第19話 セイガカイと言う男
AUPD内の捜査官は、自分の世界線の座標を教え合う事は禁じられている。
なのでいくらバディとなっても、相手の世界線は知らないし、行く事も出来ない。
ただ、セイガさんは特殊なのだ。
自分のオリジナルラインに帰らずに、AUPD独自の世界線、
しかもAUPD第2課と同じ世界線に暮らしている。
ある日、仕事が終わった後に、セイガさんに呼び止められた。
ちょっと時間ある?と言った彼の顔は珍しく真面目な表情だった。
普通はオリジナルラインへ帰還するので、この空間内には2課本庁とセイガさんが住む家しかない。
歩いて直ぐに、セイガさんの家についた。
周りには何もない空間のなか、1棟だけやけに古びた建物があった。
近くで見ると、びっくりする位のボロボロな集合住宅だった。
外壁はヒビだらけで、ベランダの鉄の柵は錆びている。
俺の世界線では建物はどの家も電子基盤で統一されている。
劣化部分や綻びがあれば自動修復されるので、メンテナンスも不要だ。
俺はここまで古びた建物を初めてみた。
「びっくりするだろ〜。」
セイガさんは俺を見ながらニヤニヤ笑う。
「いや、これは機能として成り立ってるんですかね…。」
恐る恐る階段を登るも、その階段は鉄で出来ており錆びが酷い。
踏み込んだら壊れるのではないかと慎重に足を出す。
それに対して、セイガさんはお構いなしに階段を登るので、靴底が鉄を踏むカンカンと言う音が響いた。
「ようこそ我が家へ〜。」
ある一室の前でセイガさんは小さな物を取り出した。
「あ…。確か、鍵ですよね。それ。」
俺は昔、書物で読んだ光景を思い出す。
「そ。2課内だと普通存在波とか、顔とか指紋とか、色々生体認証するのが普通だろ。でも俺の家はこれなの。」
ガチャ、とドアが開き中へ入る。
既に日が落ちていたので、中に入っても真っ暗だった。
生体認識して、自動的に明かりが付くタイプの家ではないのだろうか。
俺は「照明」と声に出すが、何も反応しなかった。
セイガさんはそんな様子を笑いながら、「ここ」と言って何かを指さす。
パチ、とその部分を上に上げると直ぐに照明がついた。
「は〜、随分と不便な家ですねえ。」
とつい本音が出てしまった。
部屋の中を見渡すと、本当に噂通り家具が無い。
その1室には、ベッドはかろうじてあるものの、他には何もない。
セイガさんはクローゼットを開けて折りたたみの机を出した。
「ま、床に直接座ってくれ。」
セイガさんは向かいに片膝を立てて座った。
AUPD内から拝借してきた飲み物や食べ物をセイガさんは机の上に出す。
床に直接座るとは、なんと大胆なんだ。
異文化の違いに暫く呆気に取られていたが、見様見真似で俺はセイガさんの向かいに座った。
「で、今日は何で呼ばれたんですかね。」
俺の声でセイガさんは一瞬動作が止まった。
その後、あ〜、とかう〜ん、とか煮え切らない言葉を紡ぎ始める。
なんかこの前もこんな事あったな、と思い出しているとセイガさんは言った。
「俺、トラベラーだったんだ。」
「はい?」
「だから、元トラベラーなの。」
そう言って彼は机の上のお菓子の袋を開けた。
食べな、と言われるがちょっと得体が知れない食べ物だったので断る。
その代わり、1本水を貰った。
「ちょっと意味が分からないですが、どう言う流れでAUPDになったんですか。」
そうするとセイガさんは昔の記憶を呼び起こして、俺に伝えてくれた。
座標は言えないが、そこはかなり古い時代の世界線だったそうだ。
高次元観測において日々研究に没頭していた彼は、助手と言う立場でありながら、
誰もが一目を置く様な存在だったらしい。
その時代には高次元と言った概念もあまり浸透しておらず、夢見事とされていた。
だが、セイガさんやその研究所内では、現実の事と仮定し研究を続けていた。
高次元論文の構築を進めセイガさんは完成までもう少しと思った所で、
偶発的に発生した時空の歪みによって、別世界線へと越境してしまったそうだ。
セイガさん自身は、勿論無事だった。
直ぐにAUPDによって保護されたそうだ。
だが、セイガさんがいた世界線は無事ではなかった。
彼の存在がその世界線からいなくなった瞬間、その世界線は収束してしまった。
「え、世界線に影響を及ぼす人なんて、かなり稀ですよね。」
今までセイガさんの話を黙って聞いていた俺は、突然の話に驚く。
その世界線の【因果の中核者】が突然その世界にいなくなると、
その未来において確定していない結果が原因不明のまま残る。
結果、その因果全体が自己矛盾として収束、未発生の可能性として世界線が崩壊してしまう。
世界線によってその因果の中核者は様々だし、
基本的に1人いなくなった程度では世界線の崩壊はよっぽどしない。
「いや、俺が特別な能力を持っていた訳じゃない。だけど、世界線の分岐運命に俺が深く組み込まれていた。
自分がその世界線にいなくなった瞬間、矛盾を抱えきれずに崩壊した。」
セイガさんはお菓子を食べながら続ける。
「その世界線において、高次元理論の構築は革新的な発見だった。
その後に、高次元理論を用いた様々な分岐点が生まれる筈だったが、
俺がいなくなった世界線は、その未来を描けなくなってしまったとAUPD捜査官から聞かされた。」
それを聞いて納得する。
どうりでオリジナル世界線へ帰還しない訳だ。
いや、帰還しない、ではなくオリジナルラインが無いから帰る事も出来ないんだ。
「じゃあ、セイガさんはその世界線のちょうど【繋ぎ目】の役割を担っていたって事ですかね。」
「うん。」
だがその世界線が消滅したと言う事は、彼の存在はかなり異質な存在になってくる。
「そこで、AUPDは最初俺を保護して、限りなく近い世界線に移送しようとした。でも出来なかった。」
セイガさんは若干言葉に詰まりながら説明をする。
「どこの世界線にも属さない存在になった俺、
つまり…他の世界線からすると【異物】が入ってきたと認識される。
自分の起点が存在しない人物は、他の世界線にとっては「どこにも繋がらない構文の断片」だ。
だから、戻れないしどこへも行けない存在。」
オリジナルラインが崩壊し、今まで一緒に過ごしてきた人達にも会うことも出来ず、
ただただ自分の存在もあやふやになってしまう。
偶発的な越境とは言え、セイガさんはどれ程辛く悲しかった事だろうか。
遠い世界線から来たんだな、位に思っていたが、ここまで悲惨な話だったとは。
だが、1点気になる。
「AUPDには、どう入ったんですか?」
セイガさんは腕を組んでうーんと唸った後言った。
「俺みたいな特殊なケースは初めてだったらしい。
異端だったからなあ、存在の殺人は出来ないから、AUPDで雇ってみるかって感じらしい。」
「雇ってみるか、って何ですそれ。」
軽々しく言うセイガさんに笑ってしまう。
AUPDの職員になるにはかなり厳しい道のりだ。
職員は、全世界線上の中のほんの一握りしかなれない。
特別な適正と倫理観を持ち、高次元においてもかなりレベルの高い頭脳を要求される。
まあ。話を聞く限りセイガさんは高次元の研究を行なっていたみたいなので、
適正と言えば適正だったんだろう。
もし、ただの一般人だったらきっと
AUPD独自のオリジナル世界線に移送し、閉鎖空間内で観測をしていたのだろう。
今の収容世界線と同じ様に。
「だから俺は、世界線間に設置された中立構文空間=AUPDの存在空間に住んでる。
んで、AUPD捜査官として過ごしてる。」
お菓子を齧りながらスラスラと話すが、当時彼はどう言う思いだったのだろうか。
「そうだったんですね。あの、ORAXのリーダーのアクシスも知ってるんでしょうか。」
セイガさんから、アクシスとは元バディだったと言う事は聞いた。
だが以前アクシスの拉致を受けた際に、セイガさんは自由を求めていたと言っていた。
あの意味は何だったんだろう。
「知ってる。今のアクシスにとっては、俺は自由の象徴みたいなもんだ。観測から外れた自由な存在。
こっちからしたら、自由じゃねえし。AUPDで観測されてるから存在の証明が出来る。
最初、俺は自由に生きてる皆が羨ましかった。だから一度はいいなと思った。
でも存在の殺人や世界線の消滅、そう言った違法行為をした上で勝ち取る自由なんて、
俺は絶対に許せない。」
セイガさんはきっと今アクシスの顔が脳裏に浮かんでいるのだろう。
鋭い目つきで、タバコに火をつけた。
「あ、吸っていいか?」
一と吸いした後、慌てて俺に聞いてくる。
「はい。もう慣れたんで。」
と俺が返すと、よかったと呟き深く煙を吸い込んだ。
タバコを吸う、食事を食べる、古びた建物。
多分元々の世界線で、彼はこの様な生活をしていたのだろう。
彼にはそれを、模倣して懐かしむ事しか出来ない。
誰とも分かち合えない、彼の世界線の文化。
だから、俺に共有したがるんだろうか。
オリジナルラインも崩壊し元に戻れず、
どの世界線でも異物として受け入れられなかったセイガさん。
AUPDに入ってからは尊敬していたバディのアクシスが、
今やORAXと言う組織になり、無理な違法行為を行なっている。
彼の周りで起きた事は、自分が想像する以上に大変な事ばかりだ。
「あの、俺はちゃんとセイガさんのバディでいますからね。」
俺はORAXに入る気もないし、AUPDも辞めるつもりもない。
既に今までの任務の中で彼のトラベラーとの対応力、高次元の知識、上司としての対応。
日々彼の色んな所を尊敬をしている。
俺は彼を裏切る事はしないだろう。
だがこの回答はセイガさんにとっては思いもよらぬ言葉だったのか、
彼は大きくわはは、と声を出して笑った。
「じゃあ俺の存在証明、お前がし続けてくれよ。」
「はい。観測し続けます。」
その後、セイガさんは今日はパーティーだと告げて、
袋に詰まっていたありとあらゆるお菓子を出した。
AUPDに依頼すれば、どこの世界線の物でも必要経費として調達してくれるが、
確実にこの人は依頼しすぎだ。怒られないのだろうか。
目の前の訳の分からない食べ物をあれよこれよと食べさせてくる。
最初は彼の境遇に同情する部分もあり、付き合って少し食べていたが、
直ぐに食べる事に疲れてしまった。
だが、「食べる文化がない」と言って断っても断っても、
セイガさんは「さあどうぞ」と言う目でお菓子を差し出す。
10個くらい味見した所で、流石に俺も我慢の限界がきた。
「…もういらないって言ってるでしょうが!」