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第24話 幸せの意味


私と夫は20歳と言う若さで結婚した。

周囲の人達は早すぎるとか、もう少し時を見てもいいんじゃないかとか、様々な事を言われた。

言われた言葉の殆どが、批判的な発言で私達は戸惑った。


でもお互い愛し合っていたし、それは今後も揺らぐ事がないと思っていたので、

市役所へ2人で言って婚姻届を提出した。


どちらの親も私達の結婚に反対していた。

特に私の両親は、結婚するなら勘当だと言った。

夫の両親は最初こそ反対したが、何度も頭を下げ渋々許してくれた。

でも、結局その後両家ともほぼ絶縁状態になった。


結婚して2年目の夏、私は子供を産んだ。

女の子だった。

初めての出産で、喜びもあったがそれよりも不安だった。


もし両親が付き添ってくれたならどれ程有り難かった事か。

でも、2人で生きていくと決めたから、私達は何とか自分たちなりに頑張った。

出産の時は、人が生きる中でこんなにも痛い事があるのか、と初めて思い知った。


生まれた子を見て、夫は私よりも泣いて喜んだ。

「頑張ったなあ。よくやったなあ。」そう言って私を抱きしめてくれた。


生まれてからは「大変」が占める毎日だった。

夫は建築会社で働いており朝が早い。

でも赤ちゃんは深夜でも日中でも泣き喚くので、お互い睡眠不足の日々が続いた。


私達は裕福ではなかったので、古いアパートの2LDKに住んでいた。

赤ちゃんと私で夫の隣の部屋で寝ていても、鳴き声は直ぐに夫を起こしてしまう。


寝不足での力仕事、さぞかし大変だった事だろう。


でも夫は、怒る事をしなかった。

深夜に鳴き声で目が覚めてしまっても、こちらにきて交代するよと言って抱っこしてくれたり、

仕事が休みの日には、私に寝てていいよと言って赤ちゃんを連れて公園に出かける。

自分がしんどくても、大変でもどんな状態でも、幸せそうに笑っていた。


彼は常に私と娘の事を大事にしてくれた。


育児は、とても大変だった。

電車やバスに乗れば、赤ちゃんが泣いた時に舌打ちや咳払いをされるのは当たり前だったし、

部屋の中で赤ちゃんが泣き続けると、隣人の人が壁をドンドンと叩く。


それでも何とか色んな壁を乗り越えて、子供、メイが4歳になった時。



旦那は運転中、信号無視をした軽トラックと衝突してこの世を去った。



相手は運転中に携帯でゲームをしていたらしい。

そのまま夫の車に衝突し、左腕と肋骨を折った。


でも、重症じゃない。全治数ヶ月らしいが、相手は生きている。

事故の経緯を警察から聞いた時、私は殺意で満ち溢れていた。


私の大切な人を奪ったそいつが、のうのうと生きているのに腹がたった。

ゲームって、何。

運転中にゲームして、ぶつかって、夫を殺して。

それでも、あなたは生きているのね。



でも私には悲しむ余裕も怒る余裕もなかった。


私は、メイを育てなければいけない。

お葬式を上げる金銭の余裕もなかったので、火葬だけにしてもらった。


お互いの両親に連絡は入れたけど、私の両親から連絡は返ってこなかった。

相手の両親は夫のお骨を持って、泣いて去って行った。

最後に「あなたと出会ってから、息子はおかしくなった。」と夫の母親が言った。


それからは、もう必死だった。

メイを託児所に任せて昼はスーパーでのレジ打ち、夜は居酒屋で働いた。

夜の間メイを1人にしなければいけないけれど、そうしないと生きていけなかった。


でも、アパートの住人から夜にずっと子供が泣いていると

児童相談所へ連絡が行き、私はその担当者の人に怒られた。

そうしないと生きていけないと伝えても、

他に方法があるでしょう、子供の事を考えて、と。


それから私は昼の仕事に専念した。

給料は今までと比にならなくなる程減って、生活はもっと苦しくなった。

家事も仕事も毎日頑張って、食事は自分の分をメイにあげた。

子供の事を考えるってこう言う事だよね、と自分に言い聞かせた。


夫が亡くなって3ヶ月。

色んな所から来る督促状は、もう見飽きて開封する事もせずゴミ箱に捨てた。


ああ、夫がいてくれたらどれほど良かっただろうか。

日に何度も何度もそう思った。

でも、夫はもういない。帰ってこない人。

その事実がどれだけ苦しい事か、誰も分かってくれない。


メイは「いつお父さん帰ってくるのかなあ」と夜寝る前に私に問いかける。

私はいつも「明日になったら戻ってくるよ」と嘘をつく。


ある日の夜、メイが寝た後に私はこっそり外に出た。


数えきれないストレスや育児疲れ、悲しみや怒り。

そう言った感情がどうしようもなく腹の中で渦巻いて寝られなかった。


最近、眩暈が頻繁に起こる。

今も歩いている中でどんどんと視界が回り始めている。

病院に行くお金もないし、どうにかその場でしゃがんで治るのを待った。


——————————


「え?」


ふと前を見ると私は変な場所に立っていた。

空を見上げると淡い白色で、みた事もない空の色だった。

建物が全部淡い水色で、何だかおもちゃの中の世界みたいだった。


「大丈夫ですか?」

老人が私に手を差し出した。蹲っていた私はお礼を言って手を出す。

「すみません。ありがとうございます。」

私がそう言って微笑むと、その人は満足そうに去って行った。


先ほどまで感じていた眩暈はもうしていなかった。


私はそのまま不思議な空間を歩き始める。


何歩か歩くと直ぐに大きな道路に辿り着いた。

側には広い公園があり、沢山の人がそこにいた。


幸せそうにピクニックをしている家族や、ニコニコしながら喋っているカップル。

1人でいる人も、どこか満足そうに空を見上げて微笑んでいる。


暫く遠目でその様子を観察していたが、

奇妙にもこんなにも大勢いる中で、誰も騒がないし、怒らない。

赤ちゃんも何人もいるのに、全員泣かずに、ずっと笑っている。


なんで泣かないの?

なんで皆幸せな顔をしているの?


全員が幸せそうに笑うのを見て、私は急に涙が出た。

ここの人達はまるで結婚した時の私と夫の様な、私達の赤ちゃんが生まれた時の様な、

その瞬間だけが永遠に続いているみたいに見えた。


「どうして笑わないんですか。」


ふと隣を見ると、知らない女性が立っていた。

泣いている私をみて不思議そうに言った。


「笑ってない人、初めてみました。もしかして違う世界の人ですか。」


違う世界とはどう言う意味だろうか。

でもそう言ったその人も笑っていて、とてつもなく幸せそうで、私はなんだかとても腹がたった。


黙っていると、ここでもう少し待っててくださいねと言って彼女は去った。

もう誰の幸せそうな顔を見たくなくて、私はしゃがんで下を向きながら涙した。


「遅くなりました〜。」

その言葉に目線を上げると、2人の男性が立っていた。


「誰ですか。」

私は一瞥してまた下を向いた。


「俺がセイガで、こっちがアマギリ。今キミは別の世界線に来てるんだよ。それを移送するのが我らの仕事。」

そう言ってセイガさんが私の右隣に腰掛けた。


「何か、お辛い事ありましたか。」

もう1人の男性、アマギリさんも私の左隣に腰掛ける。


2人の男性に挟まれて、恐る恐る2人を見るも、他の人とは違って笑ってない。

むしろ心配している様な表情だった。


「…ここは、私にとって辛いです。」


私はまた下を向きながら話す。


「夫を亡くしました。娘がいます。辛いです。悲しいです。でも、娘は可愛いです。」

言っている間にまた涙が溢れる。

今まで溜め込んだ感情が押し寄せて来て、言葉が溢れ出した。


「皆、幸せそうで見ていられないです。羨ましい、悔しい、私も幸せでいたいです。」


自分の口で言って初めて気づく。


そうだ、自分は幸せでいたい。娘と一緒に、幸せになりたい。


「メイちゃんは、幸せだと思うけどねえ。」

自分の娘の名を呼ばれ、驚いてセイガさんを見る。

「お母さんが頑張ってる事、分かってますよ。絶対。」

今度はアマギリさんがそう言った。


公園で泥だらけになってはしゃぐメイ。

私が髪を切りすぎちゃって怒るメイ。

初めて飲んだ炭酸にびっくりして吹き出すメイ。


滅多に買ってあげられないケーキを食べた時の、あの喜ぶ笑顔。

苦しい中で、娘の笑顔にどれほど勇気付けられた事か。


「…私、今もの凄くメイに会いたいです。」

私は涙を拭いて2人にそう伝える。


すると、アマギリさんが完全には元の世界には戻れない事、

99.999%限りない近い世界線だけど、0.0001%違う世界に移送すると教えてくれた。


「メイは、メイは大丈夫なんでしょうか。」

私は不安になり、娘に何か影響があるのかと聞いたがそれは分からないとセイガさんが言った。


「通常は、人間関係が少し変わったりする程度だけど、数コンマのタイミングが違えば色々な変化は起こる。

それは抗えなくて、受け入れるしかないよ。」


私はそうですか、と呟いて2人にお礼をした。

早く帰って、メイを抱きしめたい。

今はそれしか考えられなかった。


「じゃあ、移送しますね。」

アマギリさんがそう言って、何かを操作した。


——————————


気がつくと、私はしゃがんでいた。

先ほど眩暈がした時の姿のままだった。


急いでアパートへ走り、家の鍵を開ける。

メイはすやすやと布団の中で寝ており、うっすらと額に汗を流していた。

近くにあったハンカチで起こさない様に優しく拭く。


先ほどまでの出来事は夢だったのだろうか。


あの世界の人たちの様に、いつも笑って幸せでいたい。

でも私は気が付いた。

メイと一緒にいられれば、私はそれだけで幸せなのだ。



そのまま一緒に寝てしまった様で、気が付くと朝になっていた。


部屋の周りを見返してみても、何か変化があった様には思えなかった。

限りなく近い、と言っていたが何が違う世界なのだろうか。


その後、メイを起こして託児所に連れて行った。

私は普通に昼の仕事をして、そこでも何も変化はなかった。

限りなく近いけど、少し違う。

そんな世界と言っていたのだが、やっぱりあれは夢だったのだろうか。


仕事が終わり、託児所にメイを迎えに行くとママ、と元気な声が返ってくる。

抱きしめて、帰ろうかと言って一緒に手を繋いで歩いた。

メイはずっとご機嫌で、託児所で習った歌を教えてくれた。


家に帰ってから、夕飯はカレーを作った。


人参は高かったので買えなかった。でも、ジャガイモと玉ねぎが沢山入った甘口のカレーだ。

いつもの様に私は食べずに、お茶だけ飲んだ。

美味しそうに食べるメイを見ているとこっちまでお腹がいっぱいになる。


メイが2杯目のカレーを口にした瞬間、机に置いてあった携帯が鳴った。

それに驚いたメイがスプーンを落としてしまった為、スプーンを拾い上げながら電話に出た。


「はーい、誰ですか?」

「誰って〜。俺です。俺。何で今日病院来てくれんかった?」


その電話口の男性の声に、心臓が止まるかと思った。


間違いない。

紛れもなく、この声は夫の声だ。


声も出ず携帯のディスプレイを確認すると、夫の名前が表示されていた。


「おーい、聞こえてる?今日体調でも悪い?」


聞こえてくる声に、涙が溢れ出す。

「ちょ、ちょっと待って。なんで、なんで?」


私が泣いているが分かったのだろうか。

夫は暫く「大丈夫、落ち着いて、大丈夫。」と声をかけてくれた。


「だって、交通事故で…、死んじゃったのに。」

鼻声になりながらも必死でそう伝えると、夫は「いや殺さんといて!」と笑い出した。


「全身骨折まみれで入院しとるけど、死んどらんで。落ち着いてや。」


その優しい声を、私はどれほど求めていた事か。


例の0.0001%違った世界と言うのが、夫が生きている世界だったのだろうか。


「今からメイと、行っていい?」

私はどうしても夫の姿を見たくて、ボロボロ泣きながらもそう伝えた。


夫は楽しそうに

「静かーに、こっそりナースステーション突破出来たら会えるで!」と笑った。



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