【第1話】
ブンッと物騒な風音が聞こえ、吉良は体を捻る。
自分の腕の中のものを正確に狙った斬撃は、すんでのところで吉良のブレザーの袖だけをすっぱりと切った。
その切れ味にぞっとしながら、相手から数歩距離を取る。
「弱ったな、逃げられると困る…貴方がそれと仲良くしていて、それをいきなり殺そうとしたことは謝るけど」
斬撃を放った目の前の青年は、心底困ったという顔をして、溜息を吐いた。
「貴方に説明してる暇が無いくらいには、結構危ないものなんだ、それ」
青年は持っている槍を1度振り回し、肩に担いだ。
「あなたは、変に見える目を持っているようだから…。そういうものに、狙われやすいんだろうな」
吉良は、青年から目を離さないようにしながら後ずさる。
「…この子は…私を狙っているのではない」
腕の中の猫を抱え直すと、猫は「ぁお」と暢気な鳴き声を漏らした。
「あなたにはそれはどんな風に見えてるの?」
青年の意味深な問いかけに、吉良はちらりと腕の中の猫を見る。
目が合った猫の瞳は青色。毛並みは黒く、決して力が強くない吉良が抱えて走れるくらいには小さい。
けれど、目の前の青年が聞きたいのは、そういうことではないのだろう。
「それを言って、どうなさるんです?」
吉良は、質問に質問で返す。
青年は、吉良がまともに返答する気がないことを感じたのか、ひょい、と肩をすくめた。
「確かに、余計な質問だったかも」
そう言って笑ってから、青年は槍を再び構えなおした。
「予想できる返事のどれであっても、俺には見逃すって選択肢が無いから」
絶体絶命のピンチに、吉良は唾を飲み込んだ。
***
吉良秋吉は、自覚している限り、いたって平凡で、少しインドアな高校生である。
学校をさぼってゲームセンターに行くような不良でもなければ、早朝から体育館で汗を流す活発な運動部員でもない。
しかし、そんな吉良には秘密にしていることがある。
平日の朝、ペンケースとルーズリーフ、財布、弁当箱と水筒を、通学用のリュックにいれる。
ここまでは普通の高校生とそう変わらない。しかし、吉良はこれ以外にもリュックに入れるものがある。…いや、正確には「入ってもらう」ものがあった。
「おいで」
リュックの口を机の端によせる。
すると、のんびり日向ぼっこをしていた吉良の同居人が立ち上がり、そこに飛び込んだ。
リュックの中でもぞもぞと動き、居心地の良い場所を探すそれは、一匹の黒猫である。
弁当箱の上で落ち着いた猫は、リュックの口から顔を出して「なお」と可愛らしい鳴き声を上げた。
「はいはい、おもちゃね…エビ?たい焼き?」
吉良は椅子の上に鞄を置き、慣れた様子で部屋の端の段ボールから猫用のおもちゃを取り出し、中に収めた。
猫は満足げにふんすふんすと鼻息を漏らして入れられたおもちゃにじゃれる。
吉良はその様子をしばらく眺めてから、隙間を残しつつリュックの口を閉め、ゆっくりと背負った。
狭い部屋の電気を消し、玄関からアパートの通路に出て、鍵を閉める。
そして、吉良はいつもの通学路を歩き始めた。
吉良が少し人と違うのは、黒猫と共に登下校を行っていることだった。
もちろん、吉良の学校はペット同伴可能な校則などない。普通の地元の公立高校である。
わざわざ校則から外れた行動などしたことの無い吉良が猫を通学リュックに入れているのは、ただ飼い猫が恋しいからという理由ではない。
むしろ最初の頃は、勝手に鞄に入る猫と毎朝格闘し、連れていけないと言い聞かせてはリュックから取り出していた。
それでもなお、吉良について来ようとする猫を家に置いてくるために、登校時間を変えてみたり、部屋に閉じ込めたり、鞄を変えて登校しようとしたりした。
しかし、どうやってもいつのまにか猫は吉良の持ち物に入ってくる。最終的にペンケースしか入らないような鞄にも体を突っ込んで連れて行かせようとする猫を見て、吉良は折れた。
なぜかは分からないが、猫が吉良のリュックに入るのは登下校のみであり、授業中はどこかにいっているようで、帰るころにはまた元通りリュックの中に収まっているのだ。
吉良はあまり深く考えないことにした。