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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
その後の話

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【亜希 19歳 葉月その2】


「――でね」


 隆哉を見送ってからリビングに戻って来ると、早苗が亜希に振り返りながら言った。


「最近また1巻から読み返しているんだけど」

「え、また? 高校生の時もそんなことを言って読み返してなかった?」

「うん、1年に1度は読み返してる」

「すごっ!」


 なんの話かと言うと、隆哉が書いた小説『蒼天の果てで君を待つ』のことだ。

 亜希たちは中学1年生の時に揃ってこの小説を読んだ。その後、早苗は年表を書き起こしながら再読し、その年表に誤りがないか確認しながら、もう一度読んだ。――と、ここまでは亜希も志保も把握していたところだ。

 その後、さらに数回読み返していたらしい。


「なんかさ、そんなに読んだら頭おかしくならない? 前世か現世かぐちゃぐちゃになりそう」

「亜希はあの時以来まったく読んでないの?」

「もともと読むの得意じゃないからね」

「しかも、亜希って、かなり読み飛ばしてなかった?」

「飛ばしてた! 読んでないシーンいっぱいあるよね?」


 早苗と志保に指摘を受けて、あー、と亜希は低く唸った。

 ソファに腰を下ろすと、長すぎるウィッグの毛がお尻の下敷きになってしまい、引っ張られたウィッグが頭からずれる。

 気付いた早苗が隣から手を伸ばして来て、すぐに直してくれた。


「亜希って、どれくらい読んだっけ?」

「1巻と2巻はちゃんと読んだよ。3巻を読んでいる途中で早苗に『先に4巻読んで!』って言われたから、楓莉が死ぬ辺りは読んでない。って言うか、もう読める気がしないね」


 今から読めと言われても絶対に断る!

 小説の内容は自分の前世の出来事だと知った今となっては、本当に無理だった。


「あの時の出来事は、蒼潤にとってトラウマだからね」

「4巻は読んだんだっけ?」

「4巻は、蒼潤が郡王だと認めて貰ったところまで読んだよ。あとは、ほら、あの頃って夢も見ていたから、夢で見たシーンは読まなくても良いかなって、いっぱい飛ばして読んでた」


 たはっ、と亜希が照れ笑いのようなものを浮かべると、早苗がさっと顔色を変えて声を荒げた。


「ひどい! 日岡さんにとってあの小説は亜希へのラブレターなのに! ちゃんと読んでないなんて!」

「えー」

「えー、じゃないよ! 本当にひどいよ! 日岡さん8冊も書いたんだよ? それなのに亜希ったら! しかも、1巻だけは亜希宛てじゃなくて、律子さん宛てじゃん! 残り7冊が亜希のために書いた本なのに、7冊のうちの1冊しかまともに読んでいないなんて!」

「だって、長すぎるんだもん。文字が多いし」


 あの小説が隆哉からの亜希に向けたラブレターであるのなら、もっと簡潔に分かりやすく書いて貰いたかった。

 登場人物がやたらと多いし、ひとりに対する呼び名も多くてややこしいのだ。

 その上、聞き慣れない地名が出て来て、その位置関係がさっぱり分からないから、葵陽どこ? 互斡国? えっ、どこ? どっちがどっち? 近いの? 遠いの? といった感じなのである。

 早苗がざっくりと地図を描いてくれたことがあったけれど、『里』なんて単位が出てきたらそこで終わる。

 1里が何メートルだっけ?

 1刻って、何時間だっけ?

 とにかく、ラブレターよりも直接言って貰った方が亜希には有難かった。


「でもね、本ってね、面白いんだよ。以前読んだ物語でも、今読むと、まったく違う印象になるの」

「ふーん?」

「他の本でもそう感じるんだけど、日岡さんの小説は私たちにとって前世の物語なわけでしょ? それを読むとね、あっ、そうか、この時のそれってそういうことだったんだ!? っていう新しい発見があるんだよ」

「へぇー」


 まったく興味がないという声を漏らして亜希は志保に視線を向ける。

 志保も亜希に向かって肩を竦めて見せた。


「まあ、早苗の言っていることは分かるよ。私が殿の本を読み出したのって、みんなよりも遅かったから、途中から自分の前世の話なんだって思いながら読んだわけ」

「志保は最後まで読んだんだね」

「うん、読んだよ。読んで、いろいろ思い出して、さっき早苗が言っていたように、そっか、この時のこれってそういうことだったのかって思ったよ」

「例えば?」

「例えば……、うーん、すぐには思い付かないけど。――それで、早苗はそんだけ読んでて、その上で今回また読み返して、新しい発見はあったの?」

「あったよ」


 さらりと答えて、早苗は発言権を求めるかのように片手を上げた。


「私ね、ずっと吟氏のことが好きじゃなかったの。でも、最近、読み返してみて思ったの。やっぱり好きじゃないって」

「おおおいっ!」

「なんだ、それ!?」


 亜希と志保でズッコける真似をする。


「新しい発見はどうしたよ!? ――いや、私も吟氏は好きじゃないけどさ」

「亜希、4巻の後半読んでないでしょ。吟氏が出てくるの、4巻の後半。城の話だから」

「晤貘や瓊倶と戦うところはパラパラ読んだんたけどね。晤貘と戦う前に吟氏の話だよね?」

「うん。晤貘との戦いは5巻の内容で、瓊倶は6巻だよ」

「だとしたら、一応、6巻まで読んでるじゃん。中学生の私、結構、頑張って読んでた! ――それに、蔀城の話は読み飛ばしたかもだけど、吟氏ことは思い出してるから。あと、帷緒や侯覇のことも」

 

 吟氏、帷緒、侯覇。

 その名前を口にしたとたんに苦々しい記憶がよみがえってきて亜希は自分の顔が強張っていくのを感じた。

 そんな亜希の様子を眺めながら早苗が口を開く。

 

「吟氏は好きじゃないけれど――これは絶対的な前提ね、その上で読み返してみて思ったの。可哀想な人だったのかなぁ、って。だって、とくに悪いことはしてないじゃん」

「……確かに」


 亜希も志保も目から鱗が落ちたような表情になる。

 吟氏は、悪いことをしていないどころか、複数人の男たちによって人生を蹂躙された女だ。

 その男たちの中の最後のひとりとして峨鍈も含まれていて、彼が吟氏に対する接し方を誤らなければ別の結末があったのではないかと思ってしまう。


「――って言うか、どうして峨鍈って、吟氏と寝ちゃったの? だって、吟氏に興味なかったはずじゃん」

「そうなのよ。実際に会ってみても好みじゃなかったらしいの」

「じゃあ、なんで? おかしいじゃん!」

「おかしいよね! 峨鍈が抱かなければ、吟氏は今までの男たちは最悪だったけど、男みんながそうじゃないっていう希望を持てたのに」

「そうそう。そうなっていたら、誰も死ななかったし、吟氏にとっても未来に向かっていけるような良い結末になった可能性があるよね?」

「そうだよ、ハッピーエンドだよ。そうなっていたら、私だってここまで吟氏のことが嫌いになっていなかったよ」

「そうなると、峨鍈が悪いよね。なんで寝ちゃったの?」

「ちょっと待って。ふたりとも落ち着いて思い出してみよう」


 ぱっと志保が両手を掲げて、亜希と早苗にストップをかける。


「殿からしてみると、あれはとんだハニートラップだから。しかも、蒼潤も悪い」

「ええっ、なんでさ!?」

「タイミングが絶妙に悪いハニートラップで、避けようになかったと思う。――はい、思い出して!」


 ぱちんと志保は両手を打ち鳴らした。


「この時、蒼潤と峨鍈はどういう関係でしたか?」

「気持ちが通じ合う一歩手前です」


 はいはい、と早苗が片手を上げて答える。


「蒼潤が絶賛拗らせ中」

「拗らせてない!」

「じゃあ、捻くれてた? ううん、違うよね。ええっと、あまのじゃく状態? とにかく素直になれていなかった時期よ。好きだったくせに」

「いやいやいや、好きかどうかは気付いてなかったんだって」

「そうだね。単に気持ちが良いからやりたかっただけの時期だね」

「うわっ。志保、言い方!」

「そっか、先に体を籠絡されちゃったのね」

「だから、言い方!」

「そういうお年頃の男子だったから仕方がない。殿の方もようやく蒼潤に手が出せるようになって、夢中になっていた時期で、――でも、どうにか蒼潤に自覚させたくて、試していた時期だったよね?」

「そうね。峨鍈は蒼潤に『好き』って言わせたかったのよね!」


 早苗が両手を組んで、瞳をキラキラさせている。どうやら腐女子の魂が疼いているようだ。


「自分だって辛くなるのを承知で、蒼潤を焦らして『好き』って言わせようとしたの。半年以上も毎日毎日やっていたのに、ぱたっとやらなくなったら、やりたい盛りの蒼潤には辛いよね!」

「よね! って、そこで同意を求めないで!」

「だって、覚えたてだもん。峨鍈に教え込まれた体が疼いちゃうよね!」

「だからっ、言い方!」


 興奮気味な早苗に対して、志保は落ち着いた表情で淡々と言葉を放つ。


「けど、殿にもしんどかったわけで、半月以上我慢させられているところを吟氏に触れられて、これは堪らんってなっちゃったわけだ」


 淡々とした口調だが、口にしている内容の程度は早苗とほぼ変わりない。


「自分から峨鍈を誘惑しておいて『所詮、男は男! 女の体に溺れぬ男などいない。哀れに溺れた男を支配するのは、私のような女だ! 思い知れ!』って、ひどくない?」

「早苗、吟氏のセリフ完璧じゃん。やばいね」

「早苗はさ、やばい子だよ。でなかったら、何回も何回も読み返していないからね」

「そっか。――んで、張隆や不世が死んじゃったわけじゃん。ぶっちゃけ、蒼潤がなかなか素直にならなかったから、そうなったわけで、2人の痴話喧嘩みたいなもので大勢が死んじゃったわけだから、その事実から目を逸らしたくて、私は吟氏が嫌い」


 吟氏が嫌いって言っていなければ、罪悪感や罪意識で胸が押し潰されそうになるのだ。


「それにさ、気のせいかもしれないけれど……」

「なに?」

「吟氏のことがあってから、峨鍈がちょっとうまくなった気がするんだよね」

「ええっ、何それ! ホント!? やだぁ、新、情、報!!」

「早苗、落ち着いて」

「気のせいかもっていう話だよ。蒼潤の気持ちもかなり変化してるし。だけど、もし本当に吟氏と寝たからうまくなったのだとしたら、本気で吟氏が嫌い。だって、ハニートラップとは言え、要するに、浮気じゃん! しかも、不特定多数とやっていたような人と浮気とか! ほんと信じられない! あり得ない!」

「病気の面で不安になるよね。あの時代、ゴムないし」


 はっとして亜希は早苗に振り向く。


「ゴムないの?」

「ないよ。あるわけないじゃん」

「代用品とか?」

魚膘ぎょひょうっていう魚の浮袋を使ってたみたい」

「は?」

「あとは、豚とかの腸?」

「ソーセージ的な?」

「やっだぁー、亜希ったら何言ってるの。ソーセージ、食べられなくなるでしょ」

「いやいや、早苗こそ何言ってんの?」

「なんかさ、いろいろ考えちゃうよね。中学生の時はサラッと読んでいたものが、この歳になると、あっちこっちで引っ掛かるよ。ゴムのこともそうだけどさ。峨鍈と蒼潤って、あっちの穴に突っ込んでたわけでしょ? 感染リスク高いじゃん。病気、大丈夫かなぁとか。万が一、突き破っちゃったら、あの時の医療レベルじゃあ、蒼潤、死ぬよね、とか」

「志保、怖いこと言わないでくれる!?」

「ほんとやめて。震えてきた」


 突き破るとか怖すぎて、亜希は動悸がした。

 よくぞ無事に乗り越えてきたなと思ってしまう。


「突き破るのは無かったとしても裂けた時はどうしてたんだろう?」

「普通に薬を塗ってたよ!」

「あと、ちゃんと洗浄できてたのかなぁ。ゴムはさ、むしろ攻めのあれに大腸菌が付かないようにするために必要じゃん? だって、なるでしょ、膀胱炎に。っていうより、尿路感染症?」

「やめてー。大腸菌とか膀胱炎とか尿路とか言わないで。BLはファンタジーなの! 甘美な世界なの。だから、現実的な話とか描写は要らないの。深く考えちゃダメなの!」


 ぎゃあーっと叫んで早苗が両手で自分の耳を塞いだ。

 その隣で亜希はガタガタ震えながら志保を凝視する。早苗の中ではBLファンタジーで済むことでも、亜希にとっては前世の出来事だ。

 あの頃は寝室が暗すぎて自分がどんなことになっていたかよく分かっていなかったが、もしかしたら、ひどい有様だったかもしれない。

 そして、蒼潤の死因が病死でなかったことに救われた心地だ。


「君たちふたりはこんな話をするために、うちに来たわけ? うち、本当に遠いのに。わざわざ?」

「まさか」

「そうだよ、違うよ。確かに、蒼潤の誘い受けウマーみたいな話もしたいと思っていたけど、第一目的は、亜希にその衣装を着せるためだよ」

「え……」


 その衣装というのは、早苗の手作りの夏コミ用コスプレの衣装で、かつて蒼潤が着ていた衣っぽいものである。

 今まさに亜希はその衣装を身に纏っているわけで……。


「えっ、このために来たの!?」

「うん。だって、頑張って作ったんだもん。亜希がその格好をしていると、蒼潤が蘇ったみたいだよね」

「殿も喜んでいたし、良かったじゃん」

「え、まあ……。うん、喜んでくれたけどさ。隆哉さんと言えば、隆哉さんが帰って来たら、さっきの話はしないでよ?」

「さっきの話? 亜希が『浮気だ!』って怒っていた話?」

「それとも、うまくなった気がしたっていう話?」

「どっちも! あと、突き破る話もなし。これからピザを食べようっていう時によくあんな話ができたね」

「私、普通にピザ食べられるよ? お腹減ったし」

「私も。そして、できればピザを食べながら、吟氏前と吟氏後ではどう違うのか。どんな感じにうまくなったのか聞きたい」

「無理」


 ぶるぶると頭を左右に振った時、亜希の耳に車の走行音が聞こえた。

 続いて、ガレージのシャッターが上がっていく音が聞こえたので、隆哉が帰って来たのだと分かる。


「早い!」

「亜希のその姿が見たくて急いで帰って来たんじゃない?」

「でも、ピザを焼く時間とかあるじゃん」

「先に電話して焼いておいて貰ったんだよ」

「なるほど」

 

 出迎えに玄関に行こうとソファを立ち上がった亜希の腕を早苗が掴んだ。


「あのね。いろいろ言ったけど、一番言いたかったのは、日岡さんの本をもう一度ちゃんと読んだ方がいいよってこと。あの本には日岡さんの亜希への想いがいっぱいいっぱい込められているから」

「うん。でも、あの人の気持ちは十分わかっているつもりだよ」

「それでもだよ」


 強めの口調で言われて、その勢いに押されるように亜希は頷く。

 わかった、と答えると、早苗はするりと亜希の腕から手を放した。

 ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえたので、亜希は衣装の裾を翻して玄関へと急いだ。



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