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ドリームランド

TVの中のバスジャック

作者: 村街マイク
掲載日:2026/03/22

 街灯の下で遊ぶ子供たちの声が、網戸越しに部屋へ流れ込んできた。テレビの音声を消したまま、蓮はK・ヤイリのフォークギターを抱える。

 クリップチューナーの液晶を眺めながら調弦を済ませ、折り目一つないタブ譜を足裏で押さえた。『天国への扉』と書かれた文字を追う。


 このタブ譜は、髪を肩まで伸ばした男の店員に勧められて購入したもので、誰の曲かも知らなかった。店員は壁に飾ってあるギターを手に取り、目の前で弦を爪弾いた。黙っていると演奏を止めて首を横に傾けた。蓮は一度頷いて、一呼吸の間を空けてから三度手を叩いた。

 店を出る際、店員は片目を閉じ、ピック三枚を握らせてくれた。


「ついに買ったのか? いくらしたの?」

 大樹が呼び鈴も鳴らさずに部屋に上がってきた。手に食いかけのえびせんを持っている。

「十七万」

 大樹はベッドに腰を下ろし、えびせんを噛んだ。

「よく働いたね」

「年齢誤魔化してな」

 

 深夜の倉庫で荷下ろしの日々。その結果、ギターを手にすることができた。高校二年の夏休みに残ったのは、筋肉痛と作業仲間の見え透いた猥談、そしてま新しいギターだった。


「腹減った、なんか無いの?」

「えびせん食ってろよ。というか家で食ってこい」

「二人で食べた方が美味しいだろ? ところで、おばちゃんは?」

「夜勤」

「女手一つで頑張るねぇ」

 大樹はキッチンに消えた。水道の蛇口を捻る音がして、コンロの点火音が響く。

「換気扇つけてくれよ」

「豚骨もらうぞ」


 今日、蓮は正午過ぎに目を覚ました。台所の椅子に座った母親が、顔の上に落書きを施しながら声をかけた。

「今日は夜勤だからね」

「今日も、だろ? 大変だね。まだ昼間なのに今から夜勤なんて」

 母親は顔を叩く手を止めて両頬を膨らませた。

「大丈夫、綺麗だよ、母さん」

 蓮はトイレのドアを開けたままで放尿をした。その音が部屋に響く。


「おばちゃんは何時くらいに帰ってくるの?」

 大樹はカップ麺を手にベッドに腰を沈めた。

「さぁ、どうせ男のところだろうから。帰ってこないんじゃないの?」

「母親も所詮は女ですからね、大目に見てやりなさい蓮君」

 

 テレビにはずっと変わらない映像が張りついていた。投光器がバスを白く照らし、どのチャンネルも画角が違うだけで同じ光景。バスは高速のパーキングエリアに停まって動かない。『現在この付近は封鎖されています』とテロップが流れ続けていた。


「このバス、いつまで休憩してるんだよ」

 大樹は箸を割って麺を持ち上げて啜った。蓮はカップ麺の匂いにむせ返る。

「この暑さの中、よく食えるな?」

「腹が減っては戦はできぬ!」

 蓮の抜け殻の胃袋が、不意に怒鳴りつけた。

「まだ湯は残ってる?」

「ない」

「そう、ならいいや」


 蓮は台所のテーブルにあった食パンを何もつけずに口に入れ、冷蔵庫から低脂肪牛乳を取り出して飲み込んだ。手の甲で口を拭い、ギターの待つ部屋に戻る。


「まだ遊んでるよ、子供は元気だね」

 大樹がベランダの手すりに体重を預けながら見下ろしていた。街灯の下で四人の子供がゴムボールを蹴っている。幼い少年と少女がパス回しをしているようだが、ボールは相手の足下に転がらない。逸れたボールを、残り二人の少年少女が追いかける。幼い少女が手を振ってゴムボールを要求する。

「もうすぐ二十二時だぞ」

 蓮の一言に大樹は片側の口角を上げた。

「俺らも夜遅くまで遊んでたよな」

「あの頃は、何も知らずに楽しかったな」

 二人は黙ったまま、ゴムボールを追う少年の背を見つめ、生暖かい夜風を肺に落とし込んだ。


 蓮は手を頭の裏で組み、ベッドに仰向けになった。天井にはトレインスポッティングのポスターが貼ってあった。大樹は胡座をかき、空になったカップの中に割り箸を折ってゴミ箱に捨てる。

「ベトナムだっけ? 行きたいと思ったことある?」

 蓮は主演俳優と目を合わせたまま答える。

「フィリピンだよ、そろそろ覚えてくれ」

 大樹が開かれたままのタブ譜を捲った。

「知ってるよ、わざとだよ」

「やめろ、その話はもうよせ」

「ベトナムでもフィリピンでも、俺にとっては一緒。お前は蓮だよ」

「そう言われても、傷つくんだ」

「そうか、ならごめん」

 蓮はベッドから起き上がり、ギターを抱える。大樹はえびせんの袋の中を確かめてから、丸めてゴミ箱に投げ入れた。ゴミ箱からは袋の軋む音がした。


「今日さ、彼女と遊んで帰りが少し遅くなったから、家の前まで送っていったんだ」

 蓮は左手でコードを押さえながら相槌を打つ。

「金持ちのお嬢様だとは思ってたけど、想像を超えていた。タワーマンションってやつ? 塔みたいでさ、そのまま入って行くんだよ。最後に振り返ってさ、手を振ってくれたんだ」

「カラオケボックスで声を掛けたあの子だよな?」

 指で次のコードをなぞる。

「そう。今度遊びにおいでよ、家族に紹介するから、って笑っていた。俺はまだ早いよ、って濁したけど聞こえてなかっただろうな」

「住む世界が違うな。五階建てのボロ団地の俺たちとは。お前、知ってるか? どうして五階建てなのか?」

「どうして?」

「建築基準法みたいな何かで、五階まではエレベーターの設置義務がないんだとさ」

 大樹がテレビのチャンネルを切り替えても、バスは停まったままだった。


「世の中、不公平だよ。誰のせいで後ろめたく生きなきゃいけないんだ?」

「両親だよ」

「金持ちの息子が良かったな」

「生まれてきたことに感謝しろ」

「お前本気で言ってるのか?」

「なわけないだろ」


 蓮は台所からヤカンとグラスとマグカップを持ってきた。マグカップに麦茶を注いで大樹に手渡す。

「冷たいのはないのか?」

「ない」

 グラスの麦茶は牛乳の残りで薄く濁る。それを大樹に隠すようにして飲み干した。


 大樹の彼女に声をかけたのは蓮だった。女たちは簡単についてきた。大樹と彼女がデュエットをする傍らで、もう一人の女が蓮の耳元で囁く。

「蓮君、綺麗な顔してるね」

 女はストローを噛みながら、無言で言葉を待っているように見えたが、蓮は何も返さなかった。別れ際に連絡先を交換したものの、届いたメールを開かず消去し、それきり連絡は途絶えた。


 大樹は二杯目の麦茶をマグカップに注いで床に置き、ヤカンを蓮に向ける。蓮はグラスを差し出す。

「ようやく、外の連中も帰ったみたいだ」

「ネグレクトだな。菓子パンでも差し入れしてやるべきだったか?」

「あるの?」

「ないよ」

 大樹が蓮の肩を小突いた。タブ譜を目で追い、グラスを持った手で叩かれなかった方の肩をさする。


「どうしてエレキじゃなくてフォークなの?」

「バンドは組みたくないから」

「蓮は将来、大物ミュージシャンか?」

「あぁ、それでこの三階から塔の天辺に引っ越す」

「その時は、手伝ってやる」

 大樹が右の拳を固め、突き出す。蓮は小さく鼻先を鳴らして拳をぶつける。指の節に痛みが走った。

「学校辞めるのか?」

「そのつもりだけど」

 蓮はコードを最初から押さえ直す。

「なら俺は彼女と別れようかな」

「どうして?」

 指を滑らせて次のコードに移る。

「釣り合わないから」

「今を楽しめばいいのに」

「刹那すぎないか?」

「貧乏人の特権だよ」


 静止していたテレビ画面に、変化があった。

 バスのドアが開き、三人が飛び出してきた。カメラがその中年女性三人の顔に寄る。花柄のシュシュで髪を纏めた女が躓いた。二人は制服を着た男たちに囲まれ、バスから離されていく。シュシュの女は近寄る制服の男に、しがみついて動かなかった。男は女を引き摺るように、増援と共に画面の端に消える。映像が切り替わり、レポーターの口が動いた。


 大樹がテレビの音を上げた。男のレポーターが唾を飛ばしながら早口で捲し立てている。 

「三名の人質が解放されました。繰り返します、三名の人質が解放されました」

 蓮はピックを親指と人差し指の腹で撫で、レポーターの次の言葉を待つ。

「解放された人たちに怪我はありません。解放された方の話によりますと、犯人は拳銃を所持している模様です。なお、乗客に危害を、まだ加えていないそうです」

 大樹は空のマグカップを覗き込んでいた。

「人質はトイレとか、どうしてるんだろうな?」

「我慢してるか、漏らしてるんじゃないか?」

「サービスエリアなら、トイレくらい行かせてやればいいのにな」

「そうだな、飲み物もついでに買ってきてもらえばいい」

 大樹が並びの悪い歯を覗かせる。蓮はピックを持ち直す。

「この国でも拳銃なんて手に入るものなんだ?」

「犯人が持っているなら、そういうことだろ?」


 大樹は、犯人が一人なら、一か八か窓から逃げればいいのにと、呟いた。蓮はギターを置いて立ち上がり、ベッドから枕を取り上げる。もとは白く、紺色の小さな水玉模様がプリントされていた。今は黄ばんで所々擦り切れ、穴が開いている。蓮は枕を尻に敷いてギターを抱え直す。

「お前なら逃げるのか?」

「もちろん、それで全国ネットデビューだぜ」

「俺は、留まるだろうな」

「学校には留まらないのにか?」

 蓮は耳を掻き、聞こえない振りをして話を続ける。

「最後、どうなるか確かめたくないのか?」

「卒業しようぜ、高校くらい」


 蓮はヤカンを持って台所に向かった。その後ろに大樹もついて来る。ヤカンを濯いでコンロに掛けようとしたが、底が濡れたままで火が点かなかった。布巾でヤカンの底とコンロを拭いてやると青白い炎が乗る。

「俺ブラックで」

「コップ持って来いよ」


 大樹が部屋に戻っている間に、棚から一つ取り出した。飲み口が欠けていた。インスタントコーヒーの蓋を開けて直接マグカップに粉末を落とし入れる。戻ってきた大樹がマグカップをテーブルに置いた。

「ストップって言えよ」

「ストップ」

「薄っ!」

 大樹のマグカップの底は小匙半分ほどの粉末が麦茶の残りと混ざり、コールタールのような光沢を発した。

「いいな、お前の家にはヤカンが二つもあってさ」

 蓮は流しの下にある戸を開き、うっすらカビ臭く角の潰れた箱を取り出して床に転がした。

「やるよ。持って帰れ」

「いいの?」

「いいよ。使ってないから」

「サンキュー。俺専用のヤカンにするよ。でも本当にいいの?」

「いいよ、昔の福引きの景品だから」


 鳴くヤカンの火を消して大樹のマグカップに湯を注ぐ。

「ストップって言えよ」

 マグカップに湯が溜まっていく。蓮は半分を過ぎたところで手を止めた。

「おい、ストップって言えよ」

「あとすこし。ストップ」

 大樹のブラックは麦茶よりも淡い色をしている。蓮は自分の分にも湯を少しだけ注ぎ、箸でかき混ぜてから低脂肪牛乳を足した。


 テレビの中は慌ただしく動いていた。

「犯人は人質を解放しています。解放された方たちは疲労の色は見えますが、みな無事です」

 大樹は口を尖らせてブラック擬きを啜りながら、上目で画面に視線を送る。蓮は飲み終えたマグカップをグラスの横に並べる。二つが触れ合った。覚えたコードを順に押さえていく。レポーターに一枚の紙が手渡される。

「今、入ってきたばかりの情報によりますと、犯人の要求は総理大臣を連れて来いとのことです。なお現在も犯人へ投降するよう説得が試みられています」


「総理大臣が来るわけないよな?」

 大樹はヤカンの入った箱を鼻につけた。目尻の横に皺を寄せる。

「来たら面白いけどな」

 蓮はコードを手早く順に押さえ込む。

「おい、犯人出てきたぞ」

 テレビ画面いっぱいに拳銃を持った男の姿が映し出された。右手に黒い拳銃を、左手には菓子パンを持っている。周りを見渡すと、出てきたばかりの乗降ステップを引き返した。

「あのパンは何パンだと思う?」

「あんぱん」

「粒? それともこし餡? どっち?」

「白餡」

 大樹は肘を枕に横になり、欠伸をした。

「眠いなら帰れよ」

「まだ、いいや。帰って欲しいの?」

「別に。どちらでも」


 犯人の要求が通らないまま時間が過ぎた。蓮は左手の動きを見つめながら繰り返しコードをなぞり、大樹は肘枕を崩しうつ伏せで寝息を立てている。テレビから乾いた破裂音がした。蓮はコードなぞるのを止める。犯人が夜空に発砲した直後だった。


「もういい、うんざりだ」

 犯人の声だった。

「まだ若いからやり直せるだと? じゃあ幾つならやり直せないんだ! 教えてくれよ。クソが。その理屈ならジジイババアは手遅れだろ。生きてる価値なんてないだろ? ふざけるな。この国は間違っている、間違いだらけだ。不幸を不幸と気づかされないように誘導している。管理してやがる。俺もお前らも全部間違ってるんだよ!」

 蓮は大樹の肩を揺する。大樹は細い目を蓮からテレビへと移した。

「どういう状況なの?」


 犯人は盾を構えた制服の男たちに向けて拳銃を放り投げた。拳銃は盾に弾かれて地面に転がり、バス周りの男たちが一斉に犯人へ飛びかかる。犯人は無抵抗のまま男たちに押し潰された。

「終わったか、じゃあ帰る」

 大樹は身を起こし、目を擦る。蓮はテレビのコンセントを抜く。

「なぁ。蓮」

「何?」

「どうして、弦を弾かないの?」

「常識的に考えて近所迷惑だろ」

 大樹は体を捻って骨を鳴らした。

「ヤカン持って帰れよ」

「忘れてた。サンキュー」


 大樹はヤカンの入った箱を脇に抱えて玄関に向かった。蓮は枕に座り、指先でギターの弦に触れる。弦は音を立てず、細く揺れた。

「学校に来いよ、お前がいなきゃ俺の青春が、二割引きになるからな」

「あぁ」

 玄関の扉が閉まる音がした。蓮は最初のコードを押さえて弦を弾く。歪な和音が部屋に響いた。もう一度、弾く。その音は足並みを揃えていた。

 

 




 







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