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8.青龍の末裔


「蒼潤の故郷――渕州えんしゅう冱斡ごかん国は、名馬の生産地で知られている。この本の世界では、名馬こそが最大の武器みたいなものなんだ」


 分かる? といてきた市川に亜希は頷く。古来日本の武士もそうであったと聞いているし、どこの世界でもよく聞く話だ。

 良い馬をどれほど多く集められるか否かは、いくさの勝敗を大きく左右する。


「蒼潤は蒼昏そうこんの娘で、蒼昏は胡帝の長子であり、元皇太子だ。いろいろあって廃位されちゃって、都から冱斡国に追いやられちゃっているんだけど、――つまり、蒼潤は皇族の姫なんだ」

「皇女様ってこと?」

「この本の世界では、皇族の姫の中でも皇帝の娘で、皇后が産んだ娘なら公主と呼ばれているんだ。蒼昏が皇帝になっていたら、蒼潤は公主になったんだけど、蒼昏が廃位されてしまったから、蒼潤は郡主だ」

「郡主っていうのは?」

「皇太子の娘や皇帝の姉妹、皇帝の兄弟の娘のことなんだけど、母親も郡主でなければ郡主とは呼ばれない。それは県主だ」

「つまりね、正妃には蒼家の郡主が選ばれるんだけど、側妃は郡主とは限らず、県主や他家の娘たちが選ばれるの。県主や蒼家以外の側妃が産んだ皇族の娘は県主と呼ばれるのよ」

「えー、ややこしい」

 

 ややこしいが、要するに蒼家は別格であり、その蒼家の中でも蒼家の者同士の婚姻で生まれた娘は更に別格で、そう明らかに区別しているのが、『公主』『郡主』とかいうものなのだろう。


「蒼潤は郡主なんだけど、ものすごく変わり者の郡主なんだ」

「蒼潤が変わり者の郡主なのは、ちゃんと理由があるの。でも、それは読んでからのお楽しみね。市川君、亜希にバラしちゃダメだからね」


 早苗は人差し指を立てて、ネタバレ禁止だからね、と市川に釘を刺した。

 市川と話すのは、これで二回目だと言うが、随分と気安く接しているではないか。早苗の態度に、本当に人見知りなのか、いよいよ疑わしくなる。

 市川は、了解、と早苗に笑顔で答えてから話を続けた。


「蒼潤は家族と共に冱斡城の宮城で暮らしていたんだけど、度々、男装をして宮城の外を出歩いていたんだ。大通りで店を覗いては冷やかしたり、同じ年頃の子供たちと泥だらけになりながら遊んだり。とくに蒼潤は馬が好きで、馬の出産となれば、必ずと言っていいほど、馬小屋に出向いていたんだ」


「その日、蒼潤が目にかけていた馬が出産を迎えたの。当然、蒼潤はその馬のところに行ったのよ。そうしたら、その馬にとって初めての出産だったから、ひどい難産だったの。それで、蒼潤は馬飼いたちに混ざって、お産を手伝うことにしたのよ」


「そこに峨鍈が通りかかる。蒼家の血が欲しくて、蒼昏に『お宅の娘さんをひとり、嫁に下さい』って手紙を出したら『貴方のおじいさんには恩があるから、とりあえず話は聞くよ。おいで』という返事が届いたもんで、来たっていうわけだ」


 市川は、峨鍈と蒼昏の手紙のやり取りを、ものすごくざっくりと説明してくれる。

 ちなみに、蒼昏が峨鍈の祖父である峨旦がたんから受けた恩とは、蒼昏は政敵におとしいれられて皇太子を廃された時に、危うく命まで奪われそうになったのだが、峨旦が冱斡国に逃がしてくれたのだ。この辺りのエピソードは、ちょうど亜希が今読んでいる1巻の後半の内容として書かれている。


 胡帝は蒼昏の廃位を決めたが、命まで取るつもりはなかった。その意を峨旦が上手に汲んで動いたことで、峨旦は胡帝の信頼を得て、その後、皇子の教育係に任命されるのだ。その皇子が後の礎帝である。


「峨鍈は冱斡国に向かうまで、蒼潤の姉の蒼彰を妻にするつもりだったんだけど、蒼潤に出会って気が変わったんだ」

「蒼潤って、そんなに美人だったの?」


 亜希の問いに早苗は首を傾げ、市川は大きく手を振った。


「美人だったのは妹の蒼麗。頭が良いと評判だったのは姉の蒼彰」

「えっ、じゃあ、蒼潤は?」


 亜希が眉を寄せると、二人は顔を見合わせる。


蒼潤そうじゅんは、――おてんば?」

「――と言うより、やんちゃ?」

「そこは読んでからのお楽しみだよね」

「とにかく、馬小屋で峨鍈がえいが蒼潤と出会った時、彼女は藁まみれの上、馬糞まみれで、身なりがひどい有様だったんだ」


 亜希は顔を顰める。おかしな話だ。仮にも皇族の娘が馬糞まみれ? 

 皇族でなくとも、良家の娘は軽々しく外には出ないものだ。まして、馬小屋になんて行くはずがない。

 馬好きだという点では、自分と蒼潤は気が合いそうだけど、いったいどんな少女なんだろうか。

 それに峨鍈は、どうしてそんな姿を見ても、蒼潤を妻に選んだのだろう?

 さっぱり分からなかった。




▽▼




 ――第一皇子をお助けください。皇后様がお産みになった皇子は、第一皇子のみでいらっしゃいます!


 峨旦がたんが床に這いつくばって懇願すると、胡帝は蒼昏を冱斡郡王に封じて、大勢の護衛をつけて、妻子と共に渕州冱斡国に送った。


 そこまで読んで亜希はベットの上で寝返りを打つ。

 体の右側を下にした体勢から、左側を下にした体勢に変えると、本を持つ手も左手から右手に変える。

 本が重いので仰向けで読み続けるのは、腕がしんどい。では、うつ伏せはどうかと言えば、うつ伏せはまた違ったところが痛くなってくるので、ごろごろと体勢を変えながら、かれこれ数時間も本を読み続けている。


 難しい文章は読み飛ばしているので、かなり読み進んでいた。もう少しで1巻が読み終わるかもしれない。

 峨旦が蒼昏の命乞いをしたシーンは、峨旦が峨鍈に昔語りを聞かせているというていの回想シーンとして書かれている。


 蒼家の血が欲しいと言っても、宦官の孫に嫁いでくれる皇族の娘などいるはずがない。そう峨鍈がぼやくと、彼の祖父が思い出したかのように話し出したのだ。


「――今の皇帝陛下は、龍ではない」


 東洋の王朝において、皇帝や王を龍に例えることはよくある話だ。

 だが、峨旦が大真面目に語り始めた話は峨鍈の度肝を抜くようなファンタジックな内容だった。


「皇族は龍の子孫なのだ。それも風雨を司る青龍の子孫だ。――そして、正統な血筋の皇族は髪が青い」

「青い? 青い髪など見たことがありません」

「普段は黒いのだ。の光に照らされると、青く見える時がある」

「見間違えでは?」

「決定的なのは、髪を水に濡らした時だ。濡れたところから、はっきりと青く色が変わる」

「まさか! 信じられません」


 思わずといった様子で峨鍈が声を大きくすると、峨旦は細い眼をさらに細めて言う。


「わしは先帝のお世話をしたことがある。当然、沐浴のお世話もした。その時にこの目で見たのだ。湯で濡れた先帝の髪が青く変わったところを。ところが、わしがお仕えした皇子は――今の陛下のことだが――あの方の髪は青くならなかった」

「では、先帝のみの特徴だったのではないですか?」

「いいや、互斡郡王の髪も青く変わったのを見たことがある。そこで、わしは調べたのだよ」


 峨旦は溺愛する孫にニヤリと笑ってみせた。


「我が国の皇后には必ず蒼家の娘が――それも郡主が選ばれる。お前も知っての通り、古来より天下は同族不婚だ。姓を同じくする男女が婚姻を結ぶことを禁忌としてきた。ところが、これは蒼家を例外とし、皇帝は、先の皇帝の兄弟の娘、つまり皇帝の従姉妹いとこである郡主を皇后として迎えてきた。そして、皇帝の兄弟の正妃にも必ず郡主が選ばれる。龍の血を保つためだと考えれば、納得できる話だと思わないか?」

「龍の血って、本当なのですか?」


 峨鍈は未だ祖父の話を半信半疑に耳を傾けていた。

 第一、祖父の作り話のような昔話から自分の活路が見出せるとも思えない。峨鍈は半ば祖父への孝行だと思って、祖父の相手をしていた。

 峨旦はそんな孫の心の内などお見通しだとばかりに、ニヤニヤと笑みを浮かべて話を続ける。


「かつて、東の果てにクムサという国があった。その国では王族が天に祈らなければ雨が降らなかったという。王族は河伯かはくの子孫であり、河伯とは青龍のことだった。クムサの王族は、青龍の力を失わぬように近親婚を重ねていたらしい。そして、青龍の力が他国に渡らぬよう、王女はけして他国には嫁がなかったという。さて、我が国の前身は、トガム国だ。――これは知っておったかな?」

「はい。存じておりますよ、おじじ様」

「トガム国はクムサ国を取り込もうと、幾度も攻め入っている。そして、ついにクムサ国を滅ぼし、王族男子は皆殺しに、王族女子は皆、トガム国に連れ帰った。――最後のクムサ王には、ふたりの娘がいた。王女たちは、巫女の一面を持った、それは美しい娘たちだったようだ。そして、彼女たちは青い髪を持っていた」

「青い髪ですか……」


 峨鍈は祖父の話の結末が分かったような気がして、祖父の言葉を繰り返すように呟いた。


「姉王女はトガム王を篭絡し、王の側妃となり、妹は王弟の妃となった。他の王族女子もそれぞれトガムの王族に嫁ぎ、やがて、姉王女の息子がトガム王になり、妹王女の娘が王妃となった。その王と王妃の間に生まれた子供たちは髪が青かったという。――こうして、トガム国の王族は河伯の子孫となり、国名を『せい』と改めた」


 国名を改めた時に、姓を『そう』とし、歴を『葵暦きれき』に改め、皇帝を称している。

 東のクムサ国を滅ぼした後に北方と西方に勢力を伸ばし、広大な国土を手に入れたため、皇帝を称するのに何ら不足もなくなったからである。


「クムサの姉王女は長命で、後宮において長く権力を振るい続けた。そのため、皇后にはクムサの王族の血を継いだ娘しかなれず、クムサの王族女子は皆、トガムの王族に嫁いでいるため、結果、蒼姓の娘でなければ皇后になれないという法ができたのだ。さらに皇后の産んだ皇子でなければ皇帝にはなれないという法もできたが、これは皇后が必ず皇子を産めるとは限らなかったため、やがて廃された」


 だが、と峨旦は、ここが重要なところだと言わんばかりに人差し指を立てた。


「郡主が産んだ皇帝は『龍』だが、それ以外の妃が産んだ皇帝は『龍』ではないと、はっきりと区別されている。そして、『龍』ではない皇帝は一代限りで、『龍』に玉座を譲らねばならない。『龍』か、『龍』ではないかは、髪の色で分かる。おそらく、あの青い髪は郡主から子に伝わってくるものなのだろう。同じ皇帝の子であっても、郡主が産んだ皇子でなければ、髪は青くならないのだ」











【メモ】※『蒼天の果てで君を待つ』の設定です。

 公主…皇帝の娘(ただし、生母は皇后に限る。皇后は通常、郡主の中から選ばれる)

 郡主…皇太子の娘(父親が皇帝になれば、公主になる)、皇帝の姉妹(父親の在位中は公主)、皇帝の兄弟の娘(皇太子にとっては従姉妹)。ただし、どれも生母は郡主に限る。龍ではなく、『龍の揺籃』であり、髪は青くならない。

 県主…側妃が産んだ娘(皇帝の娘でも生母が郡主でなければ、公主ではなく県主。側妃が郡主であった場合は、その娘は郡主となる)

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