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16話 きっと高畑怜奈は彼を救うことを諦めない。

 読んでいただきありがとうございます!

 トラウマのきっかけは中学三年生の夏——


 当時、俺は親戚の叔父と叔母と三人で生活をしていた。受験を控えていて進路も既に固めていたため、俺は遊ぶこともせず勉強に明け暮れていた。理由はもちろん目標を達成したいというものだが、なによりも叔父と叔母に褒めてもらいたかったからだった。


 その日も学校が早く終わり、勉強を頑張ろうと意気込んでいると家の中から大きな怒声が聞こえてきた。何事かと少し怯えつつ、物音を立てぬように扉を開けて声の方へ行くと、それはリビングからであった。少し開いた扉の隙間から覗くと、互いに憤激した様子だった。

 聞き耳を立てていると、どうやら叔父と叔母が互いに浮気をしていたようだった。自分を棚に上げて責任転嫁する大人の汚さに絶望したのを覚えている。挙句の果てに、その相手と結ばれるのに俺が不要であると互いに押し付け合っていた。そのことに深く自己を傷付けられた気がして、俺は家を飛び出した。行くあてなど一つもなかったが、ただ走って走って走り続けた。嘘であってほしい、という淡い期待を胸に俺は涙を堪えながら。






 足に力が入らなくなったのを感じて、俺はその場に倒れ込む。悔しさと悲しさに顔を歪ませながら左を見れば、大きな池があり奥には五重塔が見えていた。俺は力を振り絞って立ち上がり、転落防止の柵に手をかけその景色を見つめた。


「くそ……」


 ふと水面に視線をやると、俺が映し出されていた。自分の表情によって、先程の光景がフラッシュバックしてしまいギリギリで堰き止めていた涙が零れ落ちる。涙とは不思議なもので、一度零れ落ちると止まってくれず何も考えることが出来なくなる。

 負の感情が俺を包み込んでいくのを感じていると、隣から誰かが俺の頬をハンカチで拭った。そちらに目を向けると制服を着た女性が俺に微笑みかけていた。


「どうかしたのかな?」


 優しく語りかけてくれるその姿に俺は胸が高鳴ったのを感じて、オドオドしながらそれに答える。


「えっ、いや、その、いろいろあって……」


 それを聞くとその女性は俺を見上げて微笑みながら問うてきた。


「聞いてもいいかな? 力になれるかもしれない」


 慈愛に満ちたその一言は、傷だらけの心には特別な薬のように感じられ俺は心を許し、家での出来事を話した。

 話している間にも何度か涙を流してしまっても、彼女は何も言わず静かにハンカチで拭ってくれてさらに鼓動が早くなるのを感じた。

 そして話し終えて彼女を見ると、彼女も涙を流していた。その光景に狼狽えていると彼女は涙を拭って俺に同情してくれた。


「辛かったね」


 そう言って彼女は一緒に泣いてくれた。それだけで俺は十分だった。


「だ、大丈夫です! 俺は強いんで」


 自分の声が震えているのがわかった。しかし彼女はふふっと笑ってくれた。

 その顔があまりにも綺麗すぎて、心ここに在らず、といった感じで見惚れていると、彼女が目線を逸らした。


「もう、そんなに見られると照れちゃいます」


 そう彼女が少し意地悪に言って我を取り戻し、思わず赤面して俺も目を逸らしてしまう。頬を掻きながら彼女に目をやると、彼女はまた微笑みながら俺を見つめていた。


 このまま彼女と話していたい——そう思っても現実とは残酷なもので、勉強のために家に帰らなければなかった。本当は帰りたくないが、受験を控えている手前私情を挟むことは許されない。


「すいません、帰りますね。受験を控えてて」


 彼女は驚いたように何度か瞬きをした後、俺の手を握ってきた。


「受験生だったんだね! 頑張って! そうだ、また明日ここにおいでよ、また話そう!」


 その台詞に平静を装いつつも頬が赤く染まったのを感じた。


 それからというもの、毎日その池に行き彼女と会ってたくさん話した。どうやら彼女は「佐紀紗友奈さきさゆな」さんと言うらしい。名前を初めて知った時、見た目も性格もいい人は名前もいいのか、と思わず感心してしまった。

 何か落ち込んだ時は優しく励ましてくれ、楽しい話をすれば共に笑ってくれ、俺が間違いを犯せば叱ってくれる。そうやって俺に接してくれる人は佐紀さんが初めてだったため、気付けば心惹かれていた。


 何時からか受験も、佐紀さんに褒めてもらいたいという一心で頑張っていた。佐紀さんが通っている高校が一之瀬高校だと聞いて進路をそこに変えたりもした。その時、これは一種の依存なんだろうと思ったが、それでも俺は佐紀さんになら依存しても構わないと思えた。


 そして受験を終え合格発表を迎えたある日、佐紀さんが共に来てくれて、俺が自分の番号を探している間、彼女はずっと目を瞑り手を合わせ祈ってくれていた。


「ありました! 佐紀さん!」


 そう言うと佐紀さんは俺に抱きついてきて、泣きながら喜んでくれた。自分のために喜んでくれる佐紀さんを見て俺も涙が零れてしまった。


「これから頑張ろうね!」


 そう背中を押してくれる佐紀さんの笑顔と言葉に俺は、世界で一番幸せ者だと本気で思えた。






 帰り道、佐紀さんが俺に提案をしてきた。


「ちょっと寄り道していかない?」


 一緒にいたかった俺は当然承諾したのだが、その時の佐紀さんの笑顔はいつもと違って悲しそうに見え、それに頷いて応じることしか出来なかった。

 訪れたのは俺達が出会ったあの大きな池だった。普段では有り得ない沈黙に耐えきれず、彼女に話しかけてみる。


「高校生活が楽しみです! 佐紀さん、色々教えてくださいね!」


 笑顔で告げると、彼女はぎこちない笑顔で頷いて応じた。妙な雰囲気を感じ取ったが、結局その後は何も言わず互いに沈黙を貫いた。

 やがて時間が訪れると、佐紀さんは何も言わず振り返り一言。


「さようなら、京君」


 俺の返事も待たず早歩きで帰った彼女を、俺はただ見つめることしか出来なかった。最後に見た彼女の顔はとても冷酷に見えたような気がした。そしてその日から彼女は……佐紀さんは二度とその場所に現れることはなかった。






 桜が咲き誇る中、俺は期待に胸を躍らせ高校の門をくぐった。佐紀さんに早く会いたい——その一心だったため、入学式も殆ど覚えていない。いざ終わって教室に戻る途中、偶然にも廊下で一人で窓の外を眺める佐紀さんを見つけ俺は駆け寄った。


「佐紀さん、ご無沙汰してます。これからよろしく——」

「馴れ馴れしくしないで」


 冷酷な視線と口調を俺に向けた彼女は、今までとは全くの別人だった。俺は戸惑いを隠しきれず、冗談かと思いなおも話しかける。


「佐紀さん、冗談はやめて——」

「しつこいわね」


 彼女は鋭い目付きで俺を睨み、後ろを振り返る。深い青色の髪が風になびき、それが鮮やかで苦しかった。


「————」


 最後に佐紀さんは何か言っていたが、それすらも聞き取れないほどの大きな絶望が俺を襲った。その瞬間、自らの瞳から光が失われるのを感じた。

 もう俺の知ってる彼女はいない。元から俺は弄ばれてるだけだったんだ。結局みんな俺を裏切るんだ。俺の中を様々な声が行き交う。そして俺はそこに座り込み力強く決意した。


 家族との日々も、大好きな人との愛すべき日常も、永遠には続くことはない。いずれ終わりがくる、所詮仮初に過ぎない。

 信用するから裏切られる。期待するから絶望する。望むから失う。

 だから自分を殺す——。


 静かに立ち上がった俺は自分を殺して、まっさらで

傷や汚れがひとつもない至って綺麗な仮面をしっかりと身につけた。





「まあこんなもんだよ」


 高畑にそう言うと返事がなく、怪訝に感じて視線をやると涙を流していた。俺は驚きつつ、とりあえずハンカチを渡し涙を拭かせた。

 そして潤んだ瞳で俺を見つめ、二度目の謝罪をしてきた。


「ごめんね」

「いや謝んなくていい。あと……その……俺の方こそごめん」


 普段からは想像出来ないほど素直に思いを伝えると、彼女は首を横に振って笑った。


「最初はすごい傷付いたけど、それ以上に京は傷付いてたんだね」


 彼女が俺の頭を撫でながらそう言ってきた。俺は嫌悪感を表情に出してそれを払うと、高畑はクスッと笑いながら立ち上がり手を差し出してきた。


「友達……いつかなれるといいね」


 俺も立ち上がって高畑の手を握り、その言葉に応じた。


「いつか俺を救ってくれ」


 彼女は満足したのか笑顔で俺の手を強く握り、俺を引っ張って走り出す。

 ちょっと待って、危ないからやめて。今なんかいい雰囲気だったじゃんか。台無しになるよ?

 俺が色んなことを心配していると、彼女は大きい声で誓った。


「絶対に救うよ! たとえ間違えても何回でも救い出すから!」


 ありがたいけど、今は夜だから静かにしようね? これ常識だからね?


 呆れつつ夜空を見上げると、一切の欠けもない満月が俺達を……俺達の往く道を照らしていた。

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