表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

志野木先輩は人間社会に絶望した社畜である。

作者: 崎ノ夜
掲載日:2024/07/04

 ◆序章 ──声の出どころ


「こんな世界に、一番いらないのは、人間じゃね?」


 その言葉は、どこかで誰かがつぶやいた不吉な予言のように、(しま)の耳にだけ繰り返し残った。

 それが最初に発せられたのがいつだったか、彼にはもう思い出せない。

 ただ、いつも淡々とした声が、世界の底に小石を落とすように言ったのだけは覚えている。


 言葉の重さに気づいたのは、ずっと後のことだった。



***



 ◆第一章 焼け跡に残された言葉たち


 20XX年、核戦争は人々が望んだ形とは別の終わりを迎えた。

 廃墟となった地表の割れ目から、古い鱗をまとった異形たち――リザードマンが這い出した。


 人間は、彼らにとって“この星に湧いた害獣”にすぎなかった。


 屠られた人間は山のように積もり、血の匂いは季節の風より確かなものになった。

 だが世界は終わらない。

 人間はいつでも滅びかけるが、ほんとうに滅びたことはない。


 それは希望ではなく、むしろ呪いのような現象だった。


 突然変異したヒーローたちが現れ、世界の均衡は再び歪められた。

 彼らは「英雄(ヒーロー)」と呼ばれたが、その呼び名の空虚さは、誰も指摘しなかった。



***



 ◆第二章 志野木先輩という空洞


 志野木(しのぎ)先輩は、その“英雄(ヒーロー)”の中でも突出した存在だった。


 感情の欠片すら見せない。

 怒りも、喜びも、疲労も、他者へ向ける関心すら希薄で、まるで世界から一歩だけ浮いた場所に立っているようだった。


 ある夕方、嶋は寮の玄関で彼女が“バカ”と悪意を記した室内靴を黙って履くのを見た。

 その瞬間、気づいた。


「こんな世界に、一番いらないのは、人間じゃね?」


 あれは口癖ではなく、世界への冷たい観察だったのだと。


 彼女の部屋をのぞいたことがある。

 机、ベッド、棚。どれも必要最低限の形だけで、生活の匂いはなかった。

 ひとりの人間の痕跡が欠落していた。


 まるで世界のどこにも属していない空洞を見た気がした。



***



 ◆第三章 英雄の檻、人間の檻


 人類軍という施設は、英雄(ヒーロー)を守る場所ではなかった。

 人間が“強すぎる存在”を囲い、監視し、使い潰すための檻だった。


 週七日、二十四時間、呼ばれれば応じる義務だけがあった。

 嶋たちはまだ自由が与えられている方だった。

 志野木先輩は、休みを申し出たことすらないらしい。


 上司が言ったという。


「君、休みいらないよね?」


 言葉は雑談のように軽かったが、人間に寄りかかる僅かな優しささえ欠けていた。



***



 ◆第四章 学校という小さな地獄


 学校が襲われた日のことを、嶋は生涯忘れないだろう。


 現場へ向かうと、瓦礫の山はまだ崩れ落ちる途中だった。

 志野木先輩は、すでにすべてを片付けていた。

 瓦礫の下から救い出す仕事だけが嶋に残されていた。


 泣く生徒たちが、志野木先輩に「ありがとう」と言った。

 かつて彼女を嘲った者たちだった。


 志野木先輩は、彼らの涙を理解しようともせず、ただ短く言った。


「仕事だから」


 その声には、感謝も憎悪もなかった。

 世界への期待がとうに失われている者の声だった。


 嶋は背筋が冷えた。

 もし彼女がわずかに方向を変えたなら、人間は簡単に消滅するだろうと悟ったからだ。



***



 ◆第五章 雨のように落ちる血の下で


 転校しても、志野木先輩はいじめられた。

 無口で、何を考えているか分からない者は、人間社会にとって“余剰”として処理される。


 ヒーローは人間に手を出せない。

 だから彼女は黙り続けた。


 嶋ができたのは、毎日バイクで送り迎えをすることだけだった。

 ただの動作に過ぎない。

 だが世界のどこにも居場所を持たない彼女を、わずかに現世へつなぎ止める役目になっていた。


 任務へ向かう途中、血が雨粒のように落ちた。

 志野木先輩はそれを眺めて、言った。


「こんな世界に、一番いらないのは、人間じゃね?」


 その声音は、ただ事実を告げる科学者のように無機質だった。


 嶋はケーキのことを叫んだ。

 彼女の誕生日のために予約したケーキだ。


「……誕生日?」


「そうですよ!明日です!」


「……そっか。それは大変だね」


 彼女は表情を変えなかった。

 だがその無表情の奥には、かすかな躊躇の影があった――嶋にはそう見えた。


 血霧を裂きながら異形を屠る彼女を、人々は化物のように見た。

 その視線を浴びながら、嶋は気づいた。


 ――祈るしかない、と。


 人類が、彼女の中でまだ「不要」にならないように。



***



 ◆終章 世界が終わる速度


 世界は、すぐには終わらない。

 だが、終わらないことが救いであるとは限らない。


 リザードマンたちは駆逐され続け、人類はそのたびに数を減らし、また生き延びた。

 ただし、それは“生”と呼ぶにはあまりにも薄い持続だった。


 嶋は、ときどき、夢想する。


 もし世界に二人だけになれば、志野木先輩はようやく休めるのではないか、と。

 彼女を拒む世界が消え、彼女が拒む世界がなくなれば、少なくとも誰も傷つかないのではないか、と。


 虚無は救いではない。

 けれど、人間のいらない世界で人間を続けることよりは、まだ静かな終わり方かもしれなかった。


 嶋は今日も祈る。


 志野木先輩が、世界を殺す決心をしませんように。

 そしてもし彼女が決めてしまったなら――

 その最後の瞬間まで、隣に立てますように。


 世界が終わる速度は、案外、人間ひとりの呼吸と同じくらいかもしれなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ