32話 だからその風は熱を運ぶのである。
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高畑が再度仮入部をした日から時は流れ、ついに俺たちの命運を分ける日がやって来た。和尚が課した文化祭の前日までに50人以上、その文化祭の前日が今日というわけだ。ま、勝ち確だから憂いはないが。
「いつ来るんだろうね」
高畑がごくりと喉を鳴らしてそう話す。既に勝負は決しているのに、まだまだ緊張は解けていないようだ。
「言ってる間に来るだろ」
俺がそう言うと、軽く頷いてそわそわとし始める。顔を左右に動かしてみたり、両手をぶらぶらしてみたり。まるで子供のように。緊張は構わないが落ち着きは取り戻して欲しいものだ。
短く終わった会話のあとにコポコポと液体が注がれる音が店内に響いた。その方をちらっと見ると登大路がコーヒーを淹れているのが目に入る。いつも通り、冷静沈着な様子でコーヒーを喉に流していて、妙に頼もしく思えた。
とその時、コンコンと扉がノックされて返答の間のないまま開き、目的の人物が姿を見せた。
「やあ。久しぶりだね」
俺たちを見つけ笑顔を浮かべる和尚。その表情は相変わらずの好青年という印象だが、どこか冷徹なもののように感じる。
和尚は登大路の元へゆっくりと近付き、彼女の顎を指で持ち上げた。
「結果を聞いてもいいかな? 綾乃」
「私達の勝ちよ」
ビリビリとしていた空気は登大路の一言で解けた。和尚は驚嘆の表情を浮かべ、登大路の顎から手を離す。
「驚いた。それは本当かい?」
「嘘をつくメリットは?」
「……確かにそうだね」
和尚は自らの顎に指を添え何かを考え始めた。だがすぐに顔を上げて手を叩いた。負けたくせに笑顔で拍手を送る……。こいつは何を考えているのか理解出来ない。
登大路も同じことを考えているのか、顔を顰めて和尚を睨んだままだ。高畑は馬鹿なので状況が理解出来てないのか、ぽけーっとした表情で和尚を見つめている。
「今回は君たちの勝ちということだね」
「そうね。用が終わったなら退出願いたいわ」
うわー。相変わらず冷たい言い方だな。腐っても幼馴染なんだから仲良くしてほしい。こっちまで気まずくなるんだよ……。まあはよ出ていって欲しいのは同意するけど。
「用は残っているんだ。紀寺くん、ちょっと表へいいかな?」
「え? あ、ああ」
唐突に向けられた矛先に動揺を隠せずしどろもどろに返事する。和尚は軽く微笑んで扉を開けて外へ出た。俺も黙ってそれについて行く。
和尚は俺が出たのを確認して扉を閉める。うわー、すっごい紳士。女子ウケしそうね。軽く会釈して和尚の表情を覗くと、先程とは少し違う怪しい笑みに満ちていて少々身震いしてしまう。
「どういうつもりかな?」
怪しい笑みを浮かべたまま俺の胸ぐらを掴み、そう問いかけてくる和尚。どういうつもり……って言われても何がか分からない。
「意味が分からねえな」
「では質問を変えよう。僕の悪評を流したのは君だね?」
その質問に心臓が鼓動を早めた。まさか勘づかれている? いやまだ分からん。ここは黙秘権を行使して相手の出方を伺うしかない。
「知らんぞ」
「とぼけるな。既に分かっている」
和尚の鋭い目付きを見て逃げられないと察する。青空を見上げながら、はぁとため息をついて白状することに決めた。
「それがどうした」
「そんな卑しい方法で勝利を得て、挙句には五條龍都というブランドに傷をつけるとは。僕の名が廃れたら責任を取ってくれるのかい?」
呆れた様子で首を振りながら胸ぐらを掴む手に力を入れる和尚。卑しい方法って酷い言い草だ。これでも俺なりの方法なんだがな。
「その卑しい方法一つで廃れんのか。和尚ブランドってやつは」
「和尚じゃなくて五條だ。勝手に住職にするな」
あ、五條か。ずっと和尚だと思ってた。てかそれは今はどうでもいい。とにかく和尚を早く帰らせねば。
「用はそれだけか? なら早く帰れ。営業妨害だ」
「確かに用は済んだ。さっさと帰らせてもらおう」
和尚は意外とすんなり受け入れて胸ぐらから手を離した。そして後ろを振り返りそのまま歩みを進めた。が、一度立ち止まり俺を睨んだ。なんだよしつけえな。
「いつか借りは返させてもらうよ」
そう捨て台詞を吐いてその場をあとにした。和尚の足取りは力強く、堂々としたもので、少し嫌な予感を覚えたが特に気にせずに俺は店内へ戻った。
「何を話してたのかしら?」
「いや特に気にするほどじゃねえよ」
「えー気になるー」
素直に納得する登大路と興味津々でバッシングしてくる高畑。こういう時、登大路の他人の領域に踏み込まないという性格は有難い。それに比べて桃色クソビッチは本当にめんどくさい。俺の領地に土足で踏み込んでくるんじゃねえよ。不法侵入は立派な犯罪だぞ。
「この犯罪者が」
「え! 誰だ! 犯罪は立派な犯罪だぞ! ……あれ?」
ごめん、高畑。やっぱお前は黙ってろ。罵倒されたことに気づかず、同じことを二度も言う。うーん、完全に馬鹿だね。ここまで来ると天然記念物ではなかろうか。
「犯罪は犯罪に決まってるじゃない」
登大路、頼むから引っ掻き回さないで。高畑がもっと混乱しちゃうから。ある意味、君たちは友達じゃない方がいいかもしれないぞ。
「——この話は終わりにして、明日の文化祭について話し合うべきだ」
俺が流れを変えたいのと、明日の憂いをなくしておきたいが故に、登大路と高畑に提案をすると二人はすぐに乗ってきた。
ふー、作戦成功。これ失敗してたら切腹もんだったわ。それぐらい重要ってこと。
「では……明日の文化祭で提供する品について話し合いましょう」
「はーい!」
早くも高畑は閃いたのか、大袈裟に挙手をしてぴょんぴょんと跳ねる。登大路が指名すると登大路は興奮気味に口を開いた。
「やっぱ綾乃っちのコーヒーと、スペシャルパフェ的なスイーツを——」
「無理だろ。時間的猶予と人員が致命的に足らん」
「凪っちと夏渚っちに頼めばなんとかなるって!」
「話を聞け。猶予がない。それに二人もやることあるだろ」
すっかり言いくるめられ、『ぐぬぬ』と唸り俺を見上げる高畑を、逆に俺は少し小馬鹿にしたような顔で見下ろす。いやはや実に愉快だ。
「つまり、コーヒーとスイーツを提供すればいいと?」
「そう!」
登大路のまとめに高畑は指をさして肯定する。指を指すのは、あまり褒められたものではないため、そっと指を下ろしといてやる。モラル的なあれによれば失礼だからね。
「スイーツにこだわる必要はないんじゃねえの」
俺は高畑のボルテージの上がり具合に水を差すように指摘すると、高畑と登大路は怪訝そうに俺の顔を見つめる。
「そもそも食べ歩き前提だろ? そうなるとうちのカフェには食べ歩きに向くスイーツはない。でもサンドイッチならあるし」
「確かにそうね。サンドイッチなら食べ歩きに適しているわ」
俺の説明に納得したように二人は頷き、登大路は小さいメモ帳を取り出してペンを走らせ、高畑は目をキラキラさせながら何かを考え始めた。
やがてメモを終えた登大路は普段とは明らかに違う、なんとも言えない表情で俺たちの方へ向き直り、ため息とは少し違う息を短く吐いた。
「高畑さん……」
そう呼ばれた本人は静かに登大路に目を向け、微笑らしくない微笑を浮かべる。その顔はまるで、言いたいことを全て察したかのような顔だった。
「……分かってるよ。綾乃っち」
そう彼女が静かに口にして、しばしの沈黙がこの場にやってくる。その沈黙はどこか切なくて、懐かしくて、息苦しくて。でも今までとは何かが違った。
それを二人も感じ取ったかどうかは別として、二人の顔には微笑が依然として存在していた。貼り付けたような、ぎこちないような、そんなものじゃなくて、確かに心からの微笑のように見えた。
開いた窓から店内へやって来た風がビュオーという音を鳴らしながら俺の体を撫でた。それは冷たくて乾燥していたように感じたが、少しばかりの熱を俺の体にもたらした。
その熱は初めての感覚で、マグマが蠢くような重い衝撃ではなく、引いては寄せる波のように穏やかに感じられた。
「あたしの原点を掴んでみせるよ」
高畑は力強い声で静かにそう発した。そして俺と登大路を交互に見て、後ろへ振り返り、細いその足を力強く踏み込みながらカウンターへと歩いていった。
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