第33話 終点のない越境者
世界線 Λ43。
俺はそこで生きて暮らしている。
ここは高次元の構築が進んでいる世界線で、
ここ最近では「九次元展開理論」が学会をざわつかせた。
だが完全なる完成と言う訳ではない。
この骨となる展開論の論文を見て、
これから色んな科学者によってどんどん理論が発展させられるだろう。
俺はロイ・テザルド。
過去に物理学を専攻していて論文での実績もある。
将来は有名な科学者にでも、と思っていたが現実は厳しく、
今では零細メーカー勤務の冴えない技術者だ。
物理学を学んでいた時は毎日が高揚の日々だった。
それに比べ、淡々と続く喜怒哀楽すらない今の日々に嫌気が差していた。
だがある日俺は、ネットで色々検索していく内にとあるプラットフォームを見つけた。
それは裏フォーラム〈SnakeRoot〉と言った名前だった。
よくある掲示板の様だったが、パスワードを入れないと次のページにリンク出来ない。
画面に数式が多数並んでおり、そのパスワードが答えを入力する場所だ。
表示されている問題はかなり高度な知識がないと解けない物だった。
でも、俺は何週間もかけて、なんとか高次元宇宙論の解を見つけた。
パスワードを入力するとそこには沢山の論文が閲覧可能だったし、
高次元データを売買出来るシステムになっていた。
ここのメンバーは、独自に次元論や越境方法などを研究していた。
もちろん世界線の越境はAUPDにより取締られており違法だ。
だがやはり人間の好奇心は止められないのだろう。
俺は直ぐにメンバーに加入した。
違法だと知っていても、どうにか自分の力で越境装置の理論を突き詰めたかった。
昼は普通に働き、夜はその研究に時間を費やした。
あれは、メンバーになって3年経った頃だ。
ここのメンバーは5人しかいないが、それぞれ高次元理論には詳しい連中だ。
そのメンバーの中で、ある共通の解が見つかった。
そのシステムを装置に埋め込み、実験をする段階まで俺らは成長していた。
俺はメンバー間で共有された違法な図面を寄せ集め、
自宅地下で“越境装置”を組み上げた。
メンバー同意の元、俺が実験体として越境する事になった。
「1回きりの賭けでいい。成功してくれ。」
俺はそう願った。
これで成功すれば越境し放題だ。
どこの世界線にも自由に行き来出来る様になる。
「よし…。」
恐る恐るスイッチを入れた瞬間、部屋の空気が反転した。
皮膚が裏返るような浮遊感。
そして視界がスパークし、世界がズレた。
着いた先は、寂れた貨物ターミナルだった。
掲示板に並ぶ文字配列が、自分の世界線の文字とは微妙に違う。
また空の模様が淡い緑色で、風が強く吹いていた。
だが肌に風が当たる感覚は全く感じられない。
持ってきていた重力装置を確認すると、係数が 0.94だった。
「やった!成功だ!」
俺はその場で歓喜の声を出した。
ここは元の世界線と明らかに違う。すなわち、今いるのは「別の世界線」だ。
他の細部も確かに別の世界線だった。
生まれて初めて見る別の世界線。
全てが新鮮で、物珍しかった。
出来る限りデータとして残したくて腕時計型の端末を開いたが、この世界線では起動しなかった。
だがその事もある程度計算済みだったので、
紙とペンでこの世界の様子をメモ書きで残した。
紙と言う物はかなりのアンティーク品で、一枚買うのにもかなり値が張った。
だが持ってきて本当に良かったと思う。
つまり世界線を越境した場合、
ネットに依存している機器等は使えない可能性が高いと言う結果を得られた。
俺はある程度満喫した後、成功した事を早くメンバーに報告したくなった。
「うん。そろそろ戻ろう。」
俺は元の世界線に戻るべく座標をセットした。
だが、そこで問題が起きた。
座標をセットして、起動ボタンを押しても全く動かない。
何度も何度も試したが世界線の越境が出来なかった。
俺は焦りで冷や汗が吹き出す。
「嘘だろ!?何が原因だ…?兎に角。早く帰らないと…!」
俺はその場で装置を解体した。
外しては元の位置に戻す。
1つのパーツ事にそれを繰り返したが、何度組み直しても起動はしなかった。
その間に空が淡い緑色から急に深い紫色になっていった。
重力装置だけは正しく起動している様だが、他に持ってきた端末は全部駄目だった。
肝心の越境装置も何をどうしても動かない。
「くそ!」
俺が大きく声を上げた瞬間、自分の後ろからコツコツと足音が聞こえてきた。
俺はピタリと動きを止め、目の前だけを見続けた。
振り向かなくても、誰が来たかのかなんて分かるからだ。
「お前がロイだな。AUPD第2課、セイガとアマギリだ。さあ、同行願おうか。」
隣に立つ青年、アマギリが静かに俺の装置を回収する。
越境装置や腕につけている装置、メモ書きした紙、持っている全てを取られた。
「違法な越境装置。しかも本人で実験。規定では即“終身収容”案件ですね。」
アマギリがそう言った。
その瞬間、俺は全力で逃げようとした。
しかしAUPDが既に包囲していた様で、
走り出した瞬間に転送封鎖フィールドが展開され、視界が潰れた。
次に目を開けると俺は拘束椅子に座らされ、身動きが取れなくなっていた。
目の間に居たセイガが淡々と告げる。
「勿論、AUPD法は知ってるよな。違法越境は罪が重い事も。
AUPD第4課収容局で“終身・収容世界線”への移送が確定する。それが全部だ。」
「お前らがいるから、自由はなくなるんだよ!」
俺は声を荒げた。
でもセイガは瞬き一つせず呆れた様に答えた。
「誰かが観測してるから、そこにいられるんだ。」
そのままセイガは続ける。
「違法でも跳ぶ奴は後を絶たない。でも、終身収容の檻からはもうどこへも越境できない。
それが“秩序”ってやつだ。」
俺は叫んだ。
「冗談じゃない! 高次元の自由を謳う組織だってある! ORAXは――」
「自由を掲げて世界を壊そうとしている連中ですよ。はい。」
レンが淡々と書類を差し出す。
〈終身収容同意書〉
収容先:AUPD独自世界線 Ω-zoj89
再越境権:無
仮釈・減刑:無
俺は親指を引っ張られ、端末に指を押し付けられた。
そして手首に識別リングがはめられた。
その瞬間、もう逃げ道は閉ざされた。
【収容先:AUPD独自世界線 Ω-zoj89】
そこは“何も起こらない” よう設計された無機質な郊外都市だった。
天候は常に晴れ、事件は起こらず、刺激は最小限。
越境装置は存在せず、通信はワンウェイ監視下にある。
俺はマンションの窓から、まるで毎日同じ空模様をコピーしたような夕焼けを眺めた。
自由を求めて跳んだはずが、跳んだ先が永遠の着地点。
静寂の中、壁の時計はカチカチと音をたてて動いている。
でも世界は静止しているかのように整い、俺が何をしようと一切この世界に影響を及ぼさない。
ここで何週間も過ごした時、自分の名を呼んでくれる人が誰もいないことに気付いた。
自分を呼ぶ人が誰もいない。自分を認識している人がいない。
自分が存在している証明は、どうやってされるのだろうか。
セイガが言っていた「観測されているから、そこにいられる。」と言う言葉を思い出す。
ああ、果たして俺は今、存在しているのだろうか。
窓の外、完璧に設計された夕焼けがただ無垢に広がっている。
俺はそのオレンジ色の空模様をを見つめながら、小さく舌打ちした。
「……退屈だな」
それが、この世界線で許された、唯一の反抗だった。