さえない酒場店主のぼくに、かっこよすぎる恋人ができました
からん、と入り口に取り付けたベルが鳴った。顔を上げると、グレーがかった髪にめがねをかけた、背の高い男性が目に入ってくる。
「い、いらっしゃいませ・・・!」
(新しいお客様だ!)
今日も今日とてがらがらの店に、新しい客がやってくることはめったにない。常連が数人、たまに訪れるだけのこじんまりとした店だ。
嬉しさからかけよると、その勢いに驚いたのか、お客様が、はた、とぼくを見た。涼しげなブルーの瞳と目が合う。
(すごくきれいな人だ・・・)
有名人のお忍びだろうか。見た事もないほど顔の整った人だ。
「ど、どうぞ、こちらへ・・・」
どもりながら席へ案内する。注文を待つ間そわそわしながら棚を確認する。仕入れはばっちり、この規模の店にしては酒の種類は十分すぎるほどあるので、ある程度の注文になら応えられるだろう。
「マスター。エール一つ、お願いできますか」
「はい!」
さっそく席に運ぶ。なみなみと注いだエールを眺めていたブルーアイと、目が合った。
「あっ・・・お。お待たせしました・・・」
「・・・やっぱり」
「え?」
「マスター、この間、女の人に殴られていませんでしたか」
「・・・え!?」
顔が引きつる。確かに、殴られていた。
「ど、え、なんで・・・」
「たまたま居合わせまして。スリと勘違いされるとは、不運でしたね」
変な汗が流れる。先日、スリと間違えられて思い切り殴られた。取り返した財布を握りしめているところに追いついた女の人に誤解されてしまったのだ。幸い、周りの人のおかげで誤解は解けたのだけど。
「・・・怒ればよかったのに」
「え?」
お客様はエールに口をつけながら、ちろり、とぼくを見上げた。
「だって、勘違いで殴っておいて、『誤解されるようなことしないで』、なんてひどいでしょう」
「それは・・・でも、犯人も逃げていましたし。あの人から見たら、盗られた財布を握りしめて地面に倒れている男は、怪しく見えたでしょうから」
「そういうものですか」
「そういうものですよ」
お客様は納得いかない様子だったが、ぼくにとってはそういうものである。どもりがちで、うだつのあがらない男なので。不審者扱いされたことは悲しいけれど、わからないでもないかな、という感じだ。
手元に視線を落とし、磨く必要もないグラスを磨く。
「人がいいのですね」
「そ、そんなことないですよ」
「私は、人がいいと思いますよ。職業柄、色々な方を見てきましたから。信じてもらっていいですよ」
ウインク一つよこして、お客様は笑う。
「この店も、居心地がいいです。内装はマスターの趣味ですか」
「あ、はい、まあ‥そうです、ね」
ストレートな褒め言葉に照れてしまう。
「あ、あの、ご職業はなにをされているんですか・・・?」
「冒険者を。初めて5年ほどなので、まだまだ若輩ですが」
「冒険者・・・5年、というと、勇者様と同じ年に冒険者になられたんですね」
勇者フィンリー。今この国で知らない人はいないだろう有名人だ。
美しい金髪の剣使い。長年この国を脅かしてきた魔王軍を打ち破り、魔王討伐を成し遂げた立役者。
この国だけではなくて、他国でも人気が高いという。
「そうですね」
お客様は素っ気なく頷くと、エールを煽った。
「昨日も、祝賀パレードをやっていましたが。マスターは見ましたか」
「見には行ったんですけど、人がすごくて。さすが勇者様ですね」
「・・・タイプですか?」
「・・・はい?」
「勇者の顔」
「ゆうしゃさまのかお!?」
その発想はなかった。
「い、いやいや・・・そんな目で見れる相手じゃ、ないですよ」
「でも、同じ人間でしょう」
「そ、それはそうですけど・・・雲の上の存在というか・・・かっこいいな、とは思いましたけど・・・」
なんせ国どころか人類の英雄だ。すごい、かっこいいとは思うけど、自分が関わる相手だなんて思えない。そもそもなぜ好みのタイプとかいう話になるんだ。
「そういうものですか」
「そういうものですよ」
なかなか突飛な発想をするお客様である。
「では、私は?」
「はい?」
「今の私は、ただの一般人で、マスターのお店の客なわけですが。私の顔は、マスターのタイプですか?」
お客様はいたずらっぽく笑った。ぐ、と体を傾けてぼくの顔を覗き込んでくる。
「どうです?」
「ど、どうって・・・もう酔われたんですか?」
「まさか。エールを、それもこれっぽっちしか飲んでいないのに」
「じゃあ、からかってますか」
「いいえ?」
なんなんだろう、この人。やっぱり酔っているんじゃないだろうか。それとも、からかわれているのか?
そりゃあ、傍から見ても女性慣れしているようには見えないだろうけど。なんなら変な酔っ払い方をした男に、そういった絡まれ方をすることもあるけれど。
「・・・きれいだ、とは思いますけど。そういうことは、お好きな方に言ったほうがいいですよ」
我ながらつまらない返しだ。とはいえ、他にどう返すのがいいのかはわからないけれど。
お客様は、はた、と瞬くと小首をかしげた。艶のあるグレーの髪が揺れる。
「・・・もっとストレートに言われる方が好みですか?」
「はい?」
「マスター、私は今、あなたを口説いているんですよ」
「・・・はい!?」
磨いていたグラスを落っことすかと思った。
「え・・・いや、ぼく・・・私は、男ですけど」
「そうでしょうね」
「・・・すみません、男性とお付き合いする気はなくて・・・」
「おや」
意外だ、とでも言いたげな相槌だ。男もいけると思われていたのだろうか。
お客様は少し考えると、首元の布を引き下げた。
「私の喉、見えますか」
「はあ、見えますけど」
それがなんだろう。
「喉仏、ないでしょう?」
「・・・へ?」
まじまじと見る。が、たしかにない。・・・そして、それをわざわざ言うということは・・・。
「・・・申し訳ありません!」
慌てて頭を下げる。
「じょ、女性の方に、とんだ失礼を・・・」
「よくあることなので、お気になさらず」
お客様はからからと笑った。
「それで、どうです?」
「ど、どうって」
「一応、私は女性なわけですけれど。私と、付き合うことは考えられそうですか?」
そこに戻るのか・・・。
「お試しでも、いいですよ。なんせ会ったばかりですし」
「それはだめです!」
思わず大きな声が出た。きょとん、と目を瞬かせるお客様に我に返る。
「す、すみません、大きな声を出して・・・でも、だめですよ」
「お試しも無理なくらい、私の顔はタイプではないですか?」
「そうではなくて。あなたを大事にできる人と、付き合ったほうがいい、ということです」
こんなにきれいな人なのだ。よりどりみどりだろうに、なぜこんな場末の酒場でうだつの上がらない男に付き合ってくれなんて言い出したのか。
お客様はまっすぐにぼくを見つめている。きれいなブルーアイに赤面したぼくが映っていて気恥ずかしい。
「そんなに難しい話ではないですよ。ただ、私がマスターと付き合いたいという話ですから」
つ、とお客様の細く長い指がエールのグラスのふちをなぞる。
「私と付き合って、マスターにデメリットはありますか?」
「デメリット、ですか」
「こう見えても、私、好きな相手には尽くすタイプですよ。お金にも困っていないので、マスターにたかることもありません。たまに会って、話をしながら一緒に過ごしたい・・・それだけです」
ねえ、マスター、と囁く声が甘い。
「大事にされるなら、あなたがいいんです。それが理由では、だめですか?」
「だめでは、ないですけど・・・」
悲しそうな顔に思わず否定すると、お客様がぱっと笑う。
「なら、決まりですね」
嬉しそうに笑うと、エールを煽る。
「ふふ、嬉しい・・・マスター、そういえばお名前を伺っても?」
「ジキルです。ジキル・テイラー」
「ジキル、すてきな名前ですね。私はフィンリー・ハリス。フィンリーと呼んでください」
機嫌よく、歌うように名前を呼ばれた。しかし、フィンリーというと・・・。
「勇者様と同じ名前なんですね」
「それはまあ、私が勇者ですからね」
「・・・はい?」
意味が分からず首を傾げる。フィンリーさんは、いたずらっぽく笑っていた。
「人はいないので、まあいいでしょう」
フィンリーさんはグレーの髪を引っ張り、メガネを外す。グレーの下から金髪がこぼれた。
「・・・え!?」
「髪の色を変えて、メガネをするだけでも、意外とばれないものですよ」
フィンリーさんがくるくるとグレーのかつらを指で回す。見覚えのある美丈夫に、目の前がくらくらする。
軽い足取りでカウンターの中にやってきたフィンリーさんが微笑んだ。
「これからよろしく、ジキル」
ちゅ、と軽い音を立てて唇が重なった。