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57話 そうして彼らはその深い傷にそっと触れる。

 読んでいただきありがとうございます!

「手、離してください」


 高畑が震えた声で確かにそう言った。その言葉が佐紀さんの機嫌を損ねること、事態をさらに禍々しくするのに十分であることは、きっと誰しもが理解できただろう。

 それでも高畑は引き下がるどころか、より腕に力を込めて佐紀さんに立ち向かい、登大路もそれに続くように力を込めた。


「……わかったよ。そんなに力入れなくてもいいのになー」


 佐紀さんが一瞬間を置いてそう言ったことで俺の腕は解放された。掴まれていた箇所にまだ少し気持ち悪い感覚が残っていて、なぜか俺の意識そのものも掴まれていたように感じる。


「な、なんでこんなことするんですか」


 高畑は恐る恐るといった様子だった。佐紀さんの圧に押されてか声も震えていて、正直弱々しく見えた。

 そこで登大路は高畑の意図を汲んだのか、はっきりとした物言いで強く言った。


「身勝手がすぎます。紀寺くん本人の意志をまるで気にしていない」

「京くんは私といることを望んでた。だからそれを叶えてあげるの」

「そ、そう思ってても京が……!」

「彼なりの照れ隠しだよ。京くんは昔からあまのじゃくなところがあるしね」


 淡々と答えを返していくその姿には、狂気とも悲哀ともとれるものがぼんやりとだが見えた気がした。

 狂気はまだ理解できた。一連の言動によるものだ。しかし問題は悲哀である。なぜ今そんなものが佐紀さんから見えてしまったのか。それが気がかりでならない。

 視界の隅では高畑がつくった握り拳が、行き場を失ったように、わなわなと震えていた。


「なんで……! なんでそんなに好きなのに……! 人の気持ちを考えられないんですか!」


 その一言は場に静けさを齎すには十分すぎて、誰も言葉を紡ごうとしなかった。否、俺も、登大路も、佐紀さんも言葉が出なかったに違いない。

 高畑は自らの頬を伝う雫を乱雑に制服で拭った。堰を切ったように溢れ出る雫が流れるたびに、ただ乱雑に拭っていた。

 そんな高畑を、佐紀さんはさっきとは違って気にする素振りを見せずに、至って冷静に答えた。


「誰かを好きになるっていうのは、相手を傷つける覚悟のもとで成り立ってる」


 佐紀さんの言いたいことをはっきりとは理解できなかった。ただ、彼女の言っていることに違和感は微塵も感じられなかった。

 人を好きになった経験は一度しかないし、ちゃんと言葉にして言い表せないが、その説得力というのは計り知れなかった。


「傷つける覚悟があっても……傷つけていい理由にはならないです……」


 延々と溢れ続けるものを今度は静かに拭いながら、弱々しい声で高畑は言った。佐紀さんに理解を示しつつも、はっきりと拒絶の意志を表していた。


「少なくとも私はそうやってきた。傷つけたことで得れたものは確かにあった」

「そうだとしても……もっと幸せなやり方だってあるよ……。傷つけるまでしないといけない好きじゃ……絶対にいつか壊れちゃうよ……」

「この愛はそんなに脆くない。形が崩れることはないよ」

「そうじゃない……そうじゃないよ……! 固さとか形じゃなくて、ただ幸せに思える好きじゃないと——」

「幸せに思えるよ。心の拠り所の京くんに愛を捧げれるんだから。幸せに思えたら、それは永遠に——」

「でも……」


 高畑は佐紀さんに被せるように弱々しい声でそう漏らした。

 そして一瞬の間を挟んで、彼女は強く言った。


「でも京はそれで変わっちゃったじゃん……!」


 すぐに高畑は嗚咽を上げて膝から崩れ落ちてしまった。登大路はそんな高畑に近づいてそっと背中に手を当てるが、かけるべき言葉が見つからないのか下唇を噛み締めていた。

 しばらくして登大路は静かに口を開いた。


「あなたにとっては愛情表現の一種だったとしても、紀寺くんは長い時間背負ってきたんです」


 それは、いつかの俺が登大路のおっさんに言ったものと似ていた。そしてそれが皮肉にも俺の心を微かに揺すった。

 サンキュー、登大路、高畑——。


「佐紀さん……二人で話し合いませんか」

「紀寺くん、それは——」

「大丈夫だ。俺も言いたいことが山ほどあるしな」


 バレバレの強がりではあったと思うが、登大路は小さく頷いてから高畑とともに一度外へ出た。

 途端に店内は一気に音が消える。

 人間のコミュニケーションツールである言語だが、皮肉にも今は互いのコミュニケーションを妨げている。

 かといって、このまま言葉を抑え込み続けるのも褒められたものではない。あと少しの勇気が中々出てこない。

 自分で蒔いた種じゃないかと心で自嘲してから、意を決して佐紀さんの目を見据えた。佐紀さんも察したのか静かな眼差しを返される。


「……佐紀さんの好意、否定するつもりはありません。一度は好きになった人ですから」

「……うん」

「ただ、高畑を泣かせたのは許せない、みたいな……」

「そう……だよね」


 少し冷静になったのか、佐紀さんはこちらの言い分をしっかり聞いて返事をしてくれる。俺が相手だから……というのは自惚れ過ぎだな。

 しかし会話が続かない。言いたいことが山ほどあるとは言ったが、正直言いたいことは一つしかない。だがどうしても腹の底から上がってこない。


「さっきの登大路ちゃんの言葉……すごい心に刺さったよ」


 さてさてどうするべきかと様子を窺っていたが、意外なことに佐紀さんの方から話を始めた。

 すごい心に刺さった……というのはどういう意味だろうか。


「何気ないことでも相手は背負い続ける——今の私と同じだなって」

「え……?」


 佐紀さんは悲しそうにははっと乾いた笑いを吐き出して、俺の瞳をしっかりと捉えた。


「昔、両親から軽く虐待みたいなことされてたの。度々、あんたのため、あんたのためって言われて殴られたり、蹴られたり……。まあ痣とかはできなかったけどね」

「え、あ、そ、そんなことが……」


 佐紀さんの過去を聞いて絶句してしまった。

 それは背負うにはあまりにも重すぎる。


「私が憎んでいたことを形は違うけど、京くんにしちゃってたんだね……。ダメだな私……」


 そう自分を責めた佐紀さんの顔はあまりにも悲痛だった。

 いくら佐紀さんといえど、そんな顔をしてほしかった訳ではない。それこそ、そんな顔をされるくらいなら先程みたいに恐ろしい話をいきいきとしていた時の笑顔をしてくれた方がマシだ。


「別に……俺は強いんで……」


 咄嗟に出た言葉がそれだった。過去に佐紀さんが泣いてくれた時に俺が口にした、今思えばクソガキの生意気な強がり以外の何物でもないが。

 俺が言ったことに驚いたのか、一度はっとしたような顔をしたかと思うと、ぽろぽろと涙を流し始めてしまった。

 やばい、泣かせてしまった。いくら苦手な人だとしても流石に罪悪感が湧いてくる。


「え、ちょ、え、あ」

「ごめんね……ごめんね……!」


 あたふたしていると、佐紀さんは嗚咽を時々漏らしつつ俺に謝罪した。

 その瞬間、俺は心が軽くなった。言うなれば、今までは見えない鎖に締め付けられているような圧迫感があったのに、それがぼろぼろと音を立てて崩れ去り圧迫感が少しずつなくなっていくような感覚だった。

 ああ、俺は封じ込めてたんじゃないんだ。避けてたんだ。怖がってたんだ。トラウマをトラウマとして扱うことで、知らないうちに佐紀さんを遠ざけて、佐紀さんという存在をなかったことにしようとしてた。佐紀さんと元の関係に戻るのを恐れていたんだ。


 ——これで俺も佐紀さんも解放されたんだ。


 この傷は一生癒えることがなければ、消えることもないだろう。でも、もう今まで以上に苦しむことはない——。

 珍しく降っていた雪が止んだ空を遠目に見ながら、なんとなくそう感じた。

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