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彼の願いは遠く儚く

「起きなって。遅刻するよ」

「まだ夜よ」

「もう七時半だよ。諦めなって」

「休む」

「そこで頑張らなくていいから。ほら行こって」

「はぁ。あなたも私を地獄に連れて行こうとするのね」

「ほんとにこの手のイベント事嫌いなんだから。ほら着替えて行こうよ」

「はぁ。わかったわ。着替えるから出て」

「あいよ」

体育祭当日。いちおう布団のなかで必死の抵抗を試みる。結果はわかりきっていたものだが、そのまま行くのもなんだか癪だったのだ。癪なのでごねてみたら幼馴染が来たのでそれはそれで癪だけれど。ジャージを着る手がとてつもなく重い。一年で数回だけあるいつも起こしている幼馴染が起こしに来るというイベントに心中で舌打ちをしていると着替えが終わる。なんとなく明日の自分が予想できたので寝る前に準備を終えていて助かった。ナイス、昨日の私。

「おまたせ、朝則行きましょ」

「お、意外と早いじゃん。もうちょっとごねるかと思った」

「抵抗するだけ無駄なのはわかってるから」

「じゃあおとなしく諦めればいいのに」

「それは無理な相談ね」

「でしょうね。行こうか」


 いつもより少し遅めの登校。流石にクラスのほとんどは登校しており、どうやら私たちが最後の登校のようだった。なんとなくクラス全体が浮ついている。でもやっぱり私のように喜んでいるわけではない人も多いようでクラスの中の明暗がはっきりと出ていてほ少しほっとする。

「おはよう、黄美さん」

「おはよう紫織ちゃん。ちゃんと来てよかった」

「む。私は真面目な生徒だからね」

「え~?まぁそういうことにしておくね」

「それにしても憂鬱だわ」

「顔に出るぐらいだもんね」

「・・・出てるの?」

「結構出てるよ。最近少し紫織ちゃんの表情わかるようになってきたけど、その憂鬱そうな顔は今ままで一番わかりやすいよ」

「心の底から嫌なんだもの。今日はたぶん一日こんな顔だと思うから気にしないでちょうだい」

「はいはい。あっ、先生来たよ」


 なんの興味もない教師の話を聞き流しながら、どうすれば今日を乗り越えられるかかを考える。心を無にするのが一番手っ取り早いかな。でも、心を無にするってまさに言うが易しよね。名前も知らない生徒の選手宣誓を聞きながら、どうすれば無にできるか考える。あっ噛んだ。可哀そうね。知り合いじゃないから別にいいけど。さざめくような笑い声が惨めさを強調する。哀れね。ちょっとしたイベント、と当事者以外は思っているであろうハプニングもありながら粛々と開会式が進んでいく。でも遅滞なくイベントが進むということはそれだけ断頭台に上がる順番が近づくということでもある。

「さっきの人可哀そうだったね」

「そうね、知り合いだったら恥ずかしすぎてもう帰ってたわ」

「紫織ちゃんが言うと冗談に聞こえないんだよね・・・」

「さすがに冗談よ。四割ぐらいはね」

「半分以上本気なんだ。ま、まぁ最初は綱引きだから、頑張ろうね」

「できるだけ疲れないように頑張るわ」

「そこは頑張るところじゃないよ・・・。それにうちのクラストップバッターだから目立っちゃうよ」

「え、そうなの?初耳ね」

「ほんとに体育祭嫌いだよね。今更だけど」


 無常にも時は過ぎ去る。男女別クラス対抗綱引き一回戦は隣のクラスが対戦相手らしい。ここで勝ったりしたら、二回戦に進んでしまいまた綱引きをする羽目になってしまう。幸いうちのクラスの女子は全体的にやる気がない。これは勝った(負けた)と思ったのもつかの間。よく向こう側のひそひそ声を聞いてみる。

「みんな、あんまり全力出して勝たないように気をつけようね」

しまった。あちらもこちらと同じことを考えているらしい。しかもうちとは違い、そのことで団結している。これは苦戦するかもしれない。

「これはやばいわね。黄美さん」

「うん。余裕で勝てるね」

「誰もそんなことは言ってないわ。このままだと勝ってしまうじゃない」

「えぇ・・・。私今年一ドン引きしてるよ紫織ちゃん」

「うちのクラスも勝ちたいのは少数派だと思うのだけど」

「まぁそうだけど。年一のイベントなんだし我慢して頑張ろうよ」

そんなことを話していると審判が旗を振りに来た。

「それでは綱引き一回戦を始めます。始めっ」


 そこからはなかなかひどい様相を呈した。両陣営ともにそれなりに掛け声や唸り声は聞こえてくるのだが、さっぱりヒモは動かない。結局、最後にあちらの子が転んだ時に少しあちらにヒモが動き、私たちは負けた。あちらのクラスの絶望した顔はなかなかに壮観だった。みんな、絶望の底にたたきつけられたような顔をしている。流石に可哀そうに思う。ちょっとだけ憐れみながらそそくさと自分のクラスの場所に戻る。勝負は非常なのだ。

「負けちゃったね。紫織ちゃん」

「えぇ、全力を出してとても晴れやかな気分よ」

「紫織ちゃんに演劇とかは無理そうだよね」

「何を言うの、黄美さん。私達も相手も全力を出した結果じゃない。残念だけど、私たちは一回戦で敗退ね」

「心にないことがよくそんなに出てくるね」

「とても残念に思っているわよ」

「はいはい、もう午前にすることなくなったね。暇だね」

「それには同意ね。暇だわ。別に参加したくないけど。黄美さんは何の競技に出るの?」

「私?400メートルリレーだよ。じゃんけんに負けちゃって」

「ご冥福を祈るわ」

「紫織ちゃんと一緒にしないでほしいかな・・・。まぁ面倒なのは否定しないけど」

「他の子でも応援してれば時間も過ぎるでしょうし、見に行きましょうか」

「見るのはいいんだね」

「私が動くのが嫌なだけだから。見るのも応援も好きよ」


 クラスの他の人を応援しに行くと、ちょうど朝則がバレーで点を決めたところだった。黄色い歓声が上がる。朝則は運動好きだし、得意でこういうイベントごとには積極的なので意外と女子にもてるのだ。これで運動部なら彼女の一人や二人ぐらいはできそうなものだが、なぜか帰宅部だったりする。いや、なぜかというのは詭弁で、私がそのことについて考えたくないだけなのだが。見事に勝った朝則は見届けて、今日の午前の部の終わりを告げるチャイムが鳴る。


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