牛マン2018
「はらいてー」
「それアイスのせいやろw肉全然食ってなかったし」
華やかなクリスマスがあっけなくおわったと思えば突然新年がすぐそこまで迫ってきている感覚には、いつまで経っても慣れない。年末年始の空気感はなぜだか好きになれなくて、みんながいるリビングの中の時間がわけもなく引き伸ばされているような、暖房のきいた部屋との共感覚なのか、いやに弛緩した雰囲気が流れている気がするから。
でも今回は家族と年を越すよりも先にこうやって友達と焼き肉食べ放題を囲みながら2017年を清算する機会があったから、いつもより感じる寂しさや焦燥は少ない。
それぞれが上着を着こんでカラフルになった小学生の集団が、ドカッと店の外へ流れ出す。駐車場を照らす街頭の周りには、凍ったような空気が白い光を通して透けている。みんなは冬休みの予定とか一緒にゲームをする予定とかで話す口が止まらないようで、その分の吐息がこどもたちの頭上に雲のように集まって、どこかへ流れていくのが面白かった。騒がしいみんなを少し遠巻きで眺めつつ、ふと店内のレジへ目をやった。だいたい20人分くらいの会計をやっているのは普段おちゃらけキャラの植木で、みんなから集めたお札と小銭をまだ小さい手で整えて店員さんに渡しているところだった。ぼくは冷静な頭で、「あれだけの会計をあんな量の小銭を使ってやるのは、大人がやるなら冷やかに思われても仕方ないよな。」なんて心の中でつぶやいた。そのぶん店員さんの顔がしかめっ面だったらどうしようと思って、植木の顔から上はなかなか見る気になれなかったが、意を決して目線を上にあげた。大学生くらいの若い男の店員さんがレジ打ちをしていて、きまりの悪そうな植木に対してしかめっ面どころかやさしく微笑んで見せていた。それを見た僕は、しょせん他人事なんだけど少し心が軽くなった。この軽くなった分の重さが、僕のやさしさなのかも、と思った。
ようやく植木が店を出て僕らに合流すると、すこしずつ話し声が下火になっていたみんなが再び沸いた。植木の表情はそのとき久しぶりに緩んだのだった。
「2学期おつかれさまー!また来年会おう」
「よいお年をー」
「ねぇ今日ママの車なんだけど乗って帰らない?」
てのひらについたシャンプーの泡がシャワーにだんだん流されていくように、みんなは各々の帰り道を歩き出した。あるいは自転車で、あるいは車にのって。かくいう僕は、いまだに帰途につく気持ちになれないでいた。いままで子供だけでこんな夜遅くまで遊んだことはなかったから、何か悪いことをしたあとのようなうしろめたさもあったし、ただ単にこの思い出をまだ思い出としてしまい込みたくなかったのもある。僕は帰り道が同じ植木と一緒に帰ろうと思ったが、あいつは今トイレにいるのでそれがここで突っ立っておく口実にもなっていた。きづけばこの場にはせいぜい5人ほどしかいなくなっていた。なんだか寂しくなって、かえって友達と話すのが恥ずかしくなってきたから、僕だけで店の周りを歩いてみることにした。中にはまだほかのお客さんがいて、おばあさんとその娘、そして孫らしい男の子が三人で時折燃え上がる炎をみていたり、また別のテーブルでは眼鏡をかけた小太りのサラリーマンが肉の乗った茶碗をかきこんでいたりした。6年生になってから、特に最近、他人の人生が自分のものみたいにリアルに感じられるようになった気がする。泣いたり笑ったりした記憶が着実に積もって自分を作っていくのだろうと思った。
気が付くと店の裏にあるごみ捨て場にまで来ていた。それまで室内の光や人の動きに紛らされていたが、21時にたった一人でいることは、十分こわいことだったと思い出した。オレンジ色の照明は途絶え、換気扇の音だけがやたらおおきく聞こえ始めた。僕はそろそろ植木も戻るだろうと思って踵を返そうとした。
その時、ほとんどごみ捨て場から目を離し切ったところで、視界の隅で何かが動いた。有機的な動きのように感じられた。とっさに振り返ると、黒く光る不透明なごみ袋の中で生きた何かがうごめいているのがわかった。ごみ袋も、中のものも、おそらく相当大きい。1メートルはあるだろう。なにかやばい!と思いつつもそれへの興味が止められず、きづけば歩き出していた。ほんの数メートルのところまで近づいたとき、ガタン!と勝手口のドアが開いた。突然の音に驚いて、慌てて勝手口からの死角に逃げ込んだ。別にその正体はただの店員さんだろうからなにも恐れる必要はないはずなのだが、ごみ袋の中の正体が想像つかないだけに、中身を知ろうとすること自体が望まれないことなのではないかと思えた。店員は適当にごみ袋を投げ込んでまた中へ戻っていった。そのときたしかに、あの動く袋のほうから「グギェ」という甲高い声のような音が聞こえた。そのとき何か正義感に駆られて、袋の中身を保護するべき小動物だと思い込んでいた。
そっと近づいて、袋の結び目をそっとほどく…
「ギャンアアアー」
か細い声でそう叫んだのは、まぎれもない子牛…かと思われたが、背中はまるで人間のそれであった。牛の手足と顔、そして尻尾がついているが、人間の胴体から生えるそれらはまるで着ぐるみの一部のように見えた。
「牛人間」の顔をよく観察すると、普通の牛の顔よりも人間の顔の構造に若干近いような気がする。鼻は低く、目は正面に向きかけている。なにより、唇と思われる薄いピンクの皮膚が口元に備わっていた。
気持ち悪い。でも不快には感じなかった。中身を知覚してもなお、この子を助ける義務が自分に宿っている気がした。
気味の悪い半人半牛にそっと歩み寄り、ポケットにしまっていたパイナップル味の飴を差し出した。さっき、焼き肉屋の出口でもらったものである。牛は訝しげに平たい鼻を近づけて、少し間をおいて口にした。飴をあげたっきりそのまま放り出されている僕の左手にそっと頭をすり寄せた。ペットを飼いたくても動物嫌いの親のせいでそれができない自分にとって、新鮮な体験だった。
「あ!店長!牛見られました!!」
背後から殴られるような怒鳴り声に襲われ、腰が抜けそうになりつつ咄嗟に立ち上がった。さっきの店員がドアからバックヤードに身を乗り出して店長と会話しつつ、こちらを時折ちらちら確認している。
「わかった!あとはこっちでやっとくから、今日はとりあえず帰ってちょうだい!タイミーさん」
バックヤードからは店長のものと思われる、少し女性的なニュアンスを帯びていながら充分以上に大きい声が響いてきた。パワーオカマがイメージされる!
まずい、店長が来る!僕は思考する前に、あるいは無意識のうちに思考を済ませた後で牛人間を袋ごと抱えて走り出していた。店員は「あ!やば」といって、追いかけるかどうか逡巡していた。通った道を駆け戻る途中で植木が再び店を出てきていたのが見えた。白い息を吐きながら、焦る僕を怪訝そうな目で見つめていた。
「植木ごめん!ちょっとブックオフで待っといて」
息を切らしながらそう伝えて、僕は車道へまで飛び出した。片側1車線の太くない道路を渡り、ほど離れたスーパーの中へ飛び込んだ。21時を回っているとはいえ、焼き肉屋があるような街中であるのである程度人が集まっているから、奴は自分を追ってこれるはずがないと思った。スーパーの奥まで小走りで向かい、跳ねる心臓を食肉売り場のクーラーで冷やしながらあたりを確認する。見渡す限りあの店員は見当たらない。すると背後から突然屈強な2本の腕が現れ、たちまち僕から牛を奪ってしまった。不意を突かれた強奪にはさすがに狼狽してしまい、僕は今度こそ腰を抜かしてその場に倒れこんでしまった。腕の正体は、先ほどの店員とは違う長身で屈強な男だった。おそらくこいつが店長だ!
周囲の客は僕らの周りだけを明らかに避けるように動いていた。時々立ち止まって様子をうかがっている主婦もいたものだ。僕も男にくぎ付けになった。なにしろ、「店長」の顔は牛人間の奇怪な顔の特徴を明瞭に捉えていたからだ。
「クソ、〆が甘かったかなァー。せっかくばれないように黒い袋に入れたのにね?ガキもガキで、普通は袋の中身が動いてるからって開けて見たりしないよねェ…」
言いながら店長は太い足をくねくねさせて、袋の中の牛人間を両手で激しく揉みしだいていた。節々で牛の悲痛なうめき声が絞り出される。
僕はなんとか立ち上がろうとするが、焦るあまり四肢の統制がばらばらに効かず、四つの生き物がそれぞれ踊っているように見えた。脇腹に毒を突き刺された後藤のような気分だった。
ここで僕が叫んでしまえば、おそらく事態は解決されるか、解決とまではいかずとも「延期」に持ち込むことはできるのではないかと思案した。が目の前の非常識に手持ちの常識が果たして通用するかどうかということは甚だ疑問で、下手を打てば逆に取り殺されてしまう気さえした。店長は再び自ら口を開いた。
「とりあえずこいつを取り戻せただけで御の字だものなァ、あんたは子供だから、片目をつぶすくらいで見逃してあげるわァん」
男の口から初めて直接的な暴力の示唆が行われた!より一層、自分の外交力が未来を確定させてしまうことへの責任感がのしかかった。
ぼくは息を整えて、じきに冴えていた手足を使って斜め左に立ち上がると、その勢いでインスタント麺の陳列台と粉物の陳列台の間へ走り出した。店長は追ってきた。店長の大幅な動きにそぐわないカップ麺や袋めんは軒並み薙ぎ払われていく。店長はさらに俊足であり、僕は細い商品の路地を走り抜ける前に取り押さえられ組み伏せられてしまった!
「さ、カワイイお目目を見せなさい」
命運ここまでか…今から店内の誰かに助けを求めるとなっても、僕の片目はどうせたすからないのだろう。僕は腰の力を抜いて、顔まで迫ってくる男の両手に身をゆだねた。
刹那。店長のと、買い物に興じている熟年主婦の悲鳴がすこしズレたタイミングで聞こえてきた。同時に、左目の視界が開かれた!僕は拘束が緩んだタイミングを見計らって前回りで店長の籠絡を抜け出した。
振り返って店長の方を見ると、左腕が二の腕の先からバッサリ切り落とされている!たこ焼き粉の棚が真っ赤に染まっていき、そのおつりが立ちすくんだ主婦が提げているエコバッグに数滴ずつはねていた。
一体誰が?僕もすくむ足を念じて落ち着かせ、グロすぎる眼の前から一つピントを向こうへ合わせると、そこに二足で立っていたのはあの牛人間だった!
「少年無事か」こちらに向かってそう叫ぶ牛人間の頭には、さっきはコブ程度だった角が雄々しく生え揃っている。その前に、身長が大きく伸びているではないか!
「ううーー痛い…くそ家畜の分際で」
「うるせー!」
牛は左腕をあらん力で握りしめ止血を試みている店長の脇腹を右足で蹴り上げ、更に痛みに力んだ太ももを踏みつける。店長の悶絶は聞くに耐えないものがあった。
「大丈夫ですか!?うわグローーー」
異常な事態を察知してこちらにちかづいてきたスーパーの店員はその場で吐きそうになっていた。次第に他の客も集まりだし、阿鼻叫喚が脈々と強化されていく。
「少年!こいつは無責任にも自分の遺伝子を牛の卵子とつなぎ合わせて半分牛半分人間の『牛マン』を作った!」
「離婚した妻に子供と猫を連れて行かれて、飼っていた金魚は死んでしまったその孤独と悲しみを癒やすために、そんな願いのために私はこいつによって生まれてきた!」
店長はそれまでかろうじて膝で立っていたのが、ついに崩れ落ちうつ伏せに倒れ込んでしまった。
「私にそれほどの知能も焼肉屋で提供できる部分もないとわかったらすぐに情もなく捨てやがって!」
僕は津波のように広がっていく血溜まりのなかに立ちながら、断片的かつ感情的な牛マンのモノローグから二人の生活を妄想した。決して対等ではない関係の中にも、決して嘘ではない愛情が…あるわけないか。
暴力が一段落つき、牛マンもその場にへたり込んだ。僕は牛マンの急激な成長の理由が気になってきていた。いやそれ以上に、二人を包む悲しみを理解しようと努めていた。
「少年、君がくれた飴は普通の飴じゃなかったよ…むしろ君が食べたら毒にすらなるようなものだ…なんでこんなものを?」
「知りません、焼肉屋でもらったものでしたから」
「ああ、じゃあまた、新しい実験か何かかな」
「…僕は、ペットを飼ったことがないんです」
「ペット…そうか。私はペットとしてなら、あいつに飼ってもらえただろうか…」
「あの店長…『話ができる』相手が欲しかったんですね」
「そう…彼は悲しみにあてられて、求めすぎたのさ。だから僕は、どこにも行けず何にもなれなかった。その恨みはあったけれど…」
牛マンはうつむきがちに、僕に向かって話しているのかどうかすらわからないような小さい声で呟いた。目には涙をうかべているように見えたけど、返り血が光を反射しているだけかもしれない。
それっきり、牛マンは動かなかった。僕もしばらくうごけなかったが、遠くからパトカーの音が聞こえてきて、正気になった。