。
「今は、少し体が重いぐらいかな。」
「日頃から、ちゃんと体調管理してれば、倒れることなんてないんだよ。」
「…。」
健太にお母さんみたいな説教をされ、私は返す言葉もない。
次の日は、友美ちゃんのお母さんである春子さんが来た。
簡単な用事なら、いつも娘の方が来るが、お母さんの方が来たということは…。
挨拶や世間話をした後、春子さんは本題に入ってきた。
「また今回みたいな事があるといけないから、美希ちゃんも、早くいい人見つけないといけないねぇ。」
ほら、やっぱり…。
「健太がもう少し大きくなったら考えますよ。」
ここから、この人の話をかわすのは少し骨が折れる…。
「健太君も高校生になったんだから、充分大きいでしょ。実は美希ちゃんに紹介したい、いい人がいるんだけど…。」
「私も、そういう事を何も考えてないわけじゃないですから、自分でもう少し考えます…。」
何とか、この日も上手くかわせた…と思う。
私だって何も考えてない訳じゃない。
でも、自分一人で決められる問題でもない。
健太は一度も、『お父さんが欲しい』と言った事はない。
もしかして…、私が他の男に取られるのは、面白くないとか…。
それはさすがに、私の考え過ぎだろ…。
私は健太の実の母親じゃないんだから…。
いつもと同じ結論に達し、これ以上考えるのは止めた。
一週間、何もしてないと、さすがに飽きてくる。
私は、倒れた日からきっちり一週間で、仕事に復帰する事にした。
久し振りに電車に乗るのは、少し怖かったが…。
駅のホームで、電車を待ってると、見知らぬ青年が軽く会釈をしてきた。
???私も会釈を返しながら…。
「あっ!」
思い出した!
あの日、私の隣にいて、私を助け起こしてくれた青年じゃないかな?
これは社会人として、お礼を言うべきだよね…?
「あの…。」
恐る恐る声を掛ける私。
「もう体は大丈夫なんですか?」
やっぱり、あの時の青年だ。
「おかげ様で…。あの時はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。それから…、ありがとうございました。」
「さすがに、ちょっとびっくりしましたよ。目の前で人が倒れるのは、初めて見ましたから。」
そう言った彼の笑顔に、ドキッとした。
「本当に申し訳ありませんでした。何とお礼を言ったらいいか…。」
「お礼なんて、とんでもない!」
中々感じのいい青年。
電車の中でも、彼と少し話をした。
彼の名前は有馬孝平。
美容師専門学校に通っている。
私が行っていた所と同じ。
二十歳、私と一回り違う…。
「坂下さんは…、結婚してるんで…すか…?」
少し、言い淀んだ彼。
「えっと…、してないけど…?」
子供がいます…。
しかも、三十歳を超えてます…。
「良かった…。」
「えっ!」
何が『良かった』なの?
「この前のお礼の代わり…、と言ってはなんですが、今度…、食事に行きませんか?」
「はぁ?」
「勿論、割り勘でいいですから。」
「えっと…、でも…。」
この時、健太の事を話すべきだった…。
「いつでも構わないんで。僕の携帯番号、教えておきますね。」
強引に約束させられてしまった…。
自分より一回りも下の青年に、ナンパ?されてしまった…。
こういう事は、しばらく経験がなかった所為で、私は舞い上がっていたのだろう。
断り切れなかった…。
彼は何となく、健太に雰囲気が似ていた…。
顔は全然違うのに、雰囲気が…。
イヤ、むしろ、健太の父親の方に似ている。
私の兄の方に…。
「ご迷惑を掛けて、申し訳ありませんでした。」
店長に迷惑を掛けた事を詫びると、
「美希ちゃん、今日は無理しなくていいから。」
店長は、私に気を使ってくる。
「もう大丈夫ですよ。それに、しんどくなったら、今度からちゃんと言いますから。健太にもキツく注意されたし。」
「それにしても、健太君はしっかりしてるね。大人びているっていうか…。美希ちゃんの教育の賜物だね。」
「私は何もしてないですよ。ほっといたら、勝手に育ちましたから。それに、私の前ではまだまだ子供ですよ。」
「そう言えば、この前、『店長は独身ですか』って健太君に聞かれたんだけど。俺も結構若く見えるって事かな?」
嬉しそうな店長には申し訳ないが…。
「それは、アイツの挨拶みたいなものです。気にしない方がいいですよ。」
「ハハ…、そうなの…。」
健太の奴…。
やっぱり、また余計な事、言ってるじゃん!
健太は小さい頃から、大人の男の人に、『独身ですか?』と聞く癖がある。
小さい頃は、意味も分からず言っていると思っていたが、大きくなってからも、時々、言うことがある。
大きくなってからは、聞く人と聞かない人がいるから、彼なりの考えがあるのかも知れない。
その日の夜…。
「…。」
「おい、聞いてんのかよ!」
「あっ、ごめん。何?」
何か話していた健太の声が聞こえず、上の空だった私。
「何じゃねぇよ!今日は体調はどうだったかって聞いてんの!」
「あ、ああ、今日は問題なかったよ。子供じゃないんだから、健太は心配しなくて大丈夫だって!」
「それならいいけど…。平気そうに見えなかったから…。」
今朝の青年の事を考えていた私は、深刻そうな顔でもしていたのだろうか…。
健太に余計な心配を掛けてしまった。
しっかりしないと…。
「あっ、そうだ!店長が病院に来てくれた時、あんたはまた余計な事を言ったでしょ!」
「な、何の事…?」
「ああいう事を聞かれて、傷付く人もいるかも知れないんだから、気を付けなさいよ!」
「分かってるよ!」
健太はどうして、『独身ですか?』なんて事を聞くのだろうか?