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3(首のない幽霊)

 テレビのドキュメンタリー番組では、何千キロも旅をして自分の家まで戻った犬の話をしていた。オーストラリアに住むフォックス・テリアのウィスキーは、いったん迷子になってから、九ヶ月かけてメルボルンの飼い主のところまで戻ったそうだ。

 それから、ペットとして飼われることの多い犬と猫の違いについて説明される。犬は群れを作り、獲物を追跡して狩りをする。猫は単独行動をして(例外はライオン、ライオンはプライドという群れを作る――とのこと)、基本的にはこっそりと待ち伏せして獲物をしとめる。

 ――ふうん、とぼくは思う。

「犬はヒトにつくっていうからなあ」

 と、お父さんがビールを飲みながら言った。

 夜中、夕食のあと、ぼくたちはいつもの習慣で家族そろってテレビの前で寛いでいた。ぼくは台所のテーブルに座って、お父さんとお姉ちゃんはリビングのソファに座っている。お母さんはキッチンで果物を切っているところだった。

 ガラス戸の向こう側には、部屋の中が透明になって浮かんでいる。

「じゃあ、猫は?」

 お姉ちゃんが、お父さんのほうを向いて訊ねた。

「猫はイエにつくそうだ」

「犬はヒトで、猫はイエって、どういうこと?」

「つまりな、犬は飼い主にくっついてるんだけど、猫はただそこに住んでいるだけってことだな。飼い主がいなくても、住むところと食べものさえあればいいわけだ。犬と違って、猫のほうは独立心が強いからな」

「へえ」

 二人とも、わりと熱心に話してるみたいだった。ちなみに、うちでは犬も猫も飼ってないし、飼ったこともないし、これからも飼うことはないと思う。

「犬と猫がペットの圧倒的なシェアを誇っているのは、たぶん両方とも人間によく似ているからだろうな」

 と、お父さんは訳知り顔に言った。

 それはいつも通りの家族の光景で、いつも通りの家族の時間だった。変わったことなんて、一つもない。今日を昨日か明日と取りかえたって、たいした違いなんてないだろう。

 でも――

 もちろん、そんなことはない。うちの冷蔵庫には今も女の人の生首があって、それは正体不明のままだった。おまけに、その生首の持ち主(?)と思われる、首のない幽霊まで現れる始末なのだ。

 このままだと、絶対によくないことが起こるはずだった。

「あ、あの犬すごくかわいい!」

 でもうちの家族では、ぼく以外に誰もそんなことは思ってない。特にお姉ちゃんなんて、その手のことにまったく鈍いのだ。たぶん、アリに噛まれたゾウと同じくらいに。お姉ちゃんにかかったら、もしかしたら幽霊のほうが退散してしまうかもしれない。

 ぼくが一人で悩んでいると、急にお母さんが声をかけてきた。

「歩、冷蔵庫にケーキがあるから、食べていいわよ」

 言いながら、お母さんは切ったリンゴを二人のところに持っていく。

 ケーキと言われて、ぼくの悩みはいっそう深くなった。冷蔵庫にケーキがあるということは、冷蔵庫を開けなくちゃいけない、ということだ。冷蔵庫を開けなくちゃいけないということは、中の生首と顔をあわせなくちゃいけない、ということだ。

 ――ということは、ケーキを食べることは不可能ということになってしまう。Q.E.D。

 ぼくは内心で、深々とため息をついた。()()を噛む、というのはこういうことなのかもしれない。ほぞというのは、おへそのことらしいけど、どうやってそんなものを噛むんだろう。昔の人は首が長かったのかもしれない。

「…………」

 と、そんなことを考えても現実はまったくそのままで、つまりぼくはケーキを食べられないのだった。テレビを視聴中のお父さんとお姉ちゃんは、笑いながらおいしそうにリンゴをかじっている。

 ぼくは何となく、ベランダのほうに向かった。人は思いぞ屈せし場合、こんなふうに部屋を歩きまわるものだ――と、どこかで読んだ気がする。

 小さなベランダに出て、ぼくは夜の空気を吸いこんでみた。少なくともそれは、ちょっとだけ自由な感じがした。体の重みが抜けて、少し軽くなったみたいな。もしかしたら、ダイエットに効果があるかもしれない。今度、お姉ちゃんに勧めてみようかな。

 手すりの向こうには、夜の空と街が広がっていた。後ろからやって来る部屋の光は、すぐに暗闇に溶けてしまう。宇宙のほとんどは、暗闇で出来ているのだ。今も、昔も、これからも。

 ぼくは手すりにもたれて、街を見おろしてみた。そこには空に昇りそこねたみたいにして、いろんな光が散らばっている。家の窓からもれる光、ぽつんとした街灯の光、口もきかないまま動いていく車の光、落ち着きなく姿を変える信号の光――

 そうやってふと近くにある公園のあたりを見たとき、ぼくは一瞬、心臓がとまってしまうかと思った。

 何故かというと、そこに首のない女の人がいたから。

 その人は月の表面みたいに誰もいない公園を、ただまっすぐ歩いていく。すべり台も、ブランコも、それには気づいていないみたいだった。

 やがてその人は、暗闇の中に消えてしまう。何の証拠も、痕跡も、全然残すことなく。

 まるで――

 悪い夢でも見ていたみたいに。

 ぼくの心臓はさっきの言い訳でもするみたいに、どくどくとうるさいくらいに脈打っていた。

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