54話 そうして渦巻いていた混沌は消えていく。
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「どういうことかな?」
登大路の父親は笑顔を取り戻し、それを保ちながら話す。が、口元をひくひくさせ、動揺と怒りを隠しきれていなかった。
「いや、そのまんまの意味ですって」
こほんと咳払いをひとつ。そして身振り手振りを交えて説明する。
「どうやら登大路家には複雑な家庭環境があるようで……。別に他人の家庭環境なんてどうでもいいんですけど、如何せん部長がその中心に居るとなると関わらざるを得ないわけで——」
と、その時。室内にドンと鈍く重い音が一度響く。その原因はすぐにわかった。登大路のおっさんだ。
「言いたいことを簡潔に述べたまえ」
いかにも不機嫌な様子で、額の青筋をぴくぴくとさせている。正直に言おう。めっちゃ怖い。いや、急に机ドン! 青筋ぴくぴくっ! は誰でもびびる。まじで怖いんですけど。
だがしかし、そんな弱々しい本心とは裏腹に、俺は却って拳を握り締めた。
「あんたの娘を助けるって言ってんだよ」
向こうの態度から落ち着いた話し合いは無理だと瞬時に理解し、こちらも少し圧をかける。
少しの沈黙のあと、登大路のおっさんは机に置いていた拳をどかし、ゆっくりと黒革のソファに落ち着く。
「聞いたとて理解できないね」
登大路のおっさんは挑発的に軽く鼻で笑い、顎をくいっと小さく上げた。
「あんたらにとっては何気ない行為だったかもしれないが、こいつはずっと背負い続けるんです」
「私も彼女の何気ない行動に父の尊厳を傷つけられたよ」
「やられたからってやっていい理由にはならない」
「別に理由とは言ってないだろう」
「……あんたはもう少し登大路に寄り添うべきだ」
「そうしてきたつもりだけどね」
「つもりじゃなく、ちゃんと向き合った方がいいかと」
「皮肉なことにそれを蹴ったのは彼女だ」
俺が何を言っても余裕な雰囲気を隠さないおっさん。人は常に責任から逃れたがる。今だって、自分たちを正当化しようと奴は足掻いている。それでも俺は口を開き続ける。
「それでもそこで終わらせちゃダメだ」
「君がそうしてもらって生きてきたか知らないが、全員が全員そう上手くいくなんて——」
「そう生きてねえから言ってんだろうが!」
感情を抑えきれずに声を荒らげてしまう。すぐにハッとして周りを見渡すと、高畑に登大路、そしてつい今まで言い争っていた登大路の父親までもが、俺の顔を凝視していた。
ああ、やってしまった。誰にも言わずに隠してきたことが、よりによってこいつらにバレてしまった。
「それってどういう——」
「高畑さん……!」
恐る恐るといった様子で口を開く高畑を、いち早く察した登大路が素早く制止する。だが、今更隠すことも気持ち悪く感じた俺は、黙って小さく手を挙げた。
登大路が静かに頷いてから、両手を膝の上に落ち着かせたのを確認して息を吐く。
「俺には両親と呼べる存在がいないんですよ。母は俺を出産する際に息を引き取り、父は母を殺した俺を恨んで捨てた。引き取ってくれた叔父と叔母にも結局邪魔者扱いされたから」
「そうだったの……」
「ああ。だからこそ俺はあなたに必死に食らいついたんです、登大路玄造さん。どういう関係性だろうと、家族がいるっていうのは奇跡に等しいって考えて」
そう語りかけるが登大路の父親は俺から目を逸らし、天井を見上げる。やはりこういう人間には、もっと核心に迫った説得が必要なのかもしれない。だがしかし、核心に迫れるようなことが一つもない。
どうするべきか悩んでいると、登大路の父親が徐に口を開いた。
「君の生い立ちなんぞに興味はない。それに関係性だってホテルを経営するにあたって何一つ支障は出ない」
「それはそうかもしれませんが、ぐちゃぐちゃな関係性よりスッキリした関係性の方が楽じゃないですか? 気を使わずに普通に過ごせる。どうせ家族があるんだったらその方がいい」
そう言うと室内は一気に静寂に包まれる。誰かが唾を飲むと聞こえてしまいそうなほど。
未だに体勢を変えない登大路の父親と、うつむき加減で小さく肩を上下させる登大路を見てから、俺は小さく息を吐いて立ち上がる。
「さて、言うべきは言ったし、俺と高畑は屋敷の外で待たせてもらいます。ここは互いに罵倒しながら言いたいことを言って、一度スッキリしてから話し合えばいいかと。行くぞ高畑」
「え、う、うん」
狼狽えながらも、しっかりと俺についてきてるのを確認したうえで部屋を後にする。お膳立てはしてやったのだ。あとは当人どうしで進めなければ意味が無い。
「罵倒しながらって、めちゃくちゃじゃない?」
こそっと話を振ってきた高畑はなにやら心配そうな瞳をしているが、俺は鼻であしらった。
「罵倒っていうのは時に最大のコミュニケーションになると言っても過言ではないからな。ソースは俺」
「え、京はソースじゃないよ、人だよ」
相変わらずの馬鹿加減を見せてくれる高畑にはもう反応しない。こんなに馬鹿な生物は初めて見た。やはりさっさと外へ出るのが吉である。
既に何回も息を吐いているが、今回はとびきり大きく吐いてから靴を履き外へ出る。二重に疲れてしまった。
出る寸前、登大路の顔がよぎった。しかも不安そうな。だが信じるしかないのだ。
「ちゃんと罵れよ、登大路」
ぼそりと放った一言は風の音にかき消されたが、意思だけは揺らがなかった。
一、二時間ほど経った時、雑談していた俺と高畑を呼ぶ声が聞こえた。おや、と思い顔を向けると登大路とその父親が立っていた。
父親は俺を見たかと思うと、目の前まで来て口を開いた。
「過去を思い出したんだ。登大路ホテルの跡取りとして育てられた日々を。それはそれは厳しくて娯楽なんてあったもんじゃないし、友達もいないし、なにより両親が冷たかった。君の言葉と彼女との話し合いの中でそれを思い出したし、過去の私の声が聞こえてきたんだ」
「なんて言ってたんですか?」
そう尋ねた時、父親は背を向けて登大路の方を向いた。顔を見れないから分からないが、確かにその瞳は登大路を捉えていたように感じた。
「お前は自分の両親と同じことを娘にするのか、なぜその痛みを分かってやらずに一方的に押し付けるんだってね。遅いかもしれないが、これから登大路家の在り方というものについて考えたいと思う」
「それなら全然遅くないですよ。俺が偉そうに言えた立場じゃないですが、家族に早いも遅いもないと思います」
そう返すと、最初会った時の冷酷な顔はどこへやら、今は笑顔を浮かべて頷いていた。しっかり笑えてんじゃねえかよ。と心の中でつっこんでおく。
「紀寺くん、ありがとう。私の居場所が分かった気がするわ」
「そりゃよかった。ま、もし同じようなことがあれば役員会議に乗り込んで全部話してやるといい」
それを聞いた登大路と父親は笑っていた。いや、登大路のおっさんは笑える立場ではないと思うが。二人の笑顔を見た高畑は安心したように胸を撫で下ろしていて、俺も肩が軽くなった。
しかしまあ、人間というのはどうも気持ちが悪い。自分のことには敏感だが他人のことには鈍感だ。そのせいで、登大路は崩壊寸前まで追い詰められた。助けを求める声が埋もれる環境なんぞクソくらえだ。
だがそれでも、こうして関係を築き直せるということから、互いにギクシャクして接しづらくなっていただけだと思い安心した。
ようやく終わった登大路のお家騒動が再び勃発しないことを祈りつつ、俺はポケットの中に両手を入れ、登大路の笑顔を見つめていた。
お久しぶりです。受験が終わり一段落したので投稿を再開します。といっても頻度は遅めだと思いますが、定期的に覗きに来ていただけると幸いです。
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