1. 亡国の騎士(1)
カツン、カツンとヒールの音を鳴り響かせながら、ガラスケースの立ち並ぶ間を歩く。
ケースに入れられた彼らからの視線が、私を注視しているようだ。
彼らとは、骸である。それも、人間の。
彼らは生前の姿そのままの肉を纏っており、しかも見る人を喜ばせるかのように美しく飾り立てられている。煌びやかなドレスを纏った女性や、礼服姿の男性。幼子の骸もある。
私は通路を塞ぐように置かれた、ひときわ大きなガラスケースの前で足を止めた。
そこに飾られているのは一人の騎士。甲冑を纏って馬を模した木の台に座り、右の手に持つ剣を振り上げる様はとても勇ましい。皮がなくむき出しになった眼窩と口は、笑っているようでもありまた嘆いているようにも見えた。
ケースに掲げられた札にはこう書かれている。
【亡国の騎士】
滅亡する祖国と共に逝った、無名の騎士。
訪れた者は彼を「名無しの騎士」と呼ぶ。誰も、彼の名を知らないからだ。
だけど私だけは知っている。
だって私、彼の婚約者だったんですもの。
***
今日も私は、あの人が彼女と親しげに話す姿を見つめる。
端から見れば友人同士の親しい語らいだろう。だけどその瞳に浮かんだ色や優し気な微笑みが、目の前の女性を愛していると告げている。
このまま眺めていても惨めになるだけ。私は涙を堪えてその場を後にした。
あの人――私の婚約者、リオネル王太子殿下。
さらさらの金髪に海の如く深い青の瞳。均整のとれた顔立ちは物語に出てくる王子様のように美しい。しかも見た目だけではなく、成績優秀でありながら研鑽を惜しまず、剣術は騎士団長に絶賛されるほどの腕前。さらに正義感に溢れ、爵位問わず公平に接する姿に、彼が次期国王であるならばこのフォートリア王国も安泰だと言われるほどに人望がある方。
私がリオネル様に初めてお会いしたのは、10歳の頃だ。当時我がヴァロワ侯爵家は王妃様の実家であるブルデュー侯爵家と並ぶ権勢を持ち、二大侯爵家と呼ばれていた。王子の婚約者候補に私の名が挙がるのは、当然の成り行きであろう。
「は、初めまして、リオネル殿下。クラリス・ヴァロワでございます」
「そんなに緊張しなくていいよ、クラリス嬢。よろしくね」
リオネル様は、カチンコチンになっている私を優しくエスコートして、王宮の庭を案内して下さった。
麗しい容姿と幼いながらもその完璧な貴公子振りに、私はすっかり夢中になってしまった。無事に婚約者と定められた日は嬉しくて眠れなかったほどだ。
「俺は、レオンス公のような英雄になりたいんだ」
「レオンス公――獅子王様ですね」
「そうだ。彼の子孫として、この国を守り抜く義務が俺にはある」
フォートリア王国を建国した初代国王、レオンス・フォートリア。彼は公明正大な統治により、民衆から広く慕われた。また有事の際は自ら剣を持って外敵を蹴散らしたという。その勇猛さから『獅子王』とも呼ばれている。
リオネル様はレオンス公にとても憧れているらしく、きらきらと目を輝かせながら祖の英雄について語った。その嬉しそうな姿を見たくて、私は何度も獅子王の逸話を聞きたいとねだったものだ。
その言葉通り、リオネル様は剣術に並々ならぬ関心をお持ちだった。勉学の合間を縫って鍛錬を行い、華奢だったお身体はみるみるうちに逞しい体躯となった。
貴族学院の剣技大会で、並みいる騎士科の生徒たちを抑えて優勝なさったこともある。
「この勝利を、我が婚約者へ」
そう言ってひざまづき、私の手へ口付けをするリオネル様。あれほど幸せだったことはない。それは女生徒たちから羨望の眼差しを受けたからでも、まして優勝を捧げられたからでもない。
彼の瞳が、真っ直ぐに私だけを見ていたから。それが何より嬉しくて、一生この方を傍でお支えしようと思った。
だけど学院生活が二年目になった辺りから、ほんの少しリオネル様との間に距離を感じるようになった。
周囲は私たちを仲睦まじい婚約者同士と思っていたようだ。実際、彼の紳士的な態度は変わらない。月一の顔合わせを兼ねたお茶会には欠かさず参加されるし、誕生日には丁寧な手紙と共に贈り物が届く。だけど、どこか儀礼的なものに感じるのだ。
両親に相談しても、「男にはそういう時期があるものだ。お前はいずれ彼の妻となるのだから、ゆったり構えていなさい」と軽く流されるだけだった。
三年目になるとリオネル様は生徒会長を務めるようになった。不埒なカップルや授業をサボる生徒の溜まり場となっていたうす暗い裏庭の改装を提案、上位貴族の特権であった遅めの登校時間を撤廃。公正な学園生活を謳い文句に次々と改革を行っていくリオネル様の人気は上がる一方。
急進的な改革に反対の声もあったが、王太子の支持者は多い。少数派の声など掻き消されるのが世の常なのだろう。
ちなみに私も生徒会に入ることを希望したが、リオネル様に却下された。
「クラリス、君には王太子妃教育があるだろう。そちらを優先してくれ」
「リオネル様だって、王太子の執務と生徒会の両方をこなしておられるではありませんか。私にもお手伝いさせて下さい」
「俺には頼りになる側近がいるので問題ない。学院の仕事と王太子妃教育、どちらがこの国にとってより有用なことか。君なら分かるだろう?」
「はい……」
私は口を噛んで下を向いた。リオネル様の仰ることが正しいのは分かる。
でも私は、ただ彼の傍にいたかっただけ。せめて、それを分かって欲しかった。
貴方はいつも正しい。正しいことしか、仰らない。だけどそこには、相手の気持ちを慮るということが欠けている。
裏庭は授業についていけない生徒にとって数少ない逃げ場だった。警護が必要な上位貴族の生徒が登校時間をずらすのは、正門の混雑を避けるため。世の中は正道だけで廻っているわけではないのに。