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第30話 風が変わった日

目の前の薪がパチパチと音を立てて燃えていく。

その音が、夜の静寂をやさしく割った。


焚き火の炎が自分の影をゆらりと照らす。

俺はその様子を見ながら、キャンピングチェアーにもたれ掛かる。

右手に持っていたビールを一口飲む。


周りには誰もいない。

都会の喧騒は忘れ、森の中でただ1人で過ごしている。


ここは叔父が持っている、私有地の山だ。

俺は趣味がキャンプな事だけあって、

叔父に山に入らせてくれないかと頼むと快く、利用の許可をしてくれた。


今までは色んなキャンプ地にいったが、

やはり土日ともなると若い人たちや、子供などがキャンプ地におり騒がしかった。


それに比べ、この人がいない山は最高だ。


耳を澄ませると鈴虫の鳴き声や鳥の鳴き声、風で葉が揺れる音。

色んな音が合わさって、この居心地の良い空間が生まれるのだ。


おつまみに作った燻製のベーコンを頬張りながら、ビールを飲む。

この時間が何よりも最高だった。


少し遠くに設置したカメラが赤いランプを点滅させており、録画が出来ている事が分かる。


俺は趣味のキャンプ動画を、とある動画サイトに投稿している。

登録者は2万人程。

月に4本しか動画が上げられないのに、それにしては多くの人が登録してくれていると思う。


自分がキャンプをしている様子を、少し離れたカメラで録画し編集して投稿する。

殆どカットはしない、垂れ流しの様な動画だ。

テロップも入れない。ただただ、自然の音と自分がキャンプしているのを写した動画。


再生数がどうとか、いいねの数なんて気にしない。

自分が「いいな」と思う時間を誰かと共有出来る、それだけで十分だった。


上を見上げると、夜空の中に普段は見えない星達が輝いている。

忙しない日常の中で、このキャンプをしている瞬間が1番幸せだ。



夜も更けてきたので、そろそろ寝ようと片付けをする。

ゴミはその場に決して残さない。必ず全部持ち帰って処理をする。


以前よく行っていたキャンプ地では、色々な人が利用するのでゴミ箱などが設置されていた。

それは大変親切で有り難いものなのに、

キャンプ初心者の人達は、バーベキューをした網など色々なゴミを分別なく捨てる。

そう言った様子を見ると、非常に不快に思う。

俺はこの山でも、どこのキャンプ地でも必ずゴミは持ち帰る様にしている。


飲み干したビールの缶や割り箸をゴミ袋に入れて、車のトランクに入れる。

最近では全く見かけないが、昔はこの山にも熊が出たそうだ。

今はよっぽど出ないだろうが、念の為匂いがする物はテントの中に入れない様にしている。


今日は風が心地よい。

テントに入る前に、深く息を吸う。

目を開ければ焚き火の周りだけが明るく、他は真っ黒の景色だ。


だが、ふと焚き火の炎が大きく揺れた。

風は吹いていないのに、炎だけがゆらゆらと右左に大きく触れている。

その不思議な光景を見て、俺は焚き火に向かって一歩足を踏み出した。


それは、瞬きをする一瞬の出来事だった。



次に見た光景は、かなり異質なものだった。


360度、全てが虹色になっている。

自分が立っているその場所から前も後も見てみたが、そこには建物もないし誰もいない。


その空間が大きいのか小さいのかも分からないけれど、

兎に角そこには俺しかいなかった。


誰かいないかと俺は沢山走って探した。

でも、本当にここには誰もいない。

その強烈な虹色が、異質で異様さを醸し出していた。


段々と、その虹色を見ていると気持ちが悪くなってきた。

どこをみてもその色からは逃げられず、酔っていた俺は堪らずその場で吐いてしまった。


だが吐き終えた頃、まるで地面が一瞬で食べてしまったかの様に俺の吐瀉物は直ぐに無くなった


ここで俺は、猛烈に不安を覚えた。


この世界は今までいた場所とは違う。

夢ならいいが、こんなにもリアリティのある夢あるだろうか。


ここでは、風も吹いていない。

歩いたり走ったりしても、足が地面につく感触が全くない。

まるで自分が存在していないかの様にこの世界は動いている。


地面を触っても、何も感触がない。

自分の頬を手で触ってみても、触った感じがしない。


何も感じられず情報もないので、時間の進み方すら分からなかった。


じっとしているのが怖くて不安に駆られ、色々な場所へと歩き出す。

だがやはりその虹色が眩しすぎて、その光景が頭の中でグルグルと回り出す。


また気持ち悪くなってきたので歩くのを止め、目を閉じる。

目を閉じても先ほどの虹色がフラッシュバックし、更に気持ちが悪くなってしまった。

俺はその場で倒れ込んだが、やはり地面にぶつかる感触はしない。


自分が寝ているのか、それとも浮いているのかも分からず目を閉じて叫んだ。


確かにキャンプでは静寂と1人で過ごすのを好むが、

こんなにも気味が悪く、感触もない世界にいるのは嫌だ。

とてつもなく吐き気がしてまた吐いたが、それも直ぐに消えた。



「大丈夫ですか?」


どれ位時間が経ったのだろうか。

目を瞑り寝転んでいる俺に、誰かが声をかけた。



俺にとっては数時間に感じたが、それは一瞬だったのかもしれない。

でも、誰かがいると思うと途端に嬉しくなって目を開けた。


「AUPDのアマギリと申します。こちらはセイガさんです。」

その男性がそう言って話した。

でもその2人を見ようとしても、どうしても虹色の世界が目に入ってしまい俺は目を瞑った。


「…すみません。気持ち悪くなっちゃうので、閉じたままでもいいでしょうか。」

俺は申し訳なくそう伝えるも、もう1人の男性が俺の手に何かを突きつけた。


「これ、大分マシになると思うよ。」

薄めでそれを受け取り見ると、サングラスだった。


俺はそれをかけて目を開く。

確かに先程とは段違いで見やすい光景になった。

虹色の世界が、モノクロで見ると普通の景色に見えた。


改めて2人を見ると、同じ様にサングラスをかけていた。


若い男性が口を開く。

「あなたは、別の世界線からここに飛んでしまったんです。

それを限りなく近い世界へ移送するのが我々、AUPDです。」


俺は全然意味が分からなかった。

と言うか、この世界は何なんだろうか。

その心を読み取ったかの様に、無精髭の男性が言った。


「ここは、ちょっと特殊な世界線なんだよな。触覚や匂いもないし、色々崩壊してる。

言わば、誰にも使われていない世界線のなれ果てってヤツだ。」


世界線のなれ果て、と言う言葉に妙に納得する。

確かにここは何も触れないし、何かを作りだせない。

つまり0から1に発展しないと言う事だろう。


「あの、俺戻れるんですよね?」


2人にそう聞くと、両者共に頷いた。

だが、アマギリさんによると今までとは完璧に一緒の世界線には戻る事が出来ないらしい。

俺はここで経験をしたので、その記憶を持ったまま元の世界線に無理やり戻ると、

世界線が矛盾を感じ連鎖崩壊する可能性があると言う。


「でも、99.999%同じ世界線だから、ちょっとした変化があると思うよ。」

セイガさんがそう言った。


「分かりました。兎に角、一刻も早くここから離れたいです。」


俺は、この世界線にうんざりしていた。

サングラスが無かったら、この人達が来なかったら俺は精神崩壊をしていただろう。


「じゃあ、今から戻しますね。」

アマギリさんが何か手首の装置の様な物を触った。


「チャンネル登録よろしく〜。」

セイガさんが最後にそう言ったが、俺にはあまり理解出来なかった。




気がつくと俺は、先ほどまでと同様にテントの側に立っていた。

木々が風で揺れる音、静かながら色々な音がする世界。

足が地面につく事や、風が体に当たるその感覚に懐かしさを覚えた。


それ位あの世界は異質で気持ちが悪かった。


俺はそのままカメラに近づいた。

先ほどの映像が、何か残っていないか確認したかった。


録画を止めて、再生してみる。

だが、映像では自分が焚き火に近づき、そのまま立っている様子しか写っていない。

その後直ぐにカメラを止めに来た自分が見えるので、1秒も時間は進んでいる様子はなかった。


先ほどの気持ち悪さはまだ少々あり、俺はその後テントに入り横になった。




朝、携帯電話の通知音がして目が覚めた。


無視してもう一度寝ようとしたが、しきりに通知音が鳴る。


「何だよもう…。」

俺は携帯を手元に持ってきて画面を見ると、

投稿している動画サイトの通知が大量に来ていた。


「え?何でこんなに通知が来てんだ?」


訳が分からず、自分の投稿ページを開いた。


すると、今まで2万人程度しかいなかった登録者が、55万人と表示されていた。

驚きと共に嬉しく思ったが、一晩でそんなに登録者が増えるのだろうか。


不思議に思い投稿された動画を確認すると、自分では身に覚えがない投稿が沢山あった。


だが写っているのは確実に自分だ。

今までとは違って、週に3回位投稿していた。


不思議に思いながらも、とりあえず一旦帰宅しようと思いテント等を片付けた。

その間も、通知音が鳴り続けていた。



車に乗り、家へと帰る。

帰る道も街並みも、以前と比べ何も変化は見当たらなかった。


自分の部屋に戻り、キャンプ用品を片付けようとすると、

そこには見た事がない新しい撮影機材が揃っていた。


それは欲しかったけど高価な物なので、後々貯金して買おうと思っていた物だった。


「え!何であるんだろう。」


俺は部屋の中を見渡すと、他にも有名なメーカーのキャンプ用品が沢山置いてあった。

まだ未開封の物まである。


そこで、あの時の2人を思い出した。


限りなく近いけど、少し違う世界線。


俺は携帯で動画投稿サイトを開いた。

再生回数が、ある1本の動画を機に急激に増えている。


その動画がどうやらネット上でバズったらしく、そこからみるみる再生数が増えていっている。


コメント欄は「この動画を機にチャンネル登録しました」とか

「やっぱりサクライさんのキャンプ動画が1番」とか色々なコメントが寄せられていた。


俺は自分が動画編集をしているパソコンを起動した。

そこでメールを開いてみると、有名なメーカーから案件の依頼が沢山来ていた。


そこで自分の返信メールを確認し、部屋に置いてある新しいキャンプ商品と照らし合わせる。


受けたメーカー案件の商品が、今の部屋の中にある様だった。


「えー、どうなってんだ…。」

そのまま自分のネットバンキングを見てみると、残高が二桁も増えていた。

また出金明細を確認すると、動画投稿サイトからかなりの額が毎月振り込まれている。


「俺、会社どうなったんだ?」

動画は週に3回程投稿している様だったが、平日にもキャンプに行っていると言う事だろうか。

出金明細を遡ると、ある月を機に会社からの給料が振り込まれていない。


つまり今の俺は会社を辞めて、動画投稿で生計を立てていると言う事だ。


何だか嬉しい気持ちではあるが、自分ではない自分が築き上げた成果なのだろう。


最近の動画を確認すると、自然の中幸せそうにキャンプをしている自分が写っていた。


「少し違う世界」と言われた時、どうしてもネガティブな変化を考えてしまっていたのだが、

悪い変化ではなく自分にとって良い変化に変わっていたと言う事だ。



次の日、またいつもの場所へキャンプに出かけた。

雲は高く、いつも通り風は澄んでいた。


焚き火を組んで、持ってきた高性能のカメラを回す。


「今日は、新しいキャンプ道具を使ってみます!」


画面の向こうにそう語りかけながら、俺は思った。



あの一夜に起きた小さなズレが、人生の向きを少しだけ変えてくれた。

そしてそれは、悪くないズレだった。

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