第29話「自分だけの部屋」
段ボール箱は、思ったよりも軽かった。
蓮は左腕一本でそれを脇に抱え、伯父の家の玄関を出た。靴を履き替える間、箱を廊下の床に置いた。固定具で吊った右腕が、屈んだ拍子に胸の前で揺れる。左手の親指と人差し指でスニーカーの踵を引き上げ、立ち上がった。箱を拾い直す——と言っても、取っ手のない段ボールを不自由な左手だけで床から持ち上げるのは容易ではなかった。壁際まで足で押しやり、しゃがんで箱の底辺を壁に当てた。左の前腕を箱の下に差し入れ、壁を滑らせるようにして膝の高さまで持ち上げる。そこから左腕の内側に箱の重量を載せ、脇に抱え込んだ。左前腕の瘢痕が段ボールの角に擦れ、鈍い痛みが走った。
振り返らなかった。
十七年間暮らした家だった。物置部屋に布団を敷いて眠り、家族の食卓には自分の席がなく、存在しないもののように扱われた場所。そこから持ち出せるものがこの一箱だけだという事実を、蓮は何の感慨もなく受け止めていた。感傷が湧かないことに対する感傷もなかった。ただ、軽い、と思った。七十年の前世と十七年の今世を合わせた重量が、片腕で持てる程度だという——それだけの話だった。
門を出て角を曲がるまで、背後で物音はしなかった。見送りがないことは予想通りだったし、予想通りであることに対して何かを感じる必要もなかった。
五月の風が首筋を撫でた。住宅街の道を西に向かって歩く。夕方の光が低く、右の頬から額にかけてを斜めに照らしていた。蓮の影が左斜め後方に長く伸びている。
*
退魔局の寮は、本部棟の裏手にある三階建ての集合住宅だった。
外壁のモルタルが所々ひび割れ、非常階段の鉄骨は錆びて赤茶に変色している。築年数は三十年を超えているだろう。窓枠のアルミサッシは歪みが見え、二階の共用廊下には誰かが干し忘れたタオルが手すりに引っかかったままだった。
蓮に割り当てられた部屋は三階の角部屋だった。
外階段を上る。左腕に段ボールを抱えているため手すりは使えない。壁側に左肩を寄せ、一段ずつ足を置いていった。踊り場でコンクリートの壁に箱の角が当たり、中で何かが鈍く動いた。左前腕の瘢痕に箱の重量が食い込み、痛みが肘の内側まで昇ってきた。蓮は無視した。
三階の共用廊下は建物の東側にあたり、すでに自身の影に沈んでいた。西日は建物の反対側を照らしているはずだが、ここには届かない。薄暗いコンクリートの通路の突き当たりに、鉄のドアと「307」というプレートが見えた。蓮はドアの脇に段ボールを下ろした。壁に寄せるようにしゃがみ、左前腕から箱の重量を抜く。腕が軽くなった瞬間、瘢痕の鈍痛がかえって鮮明になった。立ち上がり、空いた左手をズボンのポケットに入れる。鍵を親指と人差し指で摘まみ出すのに十秒近くかかった。人差し指の微細な痙攣のせいで、鍵穴に差し込むまでにさらに数秒。金属が擦れる小さな音がして、ドアが内側に開いた。開いたドアを足で押さえたまま、再びしゃがんで段ボールを左前腕に載せ、脇に抱え直した。
六畳ほどの部屋だった。
入って正面に窓。西向き。今はカーテンが開いたまま、夕陽の橙が部屋の半分を斜めに切り分けている。左の壁にパイプベッド。右の壁に木製の事務机と椅子。ベッドには畳まれたシーツと毛布が一組、机の上には何もない。クローゼットは入口の右手、浅い奥行きの引き戸が一枚。天井に丸形の蛍光灯。消灯状態。床は薄いクッションフロアで、前の住人が残したらしい椅子の脚の跡がうっすら見える。
蓮は靴を脱がずに一歩だけ入り、部屋を見渡した。
異音なし。異臭なし。窓の外に不審な気配はない——七十年の戦場で染みついた索敵行動が、新居の六畳間でも自動的に発動する自分に、蓮はかすかな疲労を覚えた。ここは戦場ではない。もう、索敵してから部屋に入る必要はない。
——はずだった。
靴を脱ぎ、つま先でドアの内側に揃えた。左手で段ボールを部屋の中央、夕陽の境界線の上に置いた。箱の蓋は伯父の家で閉じたまま、テープで留めてある。
蓮は開けなかった。
中身は知っている。着替えが三日分。前世の記憶が曖昧になる前に書き留めておいたノートが四冊。洗面用具。それだけだ。十七年間の生活が一箱に収まり、なお隙間がある。蓮はその隙間を埋めようと思ったことがなかったし、今も思わなかった。
机の椅子を引いた。古い木が軋む音。座った。右腕の固定具が机の縁に当たり、位置を左手で微調整する。窓が正面にある。
六畳間の、何もない部屋だった。
物置ではなかった。誰かの余った空間ではなかった。ドアには307という番号があり、その番号に対応する鍵が蓮のポケットにあり、この部屋に入る権利を持っているのは蓮だけだった。
それだけの事実を、蓮は椅子に座ったまま、窓の外の夕焼けと一緒にしばらく眺めていた。
*
太陽が傾いていく。
窓から入る光の角度が下がり、橙が赤みを帯び始めた。段ボールの影が床の上で長く伸び、壁を這い上がっていく。蓮は椅子に座ったまま、左手を膝の上に置いて動かなかった。
静かだった。
伯父の家では、夕方のこの時間帯にはテレビの音が物置の壁越しに聞こえていた。夕食の支度をする食器の音。家族の会話。蓮のいない空間で営まれる生活の気配が、壁一枚を隔ててBGMのように流れていた。
ここにはそれがない。聞こえるのは、遠くで鳴る鴉の声と、階下のどこかで水道管が軋む低い音だけだった。
蓮は窓の外を見た。西の空が赤い。雲の底が燃え、建物の輪郭が黒く切り抜かれている。昨日、会議棟の廊下で見た夕焼けと同じ空だった。同じ空を、違う場所から見ている。昨日はあの空の下に「自分の居場所」があるのかわからなかった。今日、その場所にいる。わかったかと問われれば、まだわからない。
ただ——
蓮の視線が、窓の外から手元に落ちた。膝の上に載せた左手。親指の付け根に細かい震えが走っている。薬指は完全に沈黙したまま動かない。中指は圧力だけを伝え、温度を伝えない。
この手で、ひよりの結界に触れた。この手で、魔法陣を描いた。この手で、厳山の首に手を伸ばし——引き上げた。
壊れかけの五本の指で、やれることをやった。それは自分一人の力ではなかった。
蓮は目を閉じた。
瞼の裏に、夕陽の残像が薄く焼き付いている。その光の中に、見たことのない——いや、七十年前に最後に見た顔が、浮かぶわけではなかった。蓮の記憶はそこまで甘くない。エルマの顔はとうに輪郭を失い、声は音程を失い、残っているのは「あの瞬間にエルマが何を言ったか」という言葉の記録だけだった。
——師匠。ここは私に。
あの時、蓮は頷いた。エルマの判断を信じたのではない、と当時の蓮は思っていた。戦況を分析し、エルマの提案が最善手であると計算した上で許可した——そう自分に説明していた。だがそれは嘘だった。計算が追いつかない局面だったことを、蓮は知っていた。九十五パーセントの確信しか持てない盤面で、残りの五パーセントをエルマの直感に委ねた。信じたのだ。そして、エルマは死んだ。
七十年間、蓮はあの五パーセントを許せなかった。
自分の計算で百パーセントに到達できていれば、エルマを送り出す必要はなかった。自分の判断の死角を他者で埋めようとした——その怠慢が、エルマを殺した。そう結論づけて、蓮は以後すべてを一人で背負うことを選んだ。他者の判断を信じない。他者に委ねない。百パーセントを自分の手で達成する。それが、あの五パーセントに対する蓮の贖罪だった。
——だが。
蓮は瞼を閉じたまま、膝の上の左手を見ていた。見ていないが、感じていた。震える親指。沈黙した薬指。
ひよりは、蓮の計算の延長線上にはいなかった。
蓮の論理では予測できない行動をし、蓮の分析が及ばない角度から結界に触れ、蓮が組み立てた百パーセントの外側から手を伸ばしてきた。蓮はそれを受け入れた——受け入れざるを得なかった。そして、生き延びた。
エルマは蓮の判断の内側にいた。蓮の論理を補助し、蓮の死角を埋める存在だった。蓮はそれを「信頼」だと思っていたが、実際には自分の計算の一部としてエルマを組み込んでいたにすぎなかった。エルマの判断を「信じた」のではなく、エルマの判断が「自分の計算と一致した」から許可した。それは、信頼ではなかった。
ひよりは違った。
蓮の計算と一致しない判断を、蓮は受け入れた。一致しないまま、背中を預けた。そしてそれが——機能した。
あの五パーセントの意味が、七十年を経て、ようやく変わり始めている。
エルマの判断は、間違っていなかったのかもしれない。間違っていたのは——エルマを自分の計算の内側に閉じ込めた、蓮の方だったのかもしれない。
声には出さなかった。喉の損傷がそれを許さないという以上に、声にする必要がなかった。七十年間、蓮の頭の中だけに存在し続けた弟子に対して、蓮の頭の中で語りかけた。
——エルマ。
窓の外の空が赤から紫に変わり始めていた。太陽が建物の稜線に沈みかけている。
——お前の判断は、間違っていなかった。
それは赦しではなかった。後悔が消えたわけでもなかった。エルマが戻ってくるわけではないし、あの戦場が塗り替えられるわけでもない。ただ、七十年間動かなかった何かが、ほんの少しだけ——位置を変えた。岩が砕けたのではなく、岩の下の土が数ミリだけ緩んだ。その程度の変化だった。
だが蓮にとって、その数ミリは——七十年ぶりの地殻変動に等しかった。
目を開けた。
部屋は薄暗くなり始めていた。夕陽の直射光は失われ、窓の外に残照の紫が滲んでいる。段ボールの影は消え、部屋全体が均一な薄闇に沈みかけている。蓮は蛍光灯を点けなかった。左手を膝から持ち上げ、親指で右のこめかみを一度押した。右端の視界が滲んでいる。いつもと同じだった。
何もない部屋だった。
物置ではない。戦場の拠点でもない。六畳の、誰にも使われていなかった空間に、蓮の段ボールが一つだけ置かれている。
それが今の蓮のすべてだった。そして——それで十分なのかもしれないと、蓮は初めて考えた。
*
三回、ドアが鳴った。
控えめだが迷いのないノック。蓮は椅子から立ち上がった。右腕の固定具が体の前で揺れる。薄暗い部屋を横切り、ドアの前に立つ。左手でドアノブを掴み、手前に引いた。
共用廊下の蛍光灯が、ドアの隙間から白い光を室内に差し込ませた。
神楽坂ひよりが立っていた。
プラチナブロンドのボブカットが廊下の蛍光灯を反射して、白に近い光沢を帯びている。琥珀色の瞳が、薄暗い室内の蓮を真っ直ぐに見上げていた。左手にコンビニの白い袋を下げている。頬の輪郭は、数週間前の消耗の痕跡をまだ微かに残していた。肉が完全には戻りきっていない。だが立ち姿に揺らぎはなかった。
「電気くらい点けたら」
蓮は何も言わず半歩退いた。ドアが広がり、ひよりは迷わず室内に入ってきた。入口の蛍光灯のスイッチを、ひよりの指が迷いなく押した。丸形の蛍光灯が一瞬ちらつき、白い光が六畳間を照らし出した。段ボールが一つと、引いたままの椅子と、シーツの畳まれたベッド。それだけの部屋が露わになる。
ひよりの視線が室内を一周した。何も言わなかった。蓮の荷物の少なさに対する反応は、表情にも声にも出さなかった。その沈黙が、蓮にとっては余計な憐憫よりもはるかに居心地がよかった。
ひよりはコンビニの袋を机の上に置いた。
「差し入れ。おにぎりと、お茶と、あと——」
袋の中を覗き込む素振り。
「あ、箸忘れた」
「……要らない」
掠れた声だった。短く、低く、喉の奥で砕けるような発音。蓮は袋の中身を左手で探り、おにぎりのパッケージを一つ取り出した。コンビニの三角おにぎり。机の上に置き、左手の親指と人差し指で中央のテープの端を摘まもうとした——人差し指が痙攣して、フィルムの端を掴み損ねた。二度目で摘まみ、テープを引き下ろす。机に押さえつけたまま左右のフィルムを一枚ずつ剥がしていく。海苔がずれた。親指の腹で押し戻しながら、最後の一枚を引き抜いた。海苔の匂いがした。
ひよりは蓮の手元を見ていた。手を出さなかった。
その距離感を、蓮は正確に認識していた。手伝おうとしない。かといって目を逸らしもしない。壊れかけた左手がおにぎりの包装と格闘するのを、ひよりはただ見ていた。
蓮は机からおにぎりを取り上げ、左手で口に運んだ。米の味がした。腹が減っていたことに、噛んでから気づいた。
ひよりは窓辺に寄り、カーテンのない窓の外を見た。空はもう暗い。残照は地平の際に薄く赤い線を残すだけで、寮の向かいに見える本部棟の窓にいくつか明かりが灯っている。
「……ここ、西向きなんだ」
「ああ」
「昨日の会議棟の廊下と同じ方角」
蓮は咀嚼しながら、ひよりの後頭部を見た。プラチナブロンドの毛先が、襟足のあたりで不揃いに切り揃えられている。自分で切ったままだった。
「蓮」
ひよりが振り返った。廊下の蛍光灯と室内の蛍光灯。二つの白い光源に照らされて、ひよりの顔に影がなかった。琥珀色の瞳が、何かを確かめるように蓮を見ている。
「次、何かあったら——最初から一緒に行く」
要求だった。依頼でも提案でもなく、宣言に近い語気だった。かつてこの声の持ち主は、蓮に道具扱いされて激怒した。蓮の計算に組み込まれることを拒絶した。その同じ声が、今、蓮の隣に立つことを自分の意思で選んでいる。
蓮はおにぎりの最後の一口を飲み込んだ。
「……好きにしろ」
同じ言葉だった。昨日、燐太郎に返した言葉と同じ。だが蓮自身、その短い言葉に含まれる温度が昨日とは違うことを——わずかに、自覚していた。
ひよりの口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかどうか、蛍光灯の光では判別がつかなかった。
「じゃあ、そういうことで」
ひよりは袋の中からペットボトルのお茶を一本取り出し、机の上に立てた。残りは袋ごと置いたまま、入口に向かった。
「おにぎり、もう一個入ってるから」
「……ああ」
ドアが閉まった。共用廊下にひよりの足音が遠ざかり、階段を降りていく軽い靴音が、コンクリートの壁を伝って聞こえた。三階から二階へ。二階から一階へ。足音が消えた。
蓮は蛍光灯の下に立っていた。机の上に、ペットボトルと白い袋。右腕は固定具の中で沈黙し、左手の指先にはおにぎりの包装フィルムの感触が残っている。
何もない部屋だった。段ボール一つと、差し入れの袋一つ。
蓮は椅子に座り直した。窓の外は暗い。自分の顔が、窓ガラスにうっすらと映っていた。蛍光灯の白い光を浴びた、光のない黒い瞳。何かを考えているようにも、何も考えていないようにも見える顔だった。
呼吸を一つ置いて、蓮はペットボトルに左手を伸ばした。椅子に座ったまま、両膝でボトルの胴を挟んで固定する。左手の親指と人差し指でキャップの溝を挟み、回す。指が震えた。力が逃げる。二度、三度と握り直し、ようやくキャップの封が切れた。さらに数回転。キャップが外れ、蓮は左手でボトルの首を掴んで膝から引き抜き、口元に運んだ。冷たい液体が、損傷した喉の粘膜を通過していく。微かな痛みと、それを上回る渇きの解消。
——好きにしろ。
自分の言葉が、頭の中で反響していた。
七十年前の蓮なら、そうは言わなかった。「状況次第で判断する」と言ったはずだ。あるいは「不要な戦闘には巻き込まない」と。すべてを自分の制御下に置こうとした。すべての変数を自分の計算に組み込もうとした。
今日、蓮は——好きにしろ、と言った。ひよりの判断を、蓮の計算の外側に置いたまま、受け入れた。
それがどういう意味を持つのか、蓮はまだ正確には整理できていなかった。だが整理できないことが——不快ではなかった。昨日の夕焼けの中で感じたのと同じ種類の、名前のつかない温度だった。
*
スマートフォンが鳴ったのは、蓮がペットボトルを膝に挟み直し、左手でキャップを嵌め戻して机の上に戻した直後だった。
振動が机の木の表面を伝い、ペットボトルの水面が小さく揺れた。蓮はポケットから端末を取り出した。画面に表示された名前を見た。
御影燐太郎。
蓮は左手の親指で通話ボタンを押し、端末を左耳に当てた。
「——朝霧」
燐太郎の声は低く、硬かった。いつもの挑発的な色がない。通話越しの音声に、周囲の喧騒が混じっている。複数の足音。誰かが指示を飛ばす声。廊下を走る靴の音。
「……何だ」
「厳山が消えた」
蓮の左手が、スマートフォンを持ったまま止まった。
「特別拘置所の結界が——内側から崩壊していた。監視班が異常を検知して突入した時には、もう中にいなかった」
蓮は何も言わなかった。窓ガラスに映った自分の顔を見ていた。蛍光灯の白い光の下で、黒曜石の瞳に浮かぶ表情が——数秒前とは、まるで別のものに変わっていた。
「詳細はこれから調査する。だが——」
燐太郎の声が、一瞬だけ途切れた。
「——嫌な予感がする」
蓮は窓の外を見た。暗い空。星は見えない。本部棟の窓の明かりが、いくつか増えていた。
「……わかった」
三文字だった。掠れた声が、蛍光灯の下の六畳間に落ちた。
通話が切れた。
蓮はスマートフォンを机の上に置いた。画面が暗くなり、部屋に蛍光灯の光だけが残った。
何もない部屋だった。段ボール一つ。差し入れの袋。飲みかけのペットボトル。窓の外の暗い空。
蓮は椅子から立ち上がった。
固定具の中で沈黙する右腕。震える左手。掠れた喉。滲む右端の視界。
それでも——立ち上がった。
壊れかけた体で、蓮は窓の前に立った。暗い空を見ていた。その目に、まだ光の螺旋は灯っていない。灯す必要はない。今はまだ。
だが蓮の左手は、無意識に拳を——作ろうとしていた。親指と人差し指だけが応え、中指と薬指は沈黙したまま、小指だけがわずかに震えながら掌に触れた。
不完全な拳だった。
蓮はそれを見下ろし、見下ろしたまま——握り直さなかった。
これでいい。完全である必要はない。
窓の外で、本部棟の明かりがまた一つ増えた。




