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36話 ゆえに佐紀紗友奈は姿を現す。

 読んでいただきありがとうございます!

 ——その時、俺の中で秒針は硬直していた。


 きっと何かの間違いだ。そう信じたくてもそれが叶うことはない。


 これは夢だ。否、現実だ。


 この感情は喜怒哀楽か。否、恐怖だ。


 この女は誰だ。否、知っている。


 そんな自問自答を繰り返しながら、なんとか意識を別のものに向けようと試みる。が、その鎖は重く動くことすらままならない。数え切れないほどのそれが、俺を闇へと引きずり込もうとしている。

 と、その時ふと体が強く揺さぶられて、一瞬それが全て弾け飛んでいった。何かと思い目を向ければ、高畑が目の前にいた。


「京、知り合いなの?」


 ちらっとその女性を見ながら俺に問いかける高畑に、妙な違和感を感じてしまう。まるで本当は何かに気づいているような、そんなぎこちなさである。だとしたら、わざわざ俺の口から言わせようとするなんて残酷だ。

 でも、自らの口で答えるしかないだろう。何も言わずに何かを分かってもらおうとするのは、傲慢でしかない。

 ため息とは別の息を吐いて高畑の目を見て口を開く。


「佐紀さんだよ……」


 ぽつりとそう放つと、高畑は一気に顔を青ざめさせて喉を鳴らした。俺と高畑が重い雰囲気に包まれた時、ふと佐紀さんは俺の名を呼んだ。


「——京くん。来て」


 その言葉に胸が鈍い痛みを感じる。


 ——行きたくない。嫌だ。


 そう思っても体はなぜか佐紀さんの方へ向かっていってしまう。どう念じようと、足掻こうと、体は言うことを聞かず佐紀さんがゆっくりと近づいてくる。そして、あと一歩で彼女の手が触れるというところで、その歩みは止められた。


「行っちゃダメ……」


 そう小さく呟いて俺の右腕をがっしりとホールドしているのは高畑だ。彼女が強制的に俺の行動を制止してくれたのだ。


「トラウマなんでしょ……?」


 トラウマなんだから行ってはいけないと言いたいのだろう。それは正解であり、間違いである。

 行くべきではないとしても行ってしまう。

 一度植え付けられた恐怖はそう簡単に拭われることなどなく、次があるのではと勘繰ってしまい、従うことこそが正解だと認識してしまうのだ。


「勘違いしてるみたいだけど……。私、謝りに来たのよ?」


 先程の雰囲気とは一転、こてんと頭を右へ倒して可愛らしい表情を浮かべる佐紀さん。

 その仕草に高畑の警戒心が薄れたのか、ホールドを弱めて俺の右腕が自由になったその時、佐紀さんは前のめりになって俺の右腕を引っ張って引き寄せ、俺の顎を右手で掴んだ。


「あの時はごめんね……? 京くんを傷つけちゃって……」


 そこまで言うと彼女は徐に顔を近づけてきたかと思うと、不思議な甘い匂いと大人特有の艶やかな表情とともに一瞬、暖かい何かが俺の唇を襲った。


「ハジメテ……貰っちゃった♪」


 その言葉とほのかに熱を持っている唇によって、俺は自分の身に起きたことを初めて理解する。


「……お引き取り願います。他のお客様の迷惑になりますので」


 登大路が若干、言葉に詰まりながら佐紀さんに告げる。しかしそれは紛れもない嘘だった。だが佐紀さんはその嘘を分かっていながら、素直に右手を離して俺の顔を解放した。


「分かりました♪」


 軽い返事をしてコーヒーやサンドイッチを受け取ったあと、こちらにウインクを一度してから静かにゆっくりと去っていった。

 姿が見えなくなったと同時に、俺は足の力が抜けてその場に座り込んでしまう。


「大丈夫!?」


 そう高畑が言ったと同時に、三人が俺の元へ駆け寄ってきた。


「……問題ない」


 と言葉とは裏腹に問題ありそうな声色で返す。が、やはり余計に心配を煽ってしまったようで、高畑が何も言わずに背中をさすってくれる。

 その感触が妙に心地よくて、ずっと浸っていたくも感じたが俺はすぐに立ち上がる。そして三人を見下ろすと、なおも不安げな眼差しを送っている。


「おら仕事しろ。社畜どもが」


 いつも通りの嫌な奴アピールをしてやると、登大路と高畑は安心したかのように持ち場に戻った。それを受けて、ピンクルも同じようにさっさと持ち場についた。

 正直、精神的にしんどいが今は俺のことなんてどうでもいい。とにかく売上を伸ばすことに集中しろ。私情で目的を見失うな。

 そう自分に強く言い聞かせて俺たちは作業を再開したのだった。






「おぉ! やってるな諸君!」


 黙々と全員で作業をしていると、聞き覚えのある忌々しい声が出店内に響き渡った。

 とうとう来てしまったか。そう落胆しながら声の主の方へ目をやると、先生が腕を組んで受け付けのところに立っていた。


「せっかくだ。セットを一つ頂こう」

「承知しました」


 登大路の返事を皮切りに、三人はテキパキと作業をこなしていく。もはやこの光景は慣れたものだ。


「相変わらず暇そうだな」

「それ俺に言ってんすか。意地悪な話しかけ方っすね」


 ぶっきらぼうに答えると、苦笑を浮かべながら俺を見ている。が、すぐに真面目な表情に切り替わり、諭すような優しめな声で口を開いた。


「大変だったようだな」

「……そりゃあもう。大混雑でしたよ」


 何となく言いたいことは察したが、綺麗にかわして話をすり替える。すると先生は、またしても苦笑しながら呆れたように長く息を吐いた。


「君も大概じゃないか」

「……心当たりがありませんけどね」


 そう返したところでその会話は終わりを告げた。

 直に出されたコーヒーとサンドイッチを見て、先生は驚嘆の声を上げながら口に入れ絶賛していた。それを受けて、ある者は安堵の息を漏らし、あの者は感情のままに喜び、ある者は椅子に腰かけて伸びていたり。

 その各々の反応を先生は一つ一つ確かめながら、うんうんと頷いて見守っていた。


「あ、ノルマどうなったの?」


 高畑とは思えない真面目な質問に驚きを隠せなかった。先程までガキのようにはしゃいでいたのに、急に真面目になるなんて、俺の知っている高畑ではない。こいつ偽物説あるぞ。

 と思いつつ、せっかくの質問を無下にするわけにもいかず、数取器に目をやりその数を述べる。


「先生を含めて395……。あと2時間で5個なら余裕だな」


 ちらっと登大路に目をやると、胸の前で小さくガッツポーズをしていた。別に隠す必要ねえだろ。素直に喜べよな。


「やったね! 奇跡だよ!」


 そう喜ぶ高畑の発言に引っかかったのか、先生はきょとんとしながら俺に小声で問いかけてきた。


「まだ言ってないのか?」

「言うつもりはないですからね。日陰者らしく、日陰でこっそりやってただけですし」


 そう言うと先生は、ため息をついて呆れた表情をしながら俺の頭を乱暴に撫でてくる。髪がボサるからやめて欲しいが言えない。これが巷で有名なパワハラだ。


「そうやって自分の手柄を隠すところ嫌いじゃないぞ」

「あ、5歳以上は恋愛対象外ですので」


 ユーモアと嫌味を混ぜてそう答えたが、先生には効果なしといった様子でコーヒーを喉へ流し込んでいく。


「そういえば、この文化祭が終わったら花火大会ありますよね?」

「そうだね! 楽しみ~」


 呑気にそう話すピンクルと高畑は、今か今かと待ちわびているようで、ソワソワし始めている。

 花火は日本の伝統だ。それに関しては何も言わない。だが問題は、何が悲しくて他の奴らと一緒に見なければいけないのか、という点だ。

 だからどうか高畑に誘われませんように。


「みんなで見ようよ!」


 はい来た。詰み。なんで高畑はいつも人の心を汲み取ってくれないのだろう。どうにかして帰る方法を探さねば……。


「いい案だな。全員強制で参加しろ」

「あ、私は先約があるので遠慮しときますね」

「む、そうか。分かった」


 あー、勝手に話が進んでく。これはもうダメだ。先生の命令には逆らえない。

 逆らった時の末路はもう目に見えているので、大人しく従うことにした。この先生、パワハラ多いわ……。


「さあ、諸君。もう少し頑張ってくれたまえ!」


 その言葉を合図に再び作業の準備に取りかかる。みんながもうひと踏ん張りしようとしてるし、俺も頑張るか。

 そう心に決めて、ふと空を見上げると雲ひとつない快晴になっていて妙に清々しい気分になった。


「めんどくせ……」


 そう小さく呟いた時、先生の鋭い瞳と目が合い妙に気まずくなってしまった。

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