戦士より刺客より恐れるべき存在を王は御存知ですか?
短編です。
「決めた、お前を俺の婚約者にしてやる!」
その場に響いた威勢のよい声に、会場内がしんと静まり返った。
注目の焦点となっているのは二人の男女。
一方は弱冠十三歳にして王国が誇るクソガキ皇太子ことドミニク・ウェスリー。
そして片や彼に腕を無造作に掴まれ凍りついてしまった僅か九歳の少女レリア・シェフィールド伯爵令嬢である。
わがままな性格で周囲を振り回し、皇太子という立場の重みを解せず権威のみを濫用するドミニクの悪評は王国の者であれば誰もが知るところであり、他国の貴族からさえ「我が子を近づけたくない」と言わせしめる横柄ぶりである。
レリア・シェフィールドはそんな彼と真逆の存在と言っても良い。
広大な領地と豊富な地下資源を有し、立地の良さを生かした交通網を整備したことで王国随一の商業技術都市を築き上げたシェフィールド伯爵家の長女。
母方の実家であるアーチボルド伯爵領も国の外縁に位置しながら豊かな土地と温暖な気候に恵まれ、様々な出自の人間が交流を重ねる最新文化の発信地として有名だ。
そんな環境で生まれ育った彼女もまた自然を愛し文化への造詣も深い淑女として知られ、その可愛らしい容姿も相まって小説や舞台のモデルになることも一度や二度ではない人気ぶりである。
身分上はともかく、人間としてはドミニクなど逆立ちしてもレリアとは釣り合いが取れない。
だが腐っても彼は皇太子だ
それを主立って口にする者はいない。
だからこそ、突然会食の席から立ち上がって端の方に座っていたレリアの腕を乱暴に掴み、婚約を宣言するドミニクの発言はあってはならなかった。
特に今日は最近になって色気づき始めたドミニクのために用意されたイメージアップの場と言っても良い。
表向きは皇太子と年齢の近い貴族の子息息女を集めて王族と貴族の親交を深めるための会食ということになっているが、敏い者であれば主役はドミニクであり息女たちは将来の嫁候補として、子息たちはその太鼓持ちであることにはすぐ気がつく。
この会合は既に愚王子として煙たがられるドミニクに対する印象を少しでも良くし、あわよくば将来その婚約相手を探す際の足がかりになればという王の願いから実現したものだった。
だがよりによってドミニクはこの場でレリアを婚約者にすると宣言してのけた。
こんな愚か者でも皇太子としての言葉は重い。
ここで婚約を宣言すれば、レリアの意志に関わらずそれは決まったようなものである。
自慢げに腕を掴むドミニクの手を振り払うことも忘れてレリアは震えるしかなかった。
*****
「そもそも何故レリアをそのような場に出したのですか?」
翌日、レリアの母セシリア・シェフィールド伯爵夫人は実家の用事を済ませて半月ぶりに屋敷へ帰ってくると、愛娘が床に臥せってしまった原因を知るに至ってすぐさま夫に問いただした。
「以前から私がレリアをあの愚か者に近づけないよう気を払っていたのはご存知ですよね?」
「わ、わかっている……だが、突然招待状が届いてすぐに使者へ返事をしろと求められたため…」
やはり屋敷を空けるべきではなかった、とセシリアは激しく後悔した。
どうしても実家で処理しなければならない案件があったのでやむを得ず一人で遠出したが、せめてレリアを連れて行くべきだった。
権威に弱く自己保身のことばかり考えるこの夫のことだ、ロクに考えもしないで言われるがまま出席の返事をしたに違いない。
あるいは王もセシリアの不在を狙って急遽この会席を設定したのかもしれない。
自身は無難な統治者として弁えているが、ドミニクのことになるとひたすら甘い王が以前からレリアを我が子の婚約者にと周囲に漏らしていることは知っていた。
させるものか。
セシリアは泣き腫らした目で「私はあのような方の婚約者になどなりたくありません」とえずく娘の姿を思い出し、怒りを燃やす。
かつてはセシリアも周囲に振り回される立場だった。
金に執着する祖父と権力を追い求める父によって政治の道具となるべく英才教育を受け、金と権力以外は何も持っていない男との結婚を強いられた。
だがセシリアは娘が生まれたことでようやく目を覚ました。
我が子だけは何としても守らなければならない。
生まれたばかりの娘を抱きかかえたまま、彼女は実家の父親を隠居させ義実家の夫を家長の座から引きずり下ろした。
二つの領地の運営は長らくセシリアが実権を握っていたのでそう難しいことではなかった。
一時は廃れかけていたアーチボルドを文化の発信地に復活させたのも彼女なら、シェフィールドに莫大な財を注ぎ込んで経済と技術を発展させたのも彼女である。
万が一、こういう事態が起こった時のために仕込みはしてある。
だが穏便に済ませられるのであればそれに越したことはない。
「今から王のもとへ抗議しに行きます。あなたも支度なさい」
夫の返事を待つことなくセシリアは踵を返すと扉を開け放して部屋を出ていった。
*****
謁見の間に入るなり跪いた夫の隣で、セシリアは仁王立ちしたまま玉座に座る王と后を睨めつける。
「シェフィールド夫人、頭が高いぞ」
王の隣に控えていた宰相が見兼ねて苦言を呈するが、鋭い視線をセシリアに向けられたじろぐ。
「私は敬意を表するに値する人物にしか跪くつもりはありません」
無礼と言えば無礼だが、先に正式な手続きを踏むことなく婚約を周囲に喧伝するような無礼を働いたのはドミニクの方だ。文句を言われる筋合いはない。
王族の権威など犬にでも食わせてしまえ。
玉座に座る王も后もドミニクのやったことがセシリアの逆鱗に触れていることは重々承知していた。
王は赦しを与えようと手を上げようとしたが、先にセシリアが口を開いた。
「単刀直入に述べます。すぐさまドミニクがレリアに対して婚約を求めた話はなかったことにして頂きたい。その上で国庫から娘に対する賠償の支払い、それにドミニクを始めとした王族からの謝罪を求めます」
謁見の間には王族の他に二〇人近くの衛兵や数人の高位貴族が居合わせていたが、その誰もが息を呑んだ。
無礼とは言え十三歳の子供がやったこと。
報復として些かやり過ぎといえばやり過ぎだった・
だが、セシリアにしてみればこれは王族に対して配慮した上での要求だった。
シェフィールド家やアーチボルド家を始めとした貴族はこれまで散々王国に貢献してきた。
暴虐な前王に煮え湯を飲まされ反旗を翻しつつも国と王族は残し、支えてやったという自負がある。
他国から攻め込まれれば兵を出したし、主要な産業もない王都の金庫は潤してやった。
ドミニク個人についても今の王が無難な政治をしているからこそ、これまで見逃してやったのだ。
だが、それも我慢の限界を迎えようとしていた。
このままドミニクが王になれば再び国が混乱するのではないかという危機感もある。
むしろセシリアの要求が通すことはドミニクに態度を改めさせる契機にも馬鹿親にその教育方針を転換させる契機にもなれば、不満を溜めた貴族や民のガス抜きにもなる。
長い目で見れば悪い話ではない筈だ。
ただちょっと一部の者がプライドを傷つけられることを我慢すれば良いだけのこと。
だがこの王はそれができないらしい。
「しぇ、シェフィールド夫人の怒りも理解できぬではない」
王は可能な限り威厳高い声で口上を述べた。
「ドミニクの無礼を働いたことでレリア嬢が酷く動揺していることも聞いており、その点は私も心苦しく思う。だが既に婚約宣言は多くの者の知るところであり、迂闊に取り消したりすることは政治的観点から困難である。賠償についても、その…まだ子どものやったことだ。少々ふっかけ過ぎではないか?謝罪というのも今後の情操教育を歪めることになりかねんし…」
言い訳をごちゃごちゃと並べているが、要はセシリアの要求をどれも拒否するということである。
セシリアはこれ以上この優柔不断な王と交渉することが無駄であることを悟ると溜め息を吐いた。
「では致し方ありませんね…」
彼女が折れてくれたと思ったのか、王に安堵の表情が浮かんだのは一瞬のことだった。
「それではシェフィールドとアーチボルド両家はこの場を持って王国の爵位を返上し、自由領となることにします」
セシリアを除くその場にいた全員が驚愕して言葉を失った。
「お、おい…!」
夫が慌ててセシリアの袖を引っ張って抗議するが、彼女は目を向けることさえせずに振り払った。
ありえない選択、というわけではない。
ここ数代が大人しかっただけで元々アーチボルド家は王国に乞われて爵位を”貰ってやった”貴族だ。
その気になれば独立する気概も秘めていれば、その実力も十分備えている。
曽祖父くらいであれば常に王都を攻め滅ぼす計画を二つ三つ立てていた。
先祖の血を色濃くセシリアにとっても当たり前に取れる選択肢に過ぎなかった。
狼狽した王が震えた声を出す。
「こ、子供のやったことだぞ?何もそこまで…」
「子どものやったことだから賠償も謝罪もしない婚約を許し、レリアの一生を台無しにしろと?」
「だ、台無しというのはいくら何でも言い過ぎではありませんか!?皇太后の立場ですよ!」
堪りかねた王妃が口を挟むが、むしろセシリアの癇に障った。
「皇太后の立場など相手がドミニクではレリアにとっては娼館に売られるのも同然です」
「な…っ!」
「王妃はドミニクが男娼になることを命じられても冷静でいられますか?」
「ぶ、無礼者っ!」
怒り心頭した王妃が立ち上がって叫んだ。
「衛兵、この無礼者を捕らえよ!地下牢へ放り込んでしまいなさい!」
セシリアと王族のやり取りを固唾をのんで見守っていた衛兵が弾かれたように駆け出し、セシリアのもとへ殺到した。
「ひぃっ!」
愚鈍な夫が足元に転がるのを横目に、セシリアは衛兵に肩を押さえられた。
「一つ尋ねます」
引っ張られるまま抵抗するでもなく、セシリアは問う。
「民を統べる王が最も恐れなければならないのは如何なる者か、わかりますか?」
「何…?」
「一人で千人の力を備える戦士ですか?それとも誰にも悟られぬ術を心得た刺客?」
「…………」
王が答えられないまま、セシリアは謁見の間から連れ出される。
「ふふ、そんな者より余程恐ろしい存在を私は知っています」
*****
セシリアが地下牢に捕らえられた事実と、そこに至る経緯はまたたく間に市井に伝わることとなった。
そして国の没落が始まった。
「何だ、あれは?」
母の実家に引きこもったレリアを無理やり王都に連れ戻そうとアーチボルド領を訪れたドミニクは馬車から顔を覗かせて尋ねた。
「市民の野外舞台でございます。当地ではセシリア夫人の支援のもと、多数の舞台役者や劇作家が活動しておりますので」
馬車に乗り合わせた付き添いがそう教えてやるとドミニクはふん、と鼻を鳴らした。
「あの無礼な女から援助を受けた文化など、私が王になったら真っ先に潰してやる」
そうは口でいうものの、どんな劇を上演しているのか内容は気になったので耳をすませていたところ。
『決めた、お前を俺の婚約者にしてやる!』
役者の口から威勢のよい、どこかで聞いたことのある台詞が飛び出した。
「な……っ!」
『おお、なんということか!愚かな王子はこともあろうに麗しき淑女の腕を乱暴に掴むと、醜悪な笑顔で可愛らしい顔に悪臭の息を吹きかけるではないかっ!』
「おい、馬車を止めろっ!」
付き添いの者が止める間もなく馬車から飛び出したドミニクは聴衆を押しのけて舞台に駆け寄った。
「貴様、一体何をやっている!何だ、この舞台は!」
突然の闖入者に役者たちはぽかんとした表情を浮かべている。
「何って…『馬鹿のドミニカルロ』って喜劇でさあ」
「お貴族様、知らないんですかい」
「愚かで醜悪なドミニカルロ王子に求婚された麗しき少女レリカーナがあの手この手で婚約を逃れるって話、今大流行してる演目だから耳にしたことくらいあるでしょう?」
「し、知るか、王都ではそんな上演見たことないぞ!」
「ああ、そりゃモデルが馬鹿のドミニク王子だからじゃないですか?」
「流石に王都でやっちゃ馬鹿のドミニクの耳に入っちまうからねえ」
「案外気付かねえかもよ?ほら、ドミニク王子は馬鹿だから」
ははは、と役者や聴衆が笑い出す。
まさか目の前の人物が王子本人だとは夢にも思わない。
青ざめているのは追いついた付き添いの者である。
耳の後ろまで真っ赤にしたドミニクが激昂する。
「こ、こ、こんな舞台は今すぐ禁止だ!即刻国中で禁じてやる!」
「そりゃ無駄だと思いますがねえ」
舞台の袖から姿を現した人物が不敵な笑みを浮かべていた。
「『馬鹿のドミニカルロ』は今アーチボルドで大流行の演目だ。上演しているのはうちだけじゃない。この領の人間なら誰もが三回は見ている。同じネタを悲劇調にした『ドーミニケイロン』も流行しているし、登場人物の名前を変えただけの『愚か者の王子、ドミ』というのも最近人気が出ている」
付き添いの人間はこの男が王都でも有名な劇作家であることに気づいた。無論、ドミニクの素性についても察している筈であるのにこの発言である。
「吟遊詩人も小説家も最近はこぞってドミニク王子とレリア嬢をモチーフにした作品を創ってますよ」
「全部、王の命令で叩き潰してやる!」
劇作家は鼻で笑う。
「やれるものならやってみなさい。法で禁じても我々は抜け穴を探すでしょう。兵を動かせば隠れて広めるでしょう。火で攻められようが矢で射られようが、一度世に放たれた創造は二度と消えることはありません。小さくはなってもまたすぐに虎視眈々と機を窺い続けるのです」
この劇作家も当初は文化を保護してくれたセシリアと彼女の娘に報いる気持ちで『馬鹿のドミニカルロ』を著した。
だが美味しいネタであることも事実だった。
いつだって民は王侯のプライベートに興味津々だ。事実に基づいた皇太子の愚行など鉄板ネタといえる。
まして今はドミニク王子に鬱憤を溜めているものが多い。
創作という看板の下、本来なら敬意を表さねばならぬ相手を馬鹿にして嘲笑うことができるとなれば人気が出るのも当然だ。
今度、『馬鹿のドミニカルロ』を文章にした作品がシェフィールド領で本として発行されることになっている。あそこは大量に印刷する技術もあれば識字率も高い。
大きく儲けられるだろう。
レリアに会うことなく王都へ戻ったドミニクは直ちに王にこのことを報告した。
王はすぐさま王や皇太子を愚弄する創作を禁じる令を発したが、結果は劇作家の言う通り徒労に終わった。
舞台は演じられ続ける。
小説は書かれ続ける。
詩人は吟じ、歌手は唄い、道化は皮肉をたっぷり込めて踊る。
ドミニクがレリアに求婚した一件から半年も経つ頃には、最早王族の味方をする者などいなかった。
誰もが愚王とその皇太子のことを嘲笑い、憤慨した。
終いには創作から事の経緯を知った他国の王族も交流を中止したり、中にはセシリアの救出を大義名分として宣戦布告してくるものまで出てきた。
それらの国はアーチボルド・シェフィールド両家と一緒になって王都を包囲し、最終的に無血開城させた。
アーチボルド家の騎士に手を引かれて十月ぶりにセシリアは自由の身となったものの酷く衰弱しており、実家で娘と再会して間もなく命を落とした。
彼女の跡を継いで十五歳でシェフィールド・アーチボルド両家の当主となったレリアはその後、自然環境と文化の保護に努め、自由と平和の礎を築いていく。
ウェスリー王と皇太子ドミニクを悪役にした文学はその後も形を変えながら人気を博し続け、事件から千年以上経った今も彼らは歴史上最も愚かな者達として語り続けられている。
明日は休むかもしれません。




