1話 これが紀寺京という存在だ。
ただの自己満足です。暖かい目でご覧下さい。
「紀寺、ちょっといいか?」
俺こと紀寺京に声をかけてきたのは担任の古市先生だ。ちなみに本名は古市清菜。
古市先生は、深緑の腰まで届く長い髪に、眉目秀麗、スレンダーな体型に加え出るとこは出ているといった具合で女性のスタイルとしては申し分ない。まあ性格はきついが。そんでもって彼氏募集中。
そんな女性として完璧に見えて実は微妙な古市先生が俺に何の用だろうか。
疑問の中、俺はふと思い出す。古市先生に声をかけられたが最後、ろくな目に合わない。という噂を。
どこから煙が立ったのかは不明だ。だが火のないところに煙は立たぬという。
「まあ……いいでしゅけど」
戸惑いと緊張のせいで噛んでしまった。そりゃ緊張もするわ。そんな噂あったらな。
と自分を正当化することに努める。何をされるか分からないため断りたいが、拒否権が無いことを俺は察する。
これが上下関係というものだ。所詮生徒は教師に逆らう事は許されない。本当にしょうもない世界だ。クソ喰らえ。
……そんなこと口が裂けても言えないが。てか、口が裂けたら喋れんのかな。でも口裂け女って喋れてるもんな……いやでもあれは人じゃないし……。
と余計なこと考えていると、先生は顎をクイッと動かして静かに「来い」と言った。
回れ右をした先生の表情は風に靡いた髪によって見えなかったが、何故か俺の不安が増した気がした。
コツっコツっと二人分の足音が夕日の射す静かな廊下に響き渡る。夏という季節だからだろうか、夕日が射しているとはいえ、まだまだ蒸し暑い。
——少し話をさせてもらおう。
ここは程よく都会で程よく田舎な奈良県の中心都市、奈良市だ。奈良市はとてもいい場所だ。
奈良公園に行けば鹿さんがお出迎えしてくれ、東大寺に行けば大仏様が威風堂々と存在を示し、ビルもそこまで高くなく景観を邪魔しない。
おっと、中心部だけじゃない。少し山の方へ行けば柳生という風情のある地域に行く事が可能だ。
察しのいい人なら分かるだろう。その通り。かの柳生十兵衛の出身地だ。柳生十兵衛に思いを馳せながら観光すれば、それは一生忘れることはないだろう。
まあ要は奈良市はとてもいい所ってことだな。是非とも、この素晴らしい奈良市に訪問を!
……んんっ。話を戻そう。そんな奈良県でも偏差値が高めといわれている高校がここ、一之瀬高校。ここは敷地が広い割に校舎自体はそこまで大きくなく、グラウンドやプール、体育館やホールが大半を占めている。
また、休み時間になれば生徒の和気藹々とした声が聞こえる。俗に言うグループというものだが、とにかくうるさい。音量調節機能が欲しいくらいだ。授業中とは雲泥の差である。高低差が激しすぎじゃないですかね?
……まあ言わばここは無駄にでかい進学校、青春を謳歌する陽キャの巣窟ということである。
長話はここまでとして、つまり何が言いたいかったかというと、奈良は素晴らしいということ、陽キャは滅びろということだ。
いやはや我ながら天晴れな屁理屈だな、と感心しつつ蒸し暑さに思考力を奪われた頭で俺は考える。どのくらい歩いたかと。現実では3分も歩いてないだろうが、感覚的には1時間以上歩いた気分だ。
先程の長話のせいか、肉体的にも精神的にも疲れてきたような気がする。バ〇コさんに新しい顔じゃなくて足を持ってきて欲しいね。いや付け替えれんけどさ。
と馬鹿なことを考え疲労と戦いながら、心の中で俺は思わず、気まずっと呟く。
担任とはいえ古市先生とはあまり話したことがないため、なんとかこの状況を覆そうと俺は珍しく熱心に考える。話しかけてみようか、驚かしてみようか、逃げてみようか……といった具合で様々なアイディアを生み出す。が、しかし打開策は見つからず結局天井を仰ぐことになる。
そもそも女は苦手なのだ。打開しようという思考が間違っている。女に対する最適解なんて、この世には一つも存在しない。
すなわち、女は怖い生き物である。これは世の男性は忘れてはならない。絶対に。
理由は単純明快。奴等は平気で人を裏切ることが出来る。親しく接しておいて、こちらから行くと人格が変わったかの如く冷酷になる。女という生物は自己中極まりない。
……いや今はこの気まずい空間をどう乗り切るか、それが重要なのだ。俺の女性への気持ちはどうでもいい。
ネタを探そうと無意識に窓の外に目を向けてみると、オレンジに染まりかけている空に映える生駒山と目が合い、俺の意識は現実に引き戻される。
その景色を見ていると無性に帰りたくなり、ため息を小さく零す。
結局ネタは何一つ見つからなかった。仕方ない、古市先生の後ろ姿でも観察して……ダメだな。倫理的にアウトだ。バレたら変態扱いされる。
ちなみに俺は変態という言葉はシンプルではあるが、人の心、特に男性の心を抉るには最も適していると分析している。
結構心にくるよね。わかる。
よし、気を取り戻せ京。そうだな……せっかくだ。俺の陽キャに対する壮烈なアンチテーゼを陽キャに披露し、論破するイメトレも悪くないか……ははは、やめておこう。
虚しくなるだけだ、と俺の第六感が脳に警鐘を鳴らしている。恐らくだが、何考えてんだ俺っていう自己嫌悪に陥って自暴自棄になるに違いないだろう。
行き場のない苛立ちにも似た感情をため息に込める。気軽に話せる仲じゃない人と行動するのは気疲れするだけだ、と改めて気付く。そういう間柄なら他愛もない話でもして、こんな思いすることもないはずだ。
生憎そんな間柄は存在しないのだが。いや仕方ねえじゃん。人には事情というものがあるんだよ。そこは干渉しないってお約束だ。
とはいえ結局は虚しくなって自分を正当化することに励んでいると、先生が足を止めこちらに振り返った。
「着いたぞ」
そう言って古市先生は扉を勢い良く開けて、教室を顎で指す。
今までで1番憂鬱だ。何されるんだろ。心がグレーに染まっていくのを感じつつ、俺は頭を軽く掻きながら教室に目を向ける。
そこに存在していたのは俺の予想を遥かに凌駕する光景だった——。