第39話 戦場の中
近くで銃声が大きくなり響いている。
マシンガンの音がいくつも重なり耳に届く。
前衛にいる俺にとっては、いつ誰から狙撃されてもおかしくはない。
警戒しながら崩壊した建物の隙間を探し、一歩ずつ前進して行く。
安全を確認したら仲間に合図を送る。
それを見て、後ろから数名俺と同じポイントまでやってきた。
「黒野少尉、150m先、温感センサーが反応しています。」
部下がモニターを見ながらそう告げた。
「人数は。」
「6名確認。」
俺はモニターを確認しながら、どう先に進むか考えていた。
相手もこちらの様子は同じ様に確認出来ているだろう。
私が生きるこの世界では、もう100年以上戦争が絶えない。
生まれた時から戦時中だったし、終戦する気配なんて今まで一度も感じた事が無い。
この戦争が始まったきっかけすら、きっと皆忘れている。
実際に、始まりは些細な出来事だった。
隣国との境界線を超えてしまった女性が射殺された。
それからは報復だの復讐だのでお互いが敵となり、戦争が始まった。
幼い頃からそう聞かされていたが今でも考える。
果たしてこの戦争は、終結する未来があるのだろうか。
若者は貴重な資源なので、男性は強制的に国軍に入隊する。
私も若くして入隊し、様々な場面をなんとか切り開いて生きていた。
この国ではある程度の年齢になると、
国軍から女性を斡旋され、その人と婚姻関係を結ぶ事になる。
これは強制だ。
だが、それが当たり前のルールになっているので私も同様に妻を得た。
婚姻を結んでからは半年だけ、戦場に立たない権利を貰う事が出来る。
私たちはその間に子をこしらえ、期間が終えたらまた戦場に戻る。
子孫を絶やす訳にはいかないので、子孫繁栄の為に政府がそう決めているのだ。
私はその貴重な半年を妻と過ごした。
多くの人は妻とは最低限の会話だけをし、自分の時間を有効に使うのが一般的らしいが
私と妻は好みや価値観が似ており、かなり親密な仲になった。
まるで昔から恋人だったかの様に毎日愛を囁き合った。
この国では珍しい相思相愛の夫婦だった。
戦場に戻る際は本当に悲しかった。
お腹の中の子供に、もう会えないかもしれない。
それでも戻らなければいけないので、せめてもと子供の名前を授けた。
そこから数年経つが、家には一度も帰れていない。
ただ、軍から支給される端末で連絡は取れるので、
私は暇さえあれば直ぐに連絡をし、妻や子供と対話した。
子は歳をとるに連れて、色んな単語を話せる様になった。
「パパ」と初めて言ってくれた時の事は今でも鮮明に覚えている。
あれ程人生の中で感動した事はなかった。
この国では娯楽なんて物もないので、
妻と話をする事や、子供の成長が私の唯一の楽しみであった。
だが、ついに今回の作戦では前衛に配置されてしまった。
若い兵は基本後衛で、ある程度歳を重ねると前衛に配置されるのだ。
当たり前だが死亡する確率は、今までとは桁違いで高くなる。
私は妻に最後の別れの言葉を告げた。
前衛になると、連絡を取るのも禁止される。
死が目の前にあるので、家族の存在は恐怖心を招く事になるからだ。
「死にたくない」と思ったら最後。
足がすくみ前に進む事が出来なくなってしまう。
その代わり妻子の心拍を測定するモニターは、
いつでも確認出来る様になっている。
私が腕につけているリングに、妻と子供の心拍が緑色のラインで表示される。
鼓動がする度に、緑の線がリンクして動く。
話は出来ない。
だが、2人が「生きている」事を確認出来るので、
今の私にはそれだけで十分だった。
「30m前方の瓦礫まで進軍する。合図と共に威嚇射撃用意。」
私は部下にそう告げ、周りを見渡した。
センサーで敵のある程度の位置は把握出来ているが、
熱センサーを無効化する軍服も出回っている。
持ち得た情報だけで行動すると、死を招く事になる。
「打て!」
そう叫んだ後、私は目の前の瓦礫に向かって走り出した。
少し遠い場所から射的音が私へ向け、発せられた。
部下が相手方向へ射撃をしながら私の元へと走る。
瓦礫に着いた頃にはいたる所から射撃音が聞こえ、近くの地面に当たり砂埃を上げていた。
こちらに向かう部下を守るべく、私も相手方向に向け射撃する。
だが、最後尾の1人が相手からの狙撃を受け、地面に倒れた。
太もも部分を打たれた様で、その場で苦しみながらもがいている。
瞬間、彼は射撃の的にされ何発も銃弾を受けた。
そして少しの静寂の後、動かなくなった。
悔やんでいる暇は無かった。
突如上空から機械音が聞こえ、見上げる。
そこには我々を待っていたかの様に、小さな機械がこちらを見ていた。
銃撃用のドローンだった。
しまった、と思った瞬間、隣にいた部下が銃声と共に倒れた。
他の皆もそのドローンによって射撃された。
次は、私の番だ。
私は目をつむり、死を覚悟した。
だが「打たれる」そう思った瞬間、
私の体が奇妙に反転し、強烈な眩暈に襲われた。
気がつくと、見知らぬ場所に私は立っていた。
見上げても先ほどのドローンは確認出来なかった。
不思議に思い周りに目をやると、誰も軍服を着ていない。
建物も破壊された形跡もなく、銃声や火薬の匂いも感じられない。
暫く観察してみると、色んな人が交差する中何故か皆悲しそうに歩いている。
道端で号泣する人や、歩きながら涙を流す人。
そんな光景を突然目にした私は困惑した。
「嫌だ、嫌だ、もうやめて…。」
目の前に通った女性が、そう言って泣きながら歩いていた。
「辛いよ。助けて、助けて助けて!」
今度は男性が叫びながら泣いている。
皆、何をそんなに悲しがっているのだろう。
私達の世界では滅多に人前で泣く事はない。
子供の鳴き声のせいで敵に見つかり殺される事もある。
小さな頃から泣く事は禁止されているし、
ここにいる人たちの様に振る舞えば直ぐに殺されてしまう。
泣く事も、大声を出す事も、感情を出す事も。
全て禁止されている。
だが目の前の人々を見て、私はとても羨ましく思えた。
私達は、感情を持ってはいけない。
小さな頃からそれが当たり前だったし、そうするしか生き延びられなかった。
私は妻と別れる時、堪えた涙を飲み込んだ。
だが、涙を流し妻を思いっきり抱きしめられたらどれ程良かっただろうか。
彼らを見ていると、私も泣いても良い気がしてきた。
普段は絶対に考えない様にしている記憶を呼び起こす。
父親の顔は覚えていない。
私が生まれた時には、もう亡くなっていた。
母は、私に愛情を教えてくれた。
でも配給を貰いに行ったきり帰って来なかった。
敵に配給所を狙われ、その場で巻き込まれたのだ。
そこからは孤児として沢山の子ども達と共同生活を強いられた。
規則が厳しく、誰かと話す事もない。
授業では、銃器の扱い方や戦術を学んだ。
私が銃の組み立てに失敗した時、教官は私を蹴った。
だが泣く事もうめく事すら許されず、私はただ堪えた。
初めて戦場に行った時、後衛だったから何が起こっているのか分からなかった。
ただただ聞こえる銃声に怯えた。
急に撤退命令が出され、若い私達は混乱した。
だが次に出された使命は、死者から武器を回収する事だった。
狙われている感覚がある中、我々は無心で銃やナイフ、軍用レーションを回収した。
物資が足りないので仕方がない事だったが、そこで私は初めて死んだ人を見た。
そこから色々な部隊に派遣され、私は育った。
争いしかない廃れた世界だが、今の私には妻と子供がいる。
それ以上の幸せは他にあるのだろうか。
気付くと私の頬には涙が伝っていた。
そのまま、堪えきれなくなり大声で泣いた。
こんなにも泣いたのは生まれて初めてだった。
目の前にいた人々に感化されたのもあるが、私はずっと堪えていたのだと思い出す。
感情を出す事を毎日耐えていた。
苦しさを吐き出す事が、こんなにも簡単だったとは知らなかった。
「あの、すみません。」
声をかけられ、咄嗟に私は身を構えた。
「AUPDと申します。」
目の前にいたのは2人の男性だった。
じっと見つめるも、相手には敵意がない様に思える。
「大丈夫。俺たちは敵じゃない。俺はセイガ、こっちがアマギリだ。」
セイガと名乗る男は両手を上げてひらひらと手を振った。
「あなたは今、別の世界線にきています。移送するのが我々AUPDです。」
アマギリが言った。
私はまだ流れていた涙を急いで拭った。
彼らが言うには私は元の世界線から飛んで、
今は「悲しみ」だけが構築された世界線にいるとの事だ。
これから元の世界線に限りなく近い世界線に戻される事を伝えられた。
私には拒否権も、否定する意味もない。
また、戻ったとしても結局私はあのドローンによって殺されるだけだ。
淡々と話を聞き、私は移送を許可した。
「じゃあ、移送させて頂きます。」
次に気付くと私はまさにドローンに狙われている所だった。
だが、移送された時に、時間の「ズレ」があったのだろうか。
ドローンは私の少し隣を打って、そのままどこかへ飛んでいってしまった。
私は少ししゃがんで周り確認した。
部下達は、もう全員息を引き取っていた。
「前線、私以外死亡しました。」
後ろの部隊に、現在の状況を無線で伝えた。
「了解した。黒野少尉は直ちに後衛へ戻れ。」
返ってきた声に抑揚は無い。
前線が全滅した事は意外でも計算外でも無い。
全滅して当たり前の作戦だった。
直ぐに出るとまた敵に狙撃されると思い、私は瓦礫の少し奥へ移動する。
しゃがみ込んでようやく一息をついた。
先ほど泣いたお陰か、いつもより少しだけ穏やかな気持ちだった。
遠くからは未だに銃声が響いている。
砂埃が口に入りジャリ、と嫌な音がした。
水筒を取り出し口に水を含む。
少しだけ立ち上がり、瓦礫のブロックを3m程先に投げる。
静かに数秒待ったが、敵からの射撃は無かった。
今なら戻れるかもしれない。
だが、ふと目に入った腕のリングが私の足を止めた。
妻と子の心拍モニターが真っ赤になり、一本の線で表示されていた。
彼らは元の世界より少しズレがあると言っていた。
私があの世界に行ったせいなのか、それとも元々こうなる運命だったのだろうか。
暫く立ち止まって考えた後、私は倒れた部下達から武器を回収した。
その中に手榴弾を数個見つけた。
丁度その頃、地面に落ちていた温感センサーが反応した。
近くに敵がいる。
私は子供の名前を口に出そうとした。
だが声帯が動かない。
代わりに指だけが震え、手榴弾のピンを外した。
私は素早く瓦礫をよじ登り、敵を目視した。
叫びながらそこへ手榴弾を投げつけ、他のピンも外していく。
パン、と乾いた音が鳴った。
瞬間痛みが襲う。
敵に足を撃たれた様で激痛が走った。
私は動けなくなり、その場で倒れ込んでしまった。
コンマ数秒の間、最後に思い浮かんだのは妻と子だった。
手に持った手榴弾は投げられる事も出来ず、私を巻き込んで爆発した。