56話 そうして誰がために嗤う彼女は彼らの心を突き刺していく。
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店内に俺ら部員が残ってはいるものの、今日ばかりは店を閉める。——正確には閉めざるを得なかった。特別な客が訪れてしまったから。
「久しぶり。会うのは文化祭以来だよね?」
「え、あ……」
恐怖——とはまた違う説明しようのない何かが、俺の心に渦を作っていく。それに支配されるように言葉が出なくなり、自然と視界は床を捉えた。
少し呼吸が荒くなる。歯がほんの少しだがカチカチと鳴る。全身の鳥肌が止まらない。自分で自分を制御できずにいると高畑が声を上げた。
「な、何しに来たんですか」
「んー? さっきも言ったけど京くんに会いに来たの。ねぇ、京くんこっち見て?」
その言葉にさらに悪寒がした。頭がズキズキとする。脳が危険だと警鐘を鳴らしているのが理解できた。だがそれに反して頭が少しずつ自然と上がっていくのがわかった。
嫌だ——。そう強く思っても止まってはくれなかった。視界がその客——佐紀さんを捉えた時、佐紀さんは優しく微笑んで俺の手を握る。
彼女は握った手の親指で俺の手の甲を擦り、その表情のまま口を開いた。
「あの件はもう文化祭で謝罪したし水に流そうよ。そんなことより、京くんってば昔より大人っぽくなったね! なんだか佐紀さんドキドキしちゃうな。しかも——」
佐紀さんは周りのことなど一切気にする素振りを見せず、ほんのり顔を赤らめて言葉を続けていく。
その様子にさらに鳥肌がたった。この人は何を言っているのか。水に流す? 大人っぽく? ドキドキする? 俺の心を踏みにじったのに、俺のことを変えたのに、なぜ淡々とそんなことが言えてしまうのか。
あまりにも身勝手すぎるその姿勢に、俺のトラウマが一瞬にして否定されたような気がしてならなかった。
「佐紀さんは俺のこと……どういう風に思ってるんですか……」
「そんなの決まってるよ。大好き。他のどんなものを捨ててでも手に入れたいぐらい」
「でも……あの時は……」
「あの時は仕方がなかったの。あのまま進んでいったら京くんは佐紀さんに依存しちゃってた。依存はしてほしかったけど、まだだって思ったから」
「まだ……?」
「ふふっ。つまり、京くんがトラウマを抱えて高校生活で満身創痍になる。そしたら、君は女の子どころか周りの全ての人間を敵と認識する。そこで佐紀さんが君に手を差し伸べる。最初は上手くいかないかもだけど、少しずつ二人の仲を縮めていくっていう考えだったの」
幸せそうな笑みを浮かべながら佐紀さんは自らの頬を両手で包み、そう語った。その様子からは照れすらも感じさせ、思わず強い吐き気に襲われる。
どうやら佐紀さんは俺が彼女に対して好意を抱いていたことを知っていたようだった。知っていたうえであんなことをしたらしい。全ては彼女にとってのハッピーエンドを迎えるため。そうするためなら手段を問わない。たとえそれで誰かに深い傷を負わせたとしても。
今更、佐紀さんの本当の恐ろしさに気付かされた。今までとは訳が違う、ある種の狂気ともいえる彼女の行動にもはや言葉は失われてしまった。
その時、ふと佐紀さんの右手が俺の左の頬を軽く撫でた。何かと思い佐紀さんの瞳を見ると、もう片方の手で自らの口を抑えていた。
「さ、佐紀さん……?」
「京くん、その顔はダメだよ……。そんな顔されたら佐紀さん興奮しちゃう」
佐紀さんが口を抑えていた手を退かした時、その表情が顕になった。
普通の人ならどんな顔をするだろうか。いろいろな感情が顕されるだろう。もちろんどんな感情かは人による。ただ少なくとも、佐紀さんの感情は、常人がこのタイミングで出すにはあまりにも惨いものだった。
顔を赤く染め、口元がニヤつくのを堪えるように微かに震わせており、俺は佐紀さんが興奮するだけでなく、嬉しさも同時に感じていることを瞬時に察し、途端に背筋を冷たい気色の悪い感覚が駆け上がった。
しかし佐紀さんはそんな俺を顧みずに『さて』と言葉を発した。
つい今までの表情が一瞬でなくなったかと思うと、次は冷徹な鋭い目つきで登大路と高畑を睨んだ。これには二人も少し身構えて、佐紀さんをじっと睨み返していた。
「ずーっと京くんのことを観察してた時、いつも君たちがそばにいた。毎回毎回、会う度に京くんを誑かして」
「なっ……! そんなことしてません!」
「そうです。私と高畑さんは部員として紀寺くんと業務を共にしていただけで——」
「君たち、私が観察してるのは紀寺くんだけだって思ってる?」
「ど、どういう——」
登大路の疑問は佐紀さんがカバンから取り出したいくつかの写真によってかき消された。そこには友達と親しげに話したり、私服姿で一人で出かけている高畑や、高校に登校している最中の登大路が確かに写真に写っていた。
「つまり、そういうことよ。君たちのことはほとんどわかってるの」
そういうこと、が何を指しているか俺にはよく理解できなかったが、二人は口を閉じてしまった。それを見た佐紀さんは、ふふっと妖しく笑って俺の腕を掴んだ。
「これで邪魔者はいなくなったし、行こっか」
「ど、どこに行く気ですか……」
「んー? 佐紀さんの家だよ? もうここにいる理由はないし、これからは佐紀さんが面倒見てあげるから」
そう言って佐紀さんは笑いながら「ほら」と優しく腕を引っ張る。なんとか抵抗しようと足に力を入れようとしたが、体が言うことを聞かず力を入れることは叶わなかった。しかしそんな俺を気にせずに、なおも引っ張り続ける佐紀さんが怖く、俯きながらも小さく声を上げる。
「やめてください……」
その声と同時に引っ張られていたのが収まった。
よかった、声が佐紀さんに届いたんだ——。そう思って恐る恐る顔を上げると、佐紀さんは登大路と高畑を先程よりも強く睨み、登大路と高畑が佐紀さんに静かに敵意を表していた。
登大路と高畑のそんな顔は、これまで一度も見たことなんてなかったために驚いた。しかしさらに驚いたのは、登大路と高畑が佐紀さんの腕を強く握っていたことだった。
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