第6話:決行の日
決行の日は、虹乃そらの誕生日記念配信。一年で最も多くのファンが集い、最も多くのスパチャが飛び交う日だ。栞の部屋。パソコンのモニターの前で、一人と一幽霊は固唾を飲んでその時を待っていた。栞が近所のコンビニで買ってきたプリペイドカードのコードは、すでに入力済みだ。
『……栞ちゃん、本当にありがとう』蓮がペンを走らせると、栞は「いいってことよ」とぶっきらぼうに答えたが、その耳は少し赤かった。
午後九時。配信が始まった。画面に映し出されたそらは、今日のために用意された特別な衣装に身を包み、いつも以上に輝いて見えた。コメント欄は「おめでとう!」の弾幕で埋め尽くされている。
「みんなー!そらの誕生日、お祝いしに来てくれてありがとう!」そらは満面の笑みで手を振る。だが、その笑顔の裏に、ほんのわずかな翳りがあるのを、蓮は見逃さなかった。
配信は歌やファンからのメッセージ紹介で進んでいく。そして、終盤に差し掛かった頃、そらは少しだけ俯いて、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「みんな、本当にありがとう。正直ね、最近、もうダメかもしれないって、くじけそうになることも多くて……。私なんかがアイドルを続けてて、意味あるのかなって。でも……こうして誕生日を祝ってもらえると、もう少しだけ、頑張れる気がします」そらの大きな瞳に、きらりと涙が浮かんだ。
『……今だ』
蓮の声なき声に、栞が頷く。震える指で、マウスをクリックする。金額「¥10,000」のボタンが、赤く反転した。次はメッセージだ。蓮が、この日のためにずっと、ずっと考えてきた言葉。
『栞ちゃん、お願い』「わかってる」
栞は、蓮の想いを乗せて、キーボードを叩いていく。
【そらちゃん、いつも本当にありがとう。あなたの歌声と笑顔が、僕のすべてでした。これからもずっと、一番星みたいに輝いていてください。約束、果たしに来たよ。 レンより】
最後のエンターキーが、押される。刹那、配信画面のコメント欄に、ひときわ鮮やかな赤い帯が、ゆっくりと流れ始めた。
その瞬間、チャットの喧騒が嘘のように静まり、そらの目が、画面の隅に表示されたその赤スパに釘付けになった。
「え……?」そらは、メッセージをゆっくりと、一言一句噛みしめるように読み上げた。
「……レンさん……?赤スパ、ありがとう……!」そして、最後の一文に辿り着いた時、そらの声が震えた。「『約束、果たしに来たよ』……?」そらの脳裏に、数ヶ月前の、あるリスナーのコメントが鮮やかに蘇った。確か、3Dお披露目の日。無数のコメントの中にあった、ささやかな約束。
「……覚えてる。覚えてるよ……!『次、初スパチャします』って……言ってくれた……!」
そらの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。それは、悲しみの涙ではなかった。
「レンさん……!ありがとう、本当に、本当にありがとう……!届いてるよ!あなたの応援、ちゃんと、ちゃんと私に届いてるからね……!」
嗚咽を漏らしながら、画面の向こうにいるはずの「レン」に、何度も、何度も感謝を告げるそら。
その時だった。蓮の身体が、ふわりと淡い光に包まれ始めた。足先から、ゆっくりと光の粒子に変わっていく。成仏の時が来たのだ。満たされた。僕の想いは、確かに届いた。もう、この世に未練はない。
『栞ちゃん、ありがとう』蓮は、涙でぐしゃぐしゃの栞に向かって、最高の笑顔で言った。栞の目にも、大粒の涙が浮かんでいる。「当たり前じゃん……ダチ、だろ……」栞は、鼻をすすりながら、そう答えた。
蓮は、涙ながらに「ありがとう」を繰り返すそらの画面を、愛おしそうに見つめた。
「そらちゃん……ありがとう……」
それが、夜桜蓮の、最後の言葉だった。彼の霊体は完全に光の粒子となり、きらきらと輝きながら、栞の部屋の窓から夜空へと昇っていった。まるで、一つの流れ星のように。