66話 もとより佐紀紗友奈は恐ろしい。
昨夜の一人寂しい大晦日を終えて年が明けた。俗に言う正月である。
昨日一人でガ○使を見て爆笑していると、高畑からLINKにメッセージが来て、初詣をしに指定場所へ向かっている。まったく人の年末の楽しみを邪魔しやがって。ちなみに俺は歌番組よりバラエティが好き。
それより指定された場所、春日大社。いやもう最高だよ。この春日大社を指定したのは褒めたい。
個人的に奈良で初詣するなら春日大社か大神神社、石上神宮、玉置神社のどれかがいいからな。
高畑のチョイスを褒め称えつつ向かっていると、見慣れた顔が視界に入った。
「ちょっと京! 遅いんだけど!」
「わりぃ」
「2時に集合だって言ったのに! もう3時過ぎだよ!」
「ちょっと準備に手間取っちまった」
「嘘だ! そんな時間かかんないでしょ!」
「うるせぇな。しばくぞ」
「なんで!?」
高畑は戸惑いつつも、その後ふふんと鼻を鳴らして何やら意気込む。
「あけましておめでとうございまーす!」
「「「あけましておめでとうございます」」」
高畑がでかい声で新年の挨拶をしたことに驚きつつも、俺たち3人も新年の挨拶をする。それを受けて高畑はご満悦といった様子でニコニコしていた。謎の意気込みはこれだったらしい。
しかしまあ、なんでこうも高畑は新年からうるさいのだろうか。普段から時折うるさいのだが、今日はいつにも増してうるさい。
さすがの俺たち3人も耳が痛いよね。いつも聞いてるとはいえ。
って、え? 3人? なんか1人多くない?
あー、これはあれか。疲れてるんだね。結局大晦日の前日まで働かされたし。よし、そういうことにしとこう。世の中には知らない方がいいこともある。
「京くん!」
聞き慣れた明るくも落ち着きのある声が俺の名を呼んだ。
まさかなと思いつつ、古びたロボットのようにギギギと音が鳴りそうな感じで顔を向ける。
やはり、いた。
「さ、佐紀さん。おはようごぜぇます」
「おはよー。もうお昼の3時過ぎてるけどね」
「は、ははは。今年もよろしくお願いします」
愛想笑いを挟んでそう言うと、一瞬だけ佐紀さんの顔が曇った。
が、すぐに笑顔を取り戻した。
「うん! 今年もよろしくね」
その明るく愛想が良さげな表情は普段通りだったが、なぜあんな曇った表情をしていたのか。それがどこか引っかかる。
「ちょっと京! 何か言うことない?」
高畑が間に入って食い気味に来る。
え、そんな食い気味に来るって俺なんか悪いことした?
こんなに誠実で真面目な俺に何か心当たりがあるはずなく、むしろ考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになる。
くそっ! こういう時ぼっちは困るぜ。如何せん普段から交友関係がないし、せいぜい部活関係のこいつらと業務的なやり取りがあるだけだ。
なのでこういう選択肢を間違えたらヒステリック起こされて死ぬような展開には弱い。誰かセーブ地点つくっとけよアホ。
リ○ロのス○ルみたいに死んでもやり直すことが不可能な以上、何とかこの場を凌ぐ必要があるのだが本当に心当たりがない。
恐らくだが「心当たりがない」と言えば「はぁ? ふざけんなし! まじぶっ殺す!」とか言われて死ぬ。逆に「すまなかった!」と適当に謝れば「ちゃんと理解してないのに謝んなし! まじぶっ殺す!」とか言われて死ぬ。
これはもう詰みだから無駄な抵抗はしないで受け入れるしかない。
「すまなかった! この通りだ、許してくれ」
気づけば俺の上半身は約90度に折れ、謝罪と許しを懇願する言葉を口にしていた。
いや、しかたないよね。人間って生存本能っていうのがあるじゃん? やっぱ死ってそう簡単に受け入れちゃいかんよね。むしろ生に執着してこそ人間みたいなとこありますやん。
この先どうしようかと考えていると、焦りを全面に出して困惑したような高畑の声が聞こえた。
「え、ちょ、え、なに? え、どしたの京」
「なんだよ。こちとら自らの死との全面戦争が始まるってのに邪魔すんじゃねえ」
「いや、なんで謝ったし」
「え? 謝んないでいいの?」
「当たり前じゃん!」
まじか。こいつ謝罪しなくても許してくれんのか。こりゃ1億人に1人の聖人だ。こりゃ高畑教が開かれてもおかしくねえぞ!
……まあ「何言ってんだこいつ」みたいな顔を向けられてるけど。顔だけでここまで軽蔑できるのも1億人に1人かもしれない。
「じゃあ言うことって?」
「もー! ほんっとに鈍感! バカ! 死ね! やっぱ死ぬな!」
そう言ってむっとした機嫌の悪そうな顔のまま、「綾乃っち行こ!」と言って登大路を神社の境内の中に連れて行ってしまった。
てかなんか生かされたけど喜んでいいのこれ?
「ふふっ。京くんは女の子の扱いが下手だね。佐紀さんで練習する?」
「ははは……」
楽しそうに笑う佐紀さんの提案を愛想笑いで誤魔化す。するとそれが気に食わなかったのか、佐紀さんはむっとして俺の腕を2,3度引っ張った。
「佐紀さんは本気なんだから……今ここで証明してもいいよ?」
そう言うと背伸びをして俺の肩に手を置いて顔を近づけてくる。そこをなんとか顔を逸らして逃げる。さすがにキスはレベルが違う。
すると佐紀さんも、キスは不可能と考えたのか静かに元の姿勢に戻った。その瞬間、急に力強く抱きつかれた。
「ちょっ、佐紀さん!?」
当たってます! 豊満な二物が当たってます! その感触に意識が持ってかれますって!
……ごほん。いや違う違う。そういうことじゃない。
危うく本音が漏れそうになったが、少し冷静さを取り戻す。うむ、紳士たるもの常に下心を抱いてはいけない。この柔らかい感触は忘れよう。そうしよう。
「なんで佐紀さんには冷たいの……」
自分を律していた時、ぼそぼそと佐紀さんが喋る。
「もう少し優しくして……」
佐紀さんはそう言って、ぐすんと鼻をすする。佐紀さんの顔は俺の胸ら辺に埋もれていて、その表情を読み取ることはできない。しかし、その様子からは何となく察することができる。
確かに、佐紀さんに対しては二人に比べて冷たかったかもしれない。ひとまず和解したとはいえ、俺は心のどこかで再び壁を作っていた。
佐紀さんとは和解した。この事実を盾に自分を美化して、その心理に蓋をして見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
「佐紀さん」
優しく佐紀さんを呼ぶと、ぴくりと一瞬だけ佐紀さんの腕が反応した。
「確かに冷たかったかもしれません。反省します。もう少し優しく接するように心がけますね」
よし、これでいいだろう。これで佐紀さんも納得してくれるはずだ。
もちろん俺もその場しのぎで言ったわけじゃない。だから最善を尽くそうとは考えている。
さてさて、そろそろあの二人に追いつかねば。「佐紀さん」と声をかけようとした時、ふっと佐紀さんは顔を上げた。
その顔を見て俺は驚愕した。
笑っていたのだ。泣いたような痕跡はなく、むしろ待ってましたと言わんばかりに口角を少し上げて。
「ほんとに!? じゃあ佐紀さんにキスして? 京くんからしてくれると嬉しいな……」
妖艶な声色でそう誘ってくる。ニヤニヤするのを抑えているのか、口角を少しぴくぴくさせながら。下心見え見えです。
謀られた。佐紀さんの策略にまんまと乗せられた。
佐紀さんを少しでも信用した俺がバカだったよね。誰か頼む。年上の美人がキスを懇願してくる場合の対処法を教えてくれ。羨ましいとか思ったやつ絶対許さねぇ。