65話 もとより彼と彼女はその意識に気づこうとしない。
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登大路の買い物も済ませ、喧騒に満ちていたショッピングモールを後にして、駅でのんびりと電車を待っていた。17時34分の電車を逃したために10分ほど待たなければならない。
今日一日の疲労を逃すかのように、はあと白い息を吐く。すぐに息は見えなくなり、何事もなかったように駅のホームが視界に映っていた。
「今日は付き合わせてごめんなさい」
ホームの屋根からちらりと覗く夜空をぼんやり見上げたところ、登大路から謝罪の言葉が聞こえた。
普段ならもっと傲慢なのに、今日はなんとも落ち着きのあるというか、しおらしいというか、常識を弁えてるというか。今更ながら少し調子が狂ってしまう。
「別に構わん」
そう返事した時にふと眠気に襲われ、ふああと欠伸が漏れる。やはりこの時間は常に眠くなる魔の時間帯だ。はよ帰って寝たい。
「ふふっ。お眠かしら?」
隣から幼児言葉で茶化すような声が聞こえた。子供どころか幼児扱いされたことにむっとして登大路を軽く睨んでやると、「効果ありません」と言わんばかりにくすくす笑っていた。
「急にガキ扱いすんなよ」
「そう言われても、あなたは時々子供っぽく見えるのよ」
「そんなに若く見えるのか。こりゃ将来も期待できそうだ」
「話を誤魔化さないでちょうだい」
ちっ。流石に登大路を誤魔化すというのは冒険しすぎたか。どのくらい冒険したかというと、ポ○モンのチャンピオンロードのアイテム全回収くらい。わざマシン拾うとテンション上がるんだよな。
「子供っぽくって言われてもよくわからんな」
観念して話題を元に戻すと、登大路は顎に手を置き考える仕草をとった。
この考えるという行為は、適当に言ったからそれっぽいことを考えておこう、ありすぎて困る、のどちらだろうか。後者なら俺はとんでもなく恥ずかしいではないか。
「かなり頻繁だからこれといって思いつかないわね」
え、恥ずかし。
俺ってそんなに子供っぽかったの? 身長179cmのガキとか不気味すぎやないか。
「そんなにか。紳士たるものそれはいけねえ」
「いつから紳士になったのよ……」
「少なくともお前と出会った時からは」
「嘘おっしゃい。あなた最初はド変態畜生だったわよ。今もだけど」
「やめろ刺さる」
さっきのしおらしさはどこへやら、一転して刺々しい言葉しか放たない普段の登大路のお出ましである。この人まじいくつか人格あるんじゃないの?
鋭い棘に心を痛めつけられ、しかもその張本人の態度の変化に困惑してしまう。やはり登大路という女は関われば関わるほど難しい。
「お前ってめんどくせえよな」
「あなたほどじゃないと思うけど」
登大路は艶のある髪をさっと流した。
「言ってくれるじゃねえか」
「先に言ったのはそっちよ」
ぐっ……確かにそうだ。ぐうの音も出ねえ……ぐう。
思わぬ反撃を受けて少し怯んでいると、隣から勝ち誇ったような笑い声が小さく聞こえていた。
こいつ、魔女かなにかだ。中世のヨーロッパならとっくに狩られてる。
「何笑って——」
——んだよ! と続くはずだった言葉は反射的に喉の奥底に消えていった。
その瞬間、呼吸は止まって、俺の視界には頬を赤く染めて驚いた表情の登大路だけが映っていた。
登大路の睫毛一本一本が認識できるくらいの距離だが、気まずさとかなんてものはなく、むしろ登大路の黄緑色の瞳に吸い込まれるような感覚に陥っていた。その瞳は、まるで壮麗な風景の如く、全ての人の心を掴めてしまいそうだった。
はっと意識を取り戻して、恥ずかしさのあまり顔を逸らして謝罪する。
「わ、わりぃ」
「え、ええ」
歯切れの悪い謝罪に、歯切れの悪い返事が来る。この短くぎこちない会話を最後に、駅のホームは静寂に包まれた。
電車の時刻まであと5分ほどだが、さっきまでの5分とは明らかに違う長さのように感じる。それこそ永遠に続いてしまいそうなくらいである。
はあと息を吐けば、やはり白く色付いた息がふっと消えていった。
この妙な緊張感を取っ払うにはどうするべきだろう。この空気のせいか、自らの呼吸音すら気になり、上手く呼吸できていないように思う。
居心地の悪さを誤魔化すように、ひたすら対処法を模索して思考をぐるぐると巡らせる。が、当然この状況でなにか案が浮かぶわけもなく、ほぼ無意味に等しいのかもしれないと徐々に察する。
やがてこの沈黙に終わりを告げたのは登大路だった。
「あと数日で来年ね」
「ああ」
「紀寺くんはこの一年どうだったかしら?」
そう訊ねられて一瞬言葉に詰まった。別に気まづいことがあったとか、都合が悪いとかいうわけではない。
ただこの一年を言い表せるほどの語彙が自分にない。しかし訊ねられた手前、答えないわけにもいかないので軽く息を吸ってから口を開く。
「一言で表すなら、変化が多く多忙を極めてちょくちょく肉体的、精神的攻撃を受けつつも少し肩が軽くなった年だな」
「それ一言とは言わないわよ……」
「ふっ、そうだな。で、お前はどうなんだよ」
「そうね……変化が多く多忙を極めてちょくちょく肉体的、精神的攻撃を与えつつも初めて幸福感を覚えた年……かしら」
言い終わると同時に目を向けると、少し口角を上げた登大路と目が合った。謎のドヤ感があるのは黙っておこう。
「合わせてくるなよ。まあ俺は被害者でお前は加害者なわけだが」
「それを言うなら私も被害者よ。あなたの下卑た視線を何度も受けているのだから」
「お前なあ……」
「ふふっ、冗談よ」
何を楽しそうにしとるんだこの女は。魔女なんか比にならん悪魔だよ悪魔。これはもう言い逃れができないだろうね。言わないけどさ。
というか、登大路がこうも笑うという事実に驚き桃の木山椒の木なんだが。あの仮面を貼り付けたような顔をしていた登大路を知っている。だから余計に想像できない。
「今更だけどよ。お前ちゃんと笑えんじゃん」
「あまり笑うのは得意じゃないのだけれど」
「得意も不得意もねえよ。笑いたいから笑う。それだけだろ」
「そう言うあなたも笑わないじゃない」
「いや、まあ、そうだけど……」
登大路からの思わぬ反撃に少し怯む。が、すぐに彼女は補足した。
「だからお互いにちゃんと笑える日が来るといいわね」
「まあその方が少しは生きやすそうだな」
電車が到着することを告げるアナウンスを耳に立ち上がる。
続いて立ち上がった登大路に背中を軽く小突かれ、何事かと目を向ける。
「明日からもちゃんと働きなさい」
「へいへい」
その耳が痛くなるような命令に、我が店長は女子高生とは思えないほどブラックだなと失望しつつも少し安心した。
まったくとんでもないところに来てしまったぜ。
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