-社畜の社畜!猫になる?え?猫?それ、マジッすかぁぁぁ?!-
ギシッと古い椅子が鳴り、俺は壁に掛けられている壁掛け時計を見た。
「もう2時か。今日は、何日だ?」
机に置かれてるミニカレンダーを見ても、正直今日が何月何日なんてわかりたくもなかった。
ガランとした室内、薄暗い部屋に自分の通りだけついてる蛍光灯。
取り出したスマホには、2021/08/02と表示され、俺は深く溜息をつく。
「ねぇ、そんなに私より仕事が大事なの? だったら、私なんかじゃなく、いっそ仕事と結婚すれば良かったのよっ!!」
そう涙を溜めた目で俺を睨み、家を飛び出した妻は、そのまま俺の元には帰ってこなかった。妻の実家に電話をする事も訪ねる事もしなかった俺。数日後、署名捺印された離婚届が、速達で送られてきたのは言うまでもなかった。
わかってくれてると思ってた。二人の記念日も誕生日も全て仕事で……。俺に残されたのは、一人では広すぎる空っぽの家。
帰っても真っ暗な家。仕事が、更に忙しくなり、俺はその家を売り、今は会社近くのアパートに住んでいる。
一人は嫌いではないが、なんの為に仕事をして、なんの為に生きているのか?わからなくなる。
「うん、うん。そぉよねぇ。アタシも、ひとりは好きだけど、ひとりは嫌いなの。でも、あなたの事は好きになりそうよ? ど?」
「……。」
どう?と言われても、そもそもあなた誰?的な?ってか、俺なんでここにいんの?
社長室みたいな部屋の真ん中に座らされた俺は、大きな机にどっかりと座って、俺を見ながら脚をプラプラしてる姿は女、声は男に見つめられている。
「ねぇ、基樹くん!」
「……。」
基樹くん?何故?とりあえず、返事はしたが、なかなか話かけてこない。
「相澤基樹、で良かったかしら?」
「はぁ」
いったい、コイツは誰だ?
「あたし、誰だかわかる? うふっ」
背筋が、一瞬ヒンヤリしたが、わからないと答えたら、更に笑った。
「あなたは、仕事中に急性心筋梗塞で亡くなったの。ってことは、今あなたの目の前にいるのは? だぁれ?」
死んだ?俺が?え?じゃ、俺がやってた仕事どうするの?等と考えたが……。
「あー、死神、さん?」
そう言った瞬間、え?って顔をしてから、笑い出した。声を出して……。
「違うわよ。女神よ、め·が·み! きれいでしょ?」
「……。」
冷房効きすぎじゃね?寒くね?
「あたし、きれい、よね?」
これ、言わないといかんタイプ?
「はい。きれい……です……はい」
俺が、そういうと自称·女神·シルヴィアは、嬉しそうに笑っていた。
「で、あなたが亡くなったのは、納得したわよね?」
あ、あれか?お決まりの、転生やら転移やらってやつ?
「基樹は、これまで仕事仕事で、寂しい人生を送ってきたわ」
寂しい?ま、それはそうだが?
「でっ!」
いきなり手を叩いた自称·女神は、手を胸の上で組んで、ゆっくり俺の方へと歩いてきた。
「なんで……」
おネェさん?というのか?身体付きは、スリムなのに胸だけは……ある。ある意味、俺の好み?
「ちょっとやぁねぇ! そんなとこばっか見ないでよ! えっち!」
両手で、顔を隠しながらも、後で見せてあげるから!という誘いを辞退したら、残念そうな顔をしたが……。
「じゃなくって、あなた他の世界へ行くとしたら、どんなことしたい?」
どんなこと?いつか、仕事を辞める事が出来たら、してみたかったこと?
「のんびりとした穏やかな暮らしがしたい。仕事もそこそこ出来たらいいけど……。」
自称·女神は、笑って指先を動かしていた。何をしてるのか、わからないが。
「んぅ、どっちがいいかなぁ? 転生? 転移?」
それなりのことはわかってはいるから、構わず転生を選んだ瞬間、身体がパァッと明るくなって……。
「神の御加護があらんことを……。魔法、使えるようにしておいたからね。チュッ」
最後のはいらんが、俺はこうして異世界へと転生していった。
のは、ほんの数時間前のこと!
ただ、落ちた弾みでちょっと臭いドブみたいな所に落ちて、必死に流れてきた何かに掴まって、やっと助かったと思ったら、今度はとても大きな猫に追いかけられてる時に気づいた。
「─って、俺、猫してんじゃんかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
大きな人間には、猫の言葉なんてわかることもなく、浸すら逃げて、逃げて、逃げ続けて、やっと草が沢山生えてる所へ逃げ込んで、倒れるように気を失った。
「なんで、猫なんだよ。こんなの、聞いてねぇよ……。聞いて……。」
「やっぱ、俺、猫だわ……。」
俺が逃げ込んだのは、どこかの公園みたいなとこだった。
小さな噴水の縁に飛び乗って、水面に映る自分の姿を見た時は、そこから落ちるとこだった。
「あ、ママー。あそこに猫いるー」
小さな子供が、近くにいる母親らしき人にそう言ってるのが聞こえた。
「腹減ったなー」と手で水をすくおうにも出来ずないは、噴水だから魚なんていないは、まして生魚なんて食った事すらない。
トボトボと歩いては、周りをキョロキョロ見回し、何かを食べてそうな人の足元へ行って……。
「食うか?」
一口分わけでくれた魚のフライとバンズは、空腹過ぎた俺には嬉しかったが、何故か悲しかった。
「こんなことになるなんて……」
その長靴っぽいのを履いた男性は、まだ半分は残ってた物を食べやすいようにちぎって、全て俺にくれた。
「ありがとうございます」
俺の発する言葉なんて、ただの猫の言葉。ニャァ、としか聞こえないのに。
それを食べて、邪魔されないような草かげで少し休んでから、公園を出た。
「明日からどうしよう。俺、てっきり人間になってると思ったからなぁ。ハァッ」
歩いては、周りをキョロキョロし続け、やっと灯りが見えたが、どうしていいかわからず、フェンスの隙間から入り、少し歩いたが、人の声がして、草むらに隠れてそのまま眠りについた。
「女神よ、いるなら俺をまた人間に戻してくれよ……」
一夜明けても、俺は猫の姿だった。
「腹減ったな……。ここは、どこだ?」
見渡す限り草むら。少し歩いたら、家はあったがこじんまりとした屋敷だった。
中で人の声がするから、試しに鳴いてはみたが、腹が減ってるから上手く声が出ない。
「お嬢様。ソフィお嬢様……」
「はぁい。」
ドアを開けるとメイドのカエナとお父様がいた。
「ソフィ、ただいま。」
車椅子に乗った私の頭に、お父様の大きな手が乗る。
「お帰りなさい、お父様」
お父様、約束守ってくれた。良かった。
「さ、ソフィお嬢様。少し早いですが、夕食に致しましょうか」
「うんっ!」
大好きなお母様が亡くなって、お父様はたくさんお仕事をなさって……。
ソフィは、キラキラした目で目の前を歩く父·クルトフの後ろ姿を眺めていた。
「「ソフィお嬢様。5歳のお誕生日おめでとうございますっ!」」
「ソフィ、おめでとうっ!」
「嬉しいっ!! ありがとぉっ!!」
お母様にもぉ会えないのは、辛いけれど私には大好きなお父様やみんながいる。
ソフィは、嬉しくて、嬉しくて、その日は大嫌いなナビスを食べている事にすら気付かなかった。
「わぁ! ピタゴラのぬいぐるみだ。かっわいい! ありがとう、アンヌ」
アンヌと呼ばれたのは、メイド服に身を包み、赤茶の毛をみつあみおさげにしたメイド。
「バースも、このお花! 凄く可愛いわっ! 春になったら、実がなるのね!」
「はい、左様でございます。このお花は……」
バースは、この邸の執事ではあるが、当主·クルトフが留守の間、メイドのアンヌと一緒に邸を守りつつ、ひとり娘であるソフィの家庭教師も兼ねている。
「大丈夫よ、バース。お母様は、いないけど、いつもここにいるから! ね、お父様!」
ソフィは、自分の胸を叩きながら、父の顔を見た。
「ウォッホン。ところでや、ソフィ。いったい、いつになったら私にプレゼントを教えてくれるんだ?」
「まだ、秘密でーす」
言えないもの。魔獣が欲しいだなんて……。
「ね、お父様! 今日は、お誕生日なんですから、アンヌやバースも一緒に食べてもいいでしょ?!」
クルトフにお願いし、アンヌは急いで二人分の食器を持ちに走り、バースは離れた席から椅子を持ってきてくれた。
4歳のお誕生日は、寂しかったが、今年のお誕生日は、いつもよりみんな笑顔な気がした。
「……。」
離れた場所にいても、この邸の中がにぎやかで、美味そうな匂いがしてくるのがわかった。
どうやら、この邸に住む娘の誕生日を祝ってるらしい。
子供かぁ。俺があの時、仕事よりもあいつを選んでたら、今頃は子供でもいたのだろうか?
「……に、しても、腹減ったなー。俺、このまま餓死るのか?」
まさか、そんな俺が……。
「猫ちゃん? おいでぇ、猫ちゃあん?」
朝になって、腹を空かし過ぎた俺は、せめて水だけでも飲もうと隠れていた場所からフラフラと出てきたところを……。
「っ!!」
車椅子に乗った女の子に、見つかった。
「おいで? ソフィ、怖くないよ? 猫ちゃあん」
迷った。行ったら絶対捕まる。
だが、俺は……。
その女の子から発する匂いに負けて……。
「あぁ、ほんとに、猫ちゃんだぁ。」
淡い水色のドレスに銀色の髪。
「あー、私朝ごはんでベーコン落としたんだった……。」
服に染み付いた匂い。俺の好きなベーコンエッグの匂い……。
「腹……減った……」
次に、目を覚ましたのは、ふかふかなタオルみたいな上だった。あんなに泥まみれになっていた俺の身体は、きれいな銀色になっていた。
「アンヌ、目、開いたよぉ! 猫ちゃん」
目を開けば、小さな女の子とアンヌというのか、おさげの女が俺を見下ろしていた。
ニャウ?
「君たちが、助けてくれたのか?」
「あ、鳴いた! ね、猫ちゃん、お腹空いてる? ご飯食べる?」
「お嬢様? まだ、この猫さんは、お腹が空いてるかどうか。お医者様に、一度見てもらわないと……」
俺は、気付かなかったが、あの大きな猫に追われてる時、右の太腿を怪我したらしい。
「うん、でも。お父様に……。」
「大丈夫ですよ。私から、バースさんに頼んでみますから。ちょっと、待っててくださいね。」
アンヌというメイドは、ニコニコしながら、扉を閉めどこかへと行って、俺はそのお嬢様とやらふたりきり。
女の子は、車椅子のままだから、俺がいるのは、恐らくベッドの上か。目線が近い。
ニャ?
「これ、食ってもいいのか?」
目の前に並んだ、肉、肉、肉、肉!一口サイズにはなっているが、肉である。
「猫ちゃん、お腹空いたの? これ、食べる?」
女の子の小さな指につままれた肉を食べる。
「美味い。こんな肉は初めてだ。隣のもいいか?」
返事を待たずに、俺は並べられた肉を片っ端から食べていき、メイドが戻ってきた頃には、優雅に毛づくろいをしていた。
「あれ? 変ねぇ、ここに傷があったのに。ね、お嬢様?」
「うん。確かに、痛そうなのがあったよ! ね、バース」
「と、言われましても、私は先程アンヌから猫の事を聞いたもので。でも、どちらにしろ、一度病院へ行かないと……」
俺を3人の人間が取り囲む。
「お父様、お許し下さるかなぁ?」
「お許し?」
「野良猫を勝手に、邸へ入れた事をですか?」
「ううん。この猫、育ててみたいの!」
「「えっ?」」
それから数時間経って、俺はこのクルトフ一家の一員にめでたくなったのである。
“ラク”という名前までつけて貰った。