独りでは無い
思わぬ大谷吉継の着陣に
『見えている物と違う。』
と不審感を滲ませる徳川家康。そんな頃、佐和山で蟄居中のあの人は……。
石田三成「ここから3ヶ月先の姿が見えているのだけど……。俺って本当に人気無いんだな……。」
石田三成が亡くなったのは10月1日。史実で与えられていた三成の余命はあと3ヶ月。
石田三成「池田は娘婿だから仕方ないにせよ、福島が内府の急先鋒に立つとはな……。まぁそれも仕方ない。彼も会津に向かっていたのだから。
問題は……。秀頼様の側に立った者共だよ……。
勝手に離脱する奴が居たかと思えば、動かない奴も居る。離脱したかと思ったら急に現れて要地を占拠する奴も居る。挙句、こっちに兵を向けて来る。どれだけ資金を依頼しても送って来ない奴も居る。誰一人として今は亡き太閤殿下の恩顧を忘れてしまった。
確かに今は好機である。家康は居ない。俺を襲った連中も居ない。加藤清正に至っては別件で内府から遠ざけられている始末。大坂に残っているほとんどは、内府の事を快くは思っていない者ばかり……。立ち上がるのは今しかない。
しかしこの後の3ヶ月を見ると、……絶対に事を荒立ててはならない。頼りになるのは、私の家臣だけ。私の家臣だけでは奴らに勝つ事は不可能。残念でならないが……。吉継は頼みになるが、彼も小勢。負け戦に巻き込むわけにはいかない。そして何より心配なのは秀頼様の行く末である。3ヶ月先。私が坊主の経を拒否した後、秀頼様はどうなってしまったのか。定かでは無い。内府追討の理由が『太閤殿下の遺命違反』である以上、秀頼様にも危害が及ぶ事は必定。今ここで立ち上がってはならない。
ただだからと言って、内府の天下を指を咥えて眺めているわけでは無い。故に(三成の子)重家の派遣も遅らせる事にした。内府の了承を得た上での過程を踏んでから。何故ならいくさの場所は、私の居るここだけでは無い。いくさをしたくても叶わなかった者達が居る。手ぐすね引いて待っている者達が居る。そんな彼らの欲求の邪魔をしてしまった事が敗因の1つなのかもしれない。そして何より……。
『そのいくさを内府はけっして望んではいない。』
なぜならそこで勝っても秀頼様の名代を果たしただけ。奴が望んでいるのは天下。あそこで勝っても意味が無い。勝って当然。絶対に負けてはならないいくさである。故に彼らも捨て身になる事が出来る。勝ちさえすれば全ての流れを変える事が出来る。
そうだろ?直江兼続。」