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【亜希 中1の秋】

※その後の話では、競馬に関わる話になります。

浅い競馬知識で大変申し訳ないと、先に謝罪させて頂きます。

 

「亜希ちゃん、もうすぐ誕生日だけど、何か欲しいものある?」

 

 目線は前に固定したまま、日岡が車のハンドルを握りながら尋ねてきたので、助手席に座っている亜希は、うーん、と小首を傾げた。

 金曜日の夕方である。

 日岡が中学校まで亜希を迎えに来てくれて、二人で千葉に向かっているところだ。


 平日は週に二日ほど都内の乗馬クラブに通い始めた亜希だったが、すぐに物足りなさを感じて、土日は千葉にある専門スクールに通っている。

 その授業が午前中の早い時間から始まるので金曜日の夕方に移動して前泊し、土曜日も泊まり、日曜日に東京に帰るのだ。


 いったい千葉のどこに泊るのか。

 さすがの亜希も提案された時には驚いて言葉を失ったのだが、日岡がスクールの近くで家を借りてくれて、そこに毎週二泊している。

 もうそれだけでも十分だというのに、スクールの授業料だって日岡が支払ってくれていて、平日の乗馬クラブの帰りにも迎えに来てくれる。その上、誕生日プレゼントまでくれようと言うのだから、さすがに貰い過ぎだと感じて何も思い付かない。


「俺が選んでいいのなら、それを贈ろうか」

「やめて。それ、絶対に高そう! ――ねえ、具体的な物じゃなくてもいい?」

「いいけど?」

「じゃあ、勉強を教えて」

「勉強……?」


 大きな道路から外れて赤信号で停車すると、日岡が亜希に振り向いた。


「何かあった?」

「この間、返ってきた中間試験の結果がヤバかった。それで、期末もひどかったら冬期講習は行かせないって、母さんに言われた」


 長期休みの講習は、亜希にとって重要ものだ。スクールの寮に泊って、朝から晩まで馬について学べる良い機会だからだ。

 乗馬の訓練はもちろん、馬の世話もできるのだから、絶対に参加したい。


「だから、平均点くらいの点数がとれる程度に勉強を教えて欲しいな」

「平均点……」

「ダメ?」


 何やら考え込むように亜希の言葉を繰り返した日岡に、亜希は小首を傾げた。

 すると、日岡は目を瞬いて視線を正面に戻す。信号が青に変わったのを見て車を発進させた。


「構わないけど、亜希ちゃんがそこまで勉強ができないとは……」

「最初は簡単だと思っていたんだよ。4月の頃の数学なんて、ホントちょろかったし。だけど、気付いたら意味が分かんなくなってた。英語なんて最悪! どうせみんな小学生のうちから塾とかで習ってんだろっていう雰囲気で授業が進んでいくの。ひどくない?」

「さあ」

「さあ、って!」

「思い返してみれば、亜希ちゃんが勉強している姿を見たことがないな」


 平日はともかく、金曜日の夕方から日曜日の夜まで、亜希がスクールで学んでいる時間を除いて、それなりに長い時間を一緒に過ごしているはずなのに、と日岡は言う。


「普通に勉強時間が不足しているんだろうね」


 亜希は窓の外を流れていく景色に目を向けて、もうすぐ家に着くと分かると学生鞄を膝に抱え直した。

 じゃりじゃりと砂利を踏むように車が家の敷地内に入り、玄関の前で停まる。


「先に降りて中に入ってて」


 うん、と答えて亜希は車から降りると、鍵を開けて玄関の引き戸の片側をガラリと開けて中に入った。

 外観は古いが、家の中はきちんとメンテナンスがされていて、とても綺麗だ。

 金曜日の午前中にハウスキーパーさんが掃除と料理の作り置きをしてくれているので、亜希は廊下や部屋の明かりをつけながら台所に向かうと、冷蔵庫から料理が入ったタッパーを選んで出した。

 ガレージに車を停め終えた日岡が家の中に入ってくる。玄関の鍵が閉められる音を聞いて、亜希は電子レンジで温めたタッパーの料理を皿に移し、食卓に並べた。


「食べ終えたら、勉強しようか」


 いつもなら夕食後は一緒にテレビを見たり、おしゃべりをしたり、ゲームをしている。

 その時間を潰して勉強なんて、正直、気は進まないが、亜希が自分で言い出したことなので、うん、と言って頷いた。

 食事を終えて食器を片付けると、さっそくリビングのローテーブルの上に教科書とノートを広げる。

 日岡が亜希の隣に座って、パラパラと教科書を捲りながら言った。


「数学は訓練だから同じような問題を繰り返し解くしかないよ。毎日コツコツやること。国語は、いろんな文章をたくさん読むこと。来週までに問題集を選んでおいてあげるから、それをやろう。それから英語は英単語をどれだけ知っているかが大事だし、理社は……、とにかく覚えるしかない」


「それ。それが苦手なんだよ。ぜんぜん覚えられない。難しい漢字だったら、ホントお手上げ」


「苦手なら尚更、時間をかけないと。理解しつつ覚えられたらベストだけど、とにかくその言葉を知っていなければ始まらないから、一問一答のプリントを作ってあげるよ」


「ええっ、手作りプリント!? ありがとう!」


 だけど、と言って日岡が目を、すうっと細めた。その一瞬で彼の顔付きが変わったのを感じて、さあーっと血の気が引く。

 日岡が普段よりも低い声を響かせて亜希の方にゆっくりと振り向いた。


「亜希ちゃんが覚える気がないと、俺の労力と時間、そして、紙が無駄になる。プリント3回までに覚えろ」

「3回!?」

「俺はまったく構わない。君がどんなに勉強ができなくとも」


 ぐいっと顎を掴まれて顔を上げさせられると、射るような眼差しで見つめられた。

 亜希は胸をドキドキさせて、何かのスイッチが入ってしまった日岡を見つめ返す。


「ええっと……」

「たとえ騎手になれなくとも、高校に進学するだけの学力がなくとも構わない。働き口がなければ、働かなくいい。専業主婦になれ」

「専業主婦!?」

「いや、家事をする必要もないな。家政婦を雇ってやる。君は、ただ、俺の家で一緒に暮らしてくれたら、それでいい。もちろん、その場合、必要以上の外出を許すつもりはないし、俺の許可なく他の者と会うことを禁じる。俺だけのために生きろ」


 言い終えて日岡は笑みを浮かべたが、その目がまったく笑ってなくて、亜希はゾッとした。

 日岡が本気で言っているのは疑いようがなく、むしろ、それこそ彼の本心なのではないかと思う。


 だって、亜希が競馬学校に合格したら、三年間の寮生活になってしまうし、そこを卒業して騎手になれば、美浦か栗東に行かなければならない。

 ぶっちゃけ、擦れ違う未来しか見えない。


「日岡さん……」

隆哉たかや

「隆哉さん、……死ぬ気で覚えます」


 未来はさておき。

 とりあえず、亜希は目の前の恐ろしい笑顔に正面から向き合って、精いっぱいの返事をした。







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