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【亜希 中2の初夏】

 

「いらっしゃーい」


 そう言いながら亜希は、鍵を開けた扉を大きく開き、玄関の中を三人に見せた。

 三人――早苗と志保、そして、市川は不安げな顔を見合わせて、開かれた玄関の先に視線を向ける。


「本当にいいの? だって、日岡さん、留守なんでしょう?」

「ちゃんと断ったよ。そしたら、いいよって言ってた」


 4月に入ってすぐに、日岡は府中駅から徒歩数分のマンションのひと部屋を借りて、亜希にいつでも来ていいよと部屋の鍵をくれた。

 なぜ、そんなことになったのかと言えば、亜希が都内にある乗馬クラブと千葉の専門スクールをやめたからだ。

 それらに通っている間は、その帰りに日岡が車で迎えに来てくれたり、金曜日の夕方から日曜日の夜まで――亜希がスクールに行っている時間を除いて――ふたりで過ごせたのだが、やめてしまったがために一緒に過ごす時間が各段に減った。

 そのことを不満に思った日岡が、僅かな時間でも一緒に過ごせる場所をと考えたのが、このマンションだったのだ。


 ちなみに、なぜ乗馬クラブとスクールをやめてしまったのかと言うと、ほとんど奇跡的にJRAジュニアユースに受かったからだ。


「お邪魔します」


 意を決したように志保が先陣を切って玄関で靴を脱ぎ、部屋の中に入って来た。

 続いて、早苗も市川も入って来たので、亜希は三人をリビングに通す。


「すごいよね、日岡さん。亜希のために部屋まで借りて。去年なんて千葉の方に一戸建てを借りてたし。都心の方にも家があるんでしょ?」

「らしいね。行ったことないけど。私がここに来ない日は、そっちの方が職場に近いから、そっちに帰るみたいだよ」

「今日は練習がなかったんだね」

「月曜日だからね」


 ジュニアユースの練習は、基本的に水曜日から日曜日の週5日だ。

 学校から帰宅して、すぐに向かうことになるが、練習場所が府中市の東京競馬場だということが何よりもありがたい。自転車で行って、自転車で帰ってこられるし、ぶっちゃけ中学校よりも近いので徒歩でも通える。


「練習がない日は、ここに来ているの?」

「うん、そうなんだけど、練習がある日も終わった後に寄ったりするよ」

「なら、ほぼ毎日じゃん!」

「疲れてたら行かない。まっすぐ家に帰る」


 ――とは言ってみたものの、自分でもほぼ毎日この部屋に来ているような気がしないでもない。

 だって、仕事から帰って来た日岡に『おかえり』と言ってあげられるのは、ちょっと嬉しい。

 それから、ふたりで夕食を食べ、1時間ほど勉強を見て貰い、日岡に車で家まで送って貰うのだ。


「それにしても、ジュニアユース、よく受かったよね。募集人数、1人じゃん!」

「すごいよな。よほどの技術力がないと受からないんだろ?」

「私は亜希なら合格すると思ってたよ。だって、あの天連様だもの!」


 得意顔で言った早苗に苦笑を浮かべながら亜希は、ありがとう、と言う。


「でもさ、乗馬の技術力だけじゃなくて、学校の成績も合否に関係するんだよ。それを知った時には、隆哉さんに勉強を見て貰ってて良かったぁって思ったね」

「亜希の成績、1年の2学期から急激に上がったもんね」

「1年の1学期だって、そこそこだったよ。2学期の中間がひどかっただけで」

「そうだったっけ?」

「そうだよ」

「日岡さんの教え方って、上手なの?」


 成績が急上昇するくらいなのだから、さぞかし教え上手なのだろうと早苗が聞いてきたが、亜希は小首を傾げる。


「上手って言うか……。時々、峨鍈を出してくる」

「ええっ、怖っ!!」

「そう! ちゃんと覚えなきゃ殺されるんじゃないかっていうくらいに怖いの! 常に恐怖心と戦いながら必死に覚えるカンジ!」

「え……、いやだ、そんなの……」

「もっと平和的に、穏やかに勉強したい」


 亜希以外の三人が揃って、ぶるぶると震える仕草をする。

 その様子を見て、亜希はイタズラっ子のようにニヤニヤ笑みを浮かべ、だけどさ、と言った。


「後からじわじわ来るんだよね」

「何が?」

「峨鍈スイッチの入った隆哉さん。その時は、怖っ!! って思うんだけど、その後、思い出して、うわぁーってなる。なんて言うの? 胸がドキドキする感じ」

「ときめく?」

える?」

もだえる?」


 つまりは、と早苗が身を乗り出して大きな声を上げる。


「胸キュンなのね!」

「だから、亜希はさ、マゾだと思うんだよ。思い出して。一度殺された相手だからね」

「ちょっと、志保。今は胸キュンの話なの。物騒な話はやめて」

「自分を殺した相手を好きになって、また殺されるかって思うくらいの恐怖を与えられて喜ぶとか、マゾじゃん」

「いや、待って。恐怖を与えられて喜んでいるわけじゃない。じわじわ来るっていう話」

「だから、胸キュンよね!」


 胸キュンとマゾが混線して、だんだんと何の話だか分からなくなってきたところで、市川がストップをかけた。

 

「はいはい、そこまで! 俺たち何をしにここに来たんだっけ?」

「亜希と日岡さんのラブロマンスを聞きに」

「違います。試験勉強です。やる気がないようなら、俺、帰るけど?」

「市川が帰るのなら、私も帰る」

「ひどい、志保。ひどーい。志保がマゾとか言って話を膨らませたのに!」

「膨らんでないから」


 市川はため息をつくと、自分の鞄から教科書とノートを引っ張り出して、他のメンバーの顔を順繰りに見渡した。

 なんだかんだ見捨てずに付き合ってくれる市川は、本当にいい奴だ。だって、市川には試験勉強なんて必要なさそうなのに。

 亜希も早苗も、志保も、それぞれ勉強道具をローテーブルの上に広げたのを見て市川が言った。


「それじゃあ、そろそろ勉強を始めようか」







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