番外編 そして紀寺京は人知れず動き出す。
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すっかり夜が更けて室内は暗闇に包まれていた。その暗闇にぽつんと灯る目前の光は、唯一の心の拠り所だが逆に恐怖感を煽る存在でもあり、手を動かす速度が無意識に速くなる。欠伸を何度も繰り返していくうちに、景色が少しぼやけ始めたことに気がついた。
「ううん……。もう2時か」
手を止めて目頭を指で抑えながら、卓上に置かれたスマホに目をやる。時刻は既に深夜2時をすぎていて、辺りを深い静寂が包みこんでいる。明日も地獄の高校が待っているため、今日は疲労に満ちた体を癒すことにしよう。
そう決めて目の前の忌々しい光を遮断して、鉛かと疑ってしまうほど重い体を気力で起こし、スマホ片手に勢いよくベッドにダイブする。
そして重い瞼がゆっくりと下がり始めるが、それに抗うことはせずに、ただ景色が遮断されていくのを静かに受け入れていく。景色が完全に黒に染まった直後、急速に意識が落ちていくのを感じながら決戦の時に思いを馳せていた。
昼休みを告げるチャイムとともに、教師や生徒どものガヤガヤとした声がこの教室と廊下に響き渡る。
女子グループの教師や男子への愚痴大会、男子グループの品性の欠片もない発言と笑い声、教師間での世間話。様々な声が騒音となって俺の耳を襲う。
(うるせえな……。寝れねえだろ)
注意できると一番良いが、生憎そんな地位も権力も能力も持ち合わせていない。
というかそもそも俺みたいに睡眠をとろうとしている人がいんだから、もう少し気遣ってくれてもいいのではなかろうか。
そう思いながらも頭を伏せて周りの奴らの声に耳を澄ませていると、いつもの如く悪口大会が始まった。
「うわあ。また紀寺寝たフリしてるよ」
「キモ。かまちょかっつーの」
うんうん。いつもの事だから特になんとも思わないよ。でもね、少し反論させてもらおう。
本気で寝たいのにお前らのせいで寝れなくて結果的に寝たフリになってるんだよ。気づけアホ。
んで、なんで陰キャが陽キャにかまちょアピールしなきゃなんねーんだよ。むしろ逆だわ。はい論破。
いやあ、弱い犬ほどよく吠えるって本当だな。自己より劣る存在を見つけ盛大に叩きまくる。そして自己は優れていると錯覚し優越感に浸り、下がいるんだから大丈夫だ。と向上心や善心をドブに捨てるのである。
人間とは素晴らしいほど下劣で下衆で残酷な生物だ。生物でトップクラスの知能を持つが故にトップクラスに楽と安定を求めたがる。エゴイズムすぎて反吐が出そうだな。
「もうチャイム鳴るぞー。早く席につけ」
聞き覚えのある声が教室内に響き、その声とともに椅子が引かれる音がこだまする。
やれやれ、結局一睡もできないまま授業が始まってしまう。どうせ寝ても起こされるのは分かっているため、素直に重い頭を起こし目線を前にやる。やはり教卓には古市先生がタブレット端末を片手に立っていた。
俺の視線に気づいたのか、先生はこちらに目を向けたため目が合ってしまった。そして軽く微笑みかけてきたが、俺は何も応じず先生から目を逸らしてチャイムの音を静かに待つのだった。
「ごちそうさまでした」
空腹が限界に近かった腹も、今は満たされており気分が清々しいように感じる。その幸福感に身を委ねながら、礼儀正しく手を合わせて静かにそう呟き机上のコップを手に取り、水を全て喉へ流し込んで食器を流し台へ持っていく。
そしてはあとため息をつきながら、その足で二階の自室へ向かう。先程の幸福感も長くは続かないということを悟り、ゆっくりと階段を一段ずつ上がっていく。
しかし、この絶望からも今日でおさらばである。
というのもこの数日間、俺はいくつかの作業に没頭していた。それこそ雨ニモマケズ風ニモマケズという精神で。
一つ、俺個人のツブヤイター垢で一之瀬高校の文化祭をPRする。もちろん、俺が高校生であることは隠してあるし、特定出来る写真も投稿していない。つまりリアルに影響は出ない。
二つ、奈良市内のカフェを紹介する垢をフォローしたうえで、いちのせCafeを推薦して紹介させる。菟田野や榛原のおかげってことにしてるが、多分これが来客増加に一番貢献してそうだ。さすがに20人や30人は驚きが止まらんけど。
三つ、先生から制作依頼された文化祭のポスターに、いちのせCafeを違和感なく他より目立つように工夫する。まあこれはまだ制作段階。といっても今日のうちに終わりそうではあるが。
よくもまあこんなに仕事をしたものだ、と自分でも感心してしまう。俺の労働に対して釣り合う数が来てくれたら嬉しいのだが……。まあ来なかったら俺の枕が濡れるだけだ。それはそれで問題ないだろう。
「しんど」
自室の扉のドアノブに手をかけて、ふと心の声が漏れる。薄々気づいてはいたが、どうやら俺のキャパシティを超過しているようだ。現に無意識に漏れた心の声に加え、時折ふらふらと目眩を起こしてしまう時もある。毎日5時間程度しか睡眠をとれていないのだから、仕方ないといえば仕方ない。
ガチャリと音を立てて扉を開けつつ、入ってすぐの場所に配している椅子に腰を落ち着かせ、パソコンと向き合う。いやあ、こんだけ努力したのだから褒めて欲しいね。特に登大路とかいう自意識と傲慢お化けに。
……まあ嘘だけどよ。別に感謝して欲しいためにやってるわけではないのだ。感謝してもらって優越感を得るなどそれこそ自意識過剰である。つまりこれは紛れもなくエゴでしかない。きっと自分がなにかしたという実績を得たいだけなのだ。カフェという建前を都合よく利用して、自分の意義を確立したいという卑怯なエゴ。
……だが方法手段動機過程はどうだっていい。いかにカフェが利益を得れるか、それだけを考えていればいいのだ。
そう改めて意思を再確認してポスター制作を再開する。現在時刻は9時をすぎたところ。まだ時間は十分にあるが、さっさと終わらせて寝よう。出来れば11時までには完成させてベッドに入りたいな。
そう考えながらキーボードを打つ速度を静かに速めていく。
……ねっむ。
「終わったー」
近所迷惑にならない程度の声量でため息混じりに声をあげる。肩こりが半端なく、動くことすら躊躇う痛みが俺を襲っているが、その痛みは一種の証として受け取っておく。ものは考えようってことだ。
ふとスマホの電源を入れると既に日付は変わっていて、結局寝不足確定となったことに肩を落とす。だが作業を終えたという高揚感と達成感が次第に湧き上がり、寝不足など気にならなかった。
「さてと」
そう呟いてパソコンを閉じ、昨夜より勢いよくベッドにダイブする。うつ伏せになりながら、俺はとある人物の連絡先をタップして電話をかける。発信してワンコールもしないうちに相手は電話に応じた。
『こんな時間にどうした』
「ポスター終わったので報告を、と思いまして」
そう告げると相手……先生は感心しながらそれを素直に褒めてくる。普段は褒めないタイプなので少し照れてしまったのは内緒だ。
『今日はゆっくり休んでくれ』
「了解です。先生も夢の中で結婚できるよう——」
話している途中にツーツーツーという音が耳に入った。画面を確認すると既に通話は終了していて、一方的に切られたことを察する。
あのクソ教師。人の話を最後まで聞かずに切りやがって。夢の中では結婚できるようにって応援しようと思ったのによ。
……まあいい。やることはやったのだ。今日はもう寝よう。スマホを枕の横に置いて、うつ伏せから仰向けに変えて瞼を閉じる。部屋の電気がついたままだが、何故か今日はこのままでいい気がしたため特に気にしない。
部屋の明るさと目の前の闇が妙に相まって、不思議な感覚が俺の意識を包み込んでいった。
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結局カフェのために頑張る京、自分で書いといてなんですが好感持てます。
あと、この話は26話~29話の間です。