7. 聖女の行進(1)
ピカピカに磨き上げられた回廊には、ガラスケースに入れられた骸が立ち並んでいる。ドレスを纏った女性や、甲冑を纏った騎士、幼い赤子……。
腐らないように処理がされているそれらは、見る人を喜ばせるかのように美しく飾り立てられていた。
人の骸を見せ物にすることに、道義的問題はあるかもしれない。だが世の中には悪趣味な趣向を喜ぶ好事家が多いのも事実だ。このカラゴル博物館を訪れる観客たちのように。
順路に従って回廊の奥へと歩を進める者は、ひと際大きなガラスケースを目にするだろう。
飾られているのは女性の遺体。右手に杖を持ち、真っ白なローブを着るその姿には荘厳さすら感じさせる。彼女の足元にはたくさんの兵隊人形が並べられており、骸とのちぐはぐな印象が逆に見る者の心を惹きつける。
【聖女の行進】
そう名付けられた展示物は、今日も虚ろな眼窩で観客たちを見つめていた。
***
「マリーズ!お前との婚約は破棄する!」
威張りくさった態度でアタシに向かってそう言い放ったのは、このルェワリア国の王太子アドリアン殿下。そしてこれみよがしに彼へ寄り添い、勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは――アタシの妹、フェリシーだ。
「お前は聖女の勤めを怠り、フェリシーに仕事を押しつけていたらしいな。さらには信者に対し、彼女の悪い噂を広めていた。そうやって妹を貶め、自分の悪行を隠そうとしたのだろう!そのような不心得者を妻にすることは出来ない。俺はお前との婚約を破棄し、新たにフェリシーと婚約する」
「そういうことなのよ、お姉様。ごめんなさいねぇ~?」
二人は意地の悪い笑みを浮かべている。言われた罪状には一つも身に覚えがないけれど、多分それを伝えたところで聞く気はないんだろうな。あと仮にも王太子とその婚約者がニタニタ顔は止めた方がいいと思う。下品だから。
それにしても……やっぱりこうなったか。
アタシとフェリシーは平民だ。どっかの貴族か王族の落とし種とかそういうものでは全然ないし、両親がどんな人かすら知らない。物心が付いた頃には二人とも孤児院にいた。
親が死んだのか、それとも捨てられたのか……分かることはただ一つ。アタシの家族はフェリシーだけということ。
孤児院には世話をしてくれる修道女や他の孤児たちもいたけれど、彼らは家族じゃない。
辺境近くにある小さな孤児院だったから、寄付金もあまり集まらなくて常にカツカツ。与えられる食事は一日に一食だ。そんなもんで足りるわけがないので、みんな他の者の食事を奪おうとする。もちろん、見つかったら怒られるのでこっそりだけど。
特に妹は孤児の中で一番年少だったから、格好の的だった。だからアタシにとって、フェリシー以外の孤児はみんな敵。食事を奪われて泣くフェリシーと二人で、アタシのパンを分け合ったこともある。
アタシは気も力も強い方だったから、次の日に奴らのパンを穫ってやったけどね。運悪くそれが修道女に見つかってしまった。
あそこの修道女はとにかく厳しくて、ちょっと悪戯をしただけで折檻するんだ。あのときは地下の部屋に一晩閉じこめられたっけ。翌朝戻ってきたアタシにフェリシーが泣きながら抱きついてきたのを覚えている。
「ごめんね。お姉ちゃんは私のために、パンを取り返そうとしただけなのに」
「大丈夫大丈夫。このくらい、へっちゃらだよ。なんたって、アタシは姉ちゃんなんだから」
そんな風に答えながら、涙の跡がいっぱい付いた妹の頬を撫でた。本当は地下が寒くて怖くて、アタシの方がフェリシーの温かさにホッとさせて貰ったのは内緒。
あのまま育っていたら成人後に孤児院を追い出され、二人で最底辺の暮らしを続けていただろう。そんなアタシたちがまさか王族なんかと関わるようになるなんて、あの頃は思いもしなかった。
この国のほとんどの者は多かれ少なかれ魔力を持っている。魔力の種類や量は本当にひとそれぞれ、らしい。
それによって将来進む道も決まるため、子供は11才を越えたら魔力測定試験を受けることになっている。12才になったアタシも御多分に漏れず魔力測定の試験を受けた。12才になってしまったのは、貴族や裕福な家の子供が優先だから後回しにされただけ。
「この子には浄化の力がある。しかも高位の魔術師に匹敵する魔力量だ」
神殿にいた神官たちが一斉にざわめいた。
浄化?なんのこっちゃと首を傾げるアタシをよそに、大人たちは大騒ぎ。その後、アタシは神殿の一部屋へ押し込められた。
「アタシはいつ帰れるんですか?」
「貴方はこれから神殿に住むのですよ。聖女候補なのですから」
「聖女ってなに?」
神官はそんなことも知らないのかと言わんばかりの蔑んだ目をした。仕方ないじゃん。誰も教えてくれなかったんだから。
聖女とは魔を払う力――浄化のスキルを持つ女性のこと。
数十年に一人産まれるか産まれないかというくらい希少な存在であること。
アタシの力は相当に強いため、おそらく聖女に選ばれるであろうということ。
それを聞いて凄いことなんだなということは何となく分かったけれど、アタシはそんなことよりフェリシーの事が心配だった。
今頃、泣きながらアタシを待っているだろう。またパンを奪られてるかもしれない。早く帰ってあげなきゃ。
「アタシには妹がいるんです。ここに住むんだったら、妹も連れて来て下さい」
「駄目です。神殿は神へ仕える神聖な場所。聖女候補でなければ住む資格はありません」
「だったらアタシは聖女なんてならない!」
暴れて飛び出そうとしたけれど、大人たちに捕まえられてしまった。何度も神殿から抜け出そうとするし、ふてくされて聖女の修行もやろうとしないアタシに神官たちは困り果てたのだろう。しばらくしてフェリシーも神殿へ連れてこられた。
後から知ったことだが、神官の一人が「この子の血縁なら、浄化に類するスキルを持っているかもしれない」と提言したそうだ。
そこでまだ10才ではあるが特例としてフェリシーにも測定試験を受けさせたところ、彼女も同じスキルの持ち主だと分かった。そのため晴れて共に聖女候補として神殿へ住めることになったのだ。
「お姉ちゃん、見て。こんな白い服、初めて!」
「ご飯いっぱいだね、嬉しいね!」
今思えば聖女候補の服なんて簡素なものだったし、食事だって質素だった。
だけど着てる物はボロボロでいつもお腹を空かせていた孤児院での生活に比べれば、神殿は天国だった。アタシにとってはあの頃が人生で一番楽しい時期だったと思う。
数年修行を積んで正式に聖女となったことで、アタシの生活は一変した。
神官長の次くらいに良い部屋を与えられ、侍女も付けられた。服装は高価な物に変わったし、食事も今までとは段違いに良い物が与えられる。神殿の行う祭典に出席すれば「聖女様」と崇められた。
アタシがなぜそこまで丁重に扱われるかというと……ひとえに浄化のスキルゆえだ。
この国は頻繁に魔獣の被害にあっている。それを喰いとめてくれる存在なのだから、そりゃあ大事にするよね。おかげで魔獣が出るたびに、どんなに遠くても現地で浄化をさせられた。困っている人を救うためと言われれば従うしかない。
そういう神官たちは、民を救おうなんて考えはこれっぽっちも持っていなかったくせにね。彼らはアタシを利用してより多い寄付金をせしめようとしていただけ。
「お姉ちゃ……じゃなかった、お姉様。また出かけるの?」
「ごめんね、フェリシー。また魔獣が出たらしいんだ」
アタシが式典だ魔獣退治だと飛び回っているせいで、フェリシーと一緒にいられる時間はほとんど無い。最初は「いつも一緒だったのに……」と寂しがってむくれるくらいだったが、そのうちに「ずるい。何でお姉様だけ」と口にするようになった。
「何でお姉様だけいい服を着ているの?」
「聖女だから、人前に出るにはそれなりの格好をしなければならないんだよ」
「じゃあ、どうして私より良いものを食べているの?」
「聖女があんまり痩せっぽっちじゃみっともないんだってさ」
「何でお姉様が王子様と結婚できるの?私だって浄化のスキルを持っているのに!」
「……うるさいなあ。アタシが聖女なんだから、仕方ないでしょ!」
休む間もなく国中を飛び回っていたアタシはヘトヘト。本当は疲れていたけれど、妹の前では辛い顔はできなかった。お姉ちゃんだから。それも知らず聞き分けのない妹にひどくイライラした。
私がアドリアン殿下との婚約を望んだ訳じゃない。初対面で「これが聖女か。みすぼらしいな」と吐き捨てるように言った男だ。婚約者らしいことなんて、一つもして貰ったことはない。王太子だろうが見目が良かろうが、そんな奴と誰が結婚したいものか。
殿下の事を考えたら頭に血が上って、ついキツい言葉を返してしまった。言い過ぎたと思ったけれど、もう遅い。フェリシは一瞬固まった後、「お姉様なんて知らない!」と半泣きで去っていった。
それ以来、アタシと妹はギクシャクするようになった。あの時のことを謝らなきゃ。そう思うのに、時間だけが過ぎていく。
「お前の妹、結構な美人じゃないか。彼女も聖女候補なんだろ。お前ではなくフェリシーが聖女になる可能性もあったんじゃないか?」
「フェリシーはアタシ、いえ私より聖力が劣りますので」
「残念だな。お前みたいな地味女と違って、フェリシーなら俺の横に立っても見劣りしないだろうに」
アドリアン殿下がニヤニヤとした顔を向ける。ろくに会おうとしない癖に、たまに呼び出したかと思えばこうやってアタシを揶揄して楽しむんだ。この屑男め。
この時に嫌な予感はしていた。
年頃になって分かったのは、フェリシーがかなりの美少女だということだ。陶器のように白い肌、つややかになびく栗色の髪は男たちの目を引く。神殿へ礼拝に来た若い男たちが彼女を巫女見習いだと勘違いして、口説こうとしたことも度々あった。
それでフェリシーは気づいたのだ。自分が他者より美しいということに。
「お姉ちゃん、もう少し見た目に気をつけたら?私みたいに」
「毎日忙しいからね。そこまで気を配る元気がないよ」
「ふうん。あんまりみすぼらしいと、アドリアン様に嫌われちゃうよ?こないだも『俺の婚約者のくせに、マリーズは地味だ。少しは化粧でもすればいいのに』ってぼやいていたもの」
いつの間にフェリシーはあの屑王子と親しくなったんだろうか?いや、そんなことよりも。
アタシを見る妹の表情が、酷く歪んでいることの方が気になった。美しいけれど醜悪なその顔には見覚えがある。
……そうだ。アタシを見下して嘲笑う、アドリアン殿下と同じ目。
「お前との婚約を破棄する!」
大勢の神官たちの前で宣言したからには、もう撤回はできないだろうなあ。
言われて最初に思ったのはそんなことだった。
婚約破棄は別に構わない。むしろ大歓迎だ。王太子の婚約者であることにも、聖女であることにもアタシは辟易していたから。
だから二人が真に愛し合っているのなら喜んで祝福する。だけど……アドリアン殿下はどう見てもフェリシーの容姿にしか興味が無さそうだ。それにフェリシーの方だって、おそらく王族になればちやほやされる、贅沢できるくらいにしか思っていない。
それにフェリシーが聖女になるという事は、アタシが今までしてきた苦労を彼女へ背負わせるということだ。
「アドリアン様は私を可愛い、生涯大事にするって言ってくれたもん!私はいずれ王妃になるのよ。綺麗な服を着てみんなに傅かれるの。可哀そうだから、お姉様は私の小間使いにしてあげるわ」
「フェリシー、お前はあの王子の本性を知らないからそんなことが言えるんだよ。それに、聖女ってのはそんなに楽なもんじゃないって」
「やだぁ。お姉様ったら嫉妬してるの?」
どれだけ止めても、フェリシーは耳を傾けてくれない。私にはもうどうしようもなかった。
さらにアドリアン殿下はアタシを神殿から追放すると決定した。曰く、聖女を騙った大罪人だから、とかなんとか。アタシの今までの働きを知っている神官たちは反対したようだけれど、神官長が殿下に従うと決めてしまった。神官長は貴族の出身でアドリアン殿下の母親と親戚らしいから、殿下に追従したんだろう。
「じゃあねえ、お姉様。これからは他人だから。聖女じゃなくなったお姉様はただの平民で、私は聖女で未来の王妃だもの。お金が無くなったからって、頼って来ないでね!」
そんな妹の声を背に受けながら、私はとぼとぼと神殿を後にした。