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転生しても俺は君を  作者: アキシャス
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序章07

序章07

 畠山重忠は、鎌倉へ戻らなかった。福島の国見付近に陣を張り、本軍の到着を待った。

本軍に届けられた首は梶原景時、和田義盛らによって実検された。平泉に潜伏させてある間者によって、衣川館襲撃の事の顛末は報告されており、この首が偽物であることは承知していた。しかし、敢えて義経と弁慶の首と認めた。

「余は、弟の義経を捕らえてでも引き渡せと言ったが、討てなどと命じておらぬ。我が弟を勝手に誅殺するなど言語道断。仇を討つ」

頼朝は、義経の首を見るなりそう言って、平泉の使者を追い返したという。

 元々、天下統一を目指す頼朝にとって、17万騎を擁する奥州藤原氏は脅威であった。今回、義経を匿った事を理由に奥州討伐作戦を目論んだのだった。剛腕の権勢を振るう秀衡体制の下、戦上手の義経と弁慶が指揮を執るとなると、例え数が有利であっても安心はできなかった。そんな中、秀衡が急逝した。秀衡の死が伝えられると頼朝は手を叩いて喜んだという。

 そこで、頼朝は泰衡に圧力をかけ、義経を分断するよう画策した。衣川館の襲撃によって、義経にはもはや義経に味方をする勢力は無くなった。

 頼朝にとってこの時点で奥州征伐は成功したも同然となったのだった。

 総軍28万の軍勢を3軍に分け、既に鎌倉を出発していた。頼朝は、間者から奥州軍の態勢がまだ整っていないとの報告を受け、本軍の到着を待たず畠山に攻撃を命じた。奥州軍は次々と拠点を失い、泰衡は多賀城を放棄し、平泉に後退せざるを得なかった。

 国衡は出羽方面からの別働隊を迎え討つ準備中に猛将和田義盛と遭遇した。援軍を期待して猛攻に耐えていたが、援軍が来る事なくついに討たれた。

 鎌倉軍の3方位からの猛攻により、平泉はあっという間に陥落した。当時の日本では京の都に次いで繁栄していたと言われていた平泉の美しい街は炎に包まれた。泰衡は北へ逃亡した。泰衡は蝦夷へ渡ろうと画策して、比内郡贄柵に潜伏していた。しかし、ここで河田次郎に裏切られて殺害された。

頼朝は、泰衡の首を持参した河田次郎に対し、「泰衡はすでに我が手中にあった。貴様如きの手を借りると思うたか。守るべき主人を裏切るなど言語道断。即刻此奴の首を跳ねよ」と憤慨し、河田を処刑したのだった。

 こうして、4代100年続いた奥州藤原氏は潰えた。

 先代秀衡は生前「義経を主として立て、泰衡、国衡で支えよ。三本の柱であれば鎌倉に対抗できる。そうすれば奥州は安泰じゃ」と義経、泰衡、国衡を集めて言葉を残していた。

 歴史にもしもは無い。しかし敢えて、もし泰衡が秀衡の言葉を守り義経を総大将として鎌倉と対峙していたら…我々が知る歴史と大きく変わっていたかもしれない。

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