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81.恋に落ちるとしたら、相手は貴方しかいない

 

 自転車に乗り、競馬場の東門を目指す。

 どうして競馬場だと思ったのか、亜希自身にも不思議だった。だけど、彼の家なんて知らないし、連絡先も知らない。

 城戸に頼めば連絡がつきそうだとも思ったが、そんなことをしなくとも、たぶん会えそうな場所が競馬場だった。


 自転車置き場に自転車を停めて、門をくぐる。

 どこだろうかと一瞬迷い、辺りを見渡して亜希はすぐに思い付く。地下通路を抜けて馬場内に出ると、1コーナー手前の芝生エリアに向かって走った。


 まだ開門してさほど時間が経っていない。レースだって、10時前後にならなければ始まらない。

 ひと気の少ない場内を亜希は懸命に走って目的地にたどり着いた。

 呼吸を整えながら亜希は辺りに視線を流しながら彼の姿を捜していると、名前を呼ばれたような気がして、亜希はそちらに振り向いた。


「日岡さんっ!」


 叫んで再び駆け出す。

 亜希が向かっている先から、ジーンズに白いTシャツを着て、その上から薄手のジャケットを羽織った男が、ゆっくりと歩いて近付いて来る。

 亜希のことを眩しそうに目を細めて見つめ、彼は亜希に向かって両腕を広げた。

 しかし、亜希は二人の距離があと残り1メートルというところで、ぴたっと足を止めた。


「亜希ちゃん、ここは抱き着いてくるところじゃないのかな?」


 不満げに言われて、亜希はムッと顔を顰める。


「その前に伝えておくことがあるの。――蒼潤からの伝言!」


 亜希は日岡に向かって真っ直ぐに腕を伸ばすと、彼の顔に人差し指をびしっと突き付けた。


「蒼潤が貴方のことを『愛してる』って!」


 声を張り上げて言えば、日岡は淡く微笑んだ。


「知ってた。ちゃんと伝わってたよ」

「うん。だけど、蒼潤は自分の言葉で、自分の声で、貴方に言いたかったんだ」

「その時間を与えてあげられなくて、ごめんね」


 申し訳なさそうに日岡が言ったので、亜希はぶんぶんと勢いをつけて頭を左右に振った。


「時間はいっぱいあったはずなのに、蒼潤がずっと言わなかっただけなんだ。素直になれなくて、ごめん。それに言葉選びも最悪で『呪ってやる』だなんて言って、ごめんね!」


 ごめん、で済むようなことではないと分かっているのだけど、謝るしかできることがなくて、亜希は日岡の目を見つめながら続けた。


「蒼潤はただ、もっと貴方と一緒にいたくて、来世でもう一度会いたいって強く願ったんだ。それなのに、私はすっかり忘れてしまって……、まったく覚えていなくて……。日岡さんだけが蒼潤のその想いに囚われていて……それで、貴方をすごく苦しめた」

「違うよ」

「でも……」

「違うんだ。峨鍈も蒼潤に来世でもう一度会いたいと強く願ったんだよ」


 だから呪いなんてなかったのだと日岡は言うが、それでも彼があの最期の時に囚われていることは事実だ。それを呪いと言わずに何と言うのか、亜希には分からない。

 だから、亜希は敢えて『呪い』と言う。


「蒼潤は、貴方を呪うべきじゃなかった」


 蒼潤は、実に罪深い。

 日岡に峨鍈の記憶を忘れさせなかったこと。そして、彼に前世の最期の日の夢を何度も何度も見させ、蒼潤を自らの手で殺し、亡くした喪失感を繰り返し味合わせることで、彼の心を蒼潤に縛り付けたのだ。


「呪いを解きたいと思うのだけど」

「解いてどうするの?」

「どうするって……。貴方を解放したい」


 具体的なことは分からないけれど、彼が囚われ続けている場所から彼を前に進ませてあげたいと思う。

 もう二度と、蒼潤のことで苦しまないで欲しい。 

 だけど、亜希が見つめる日岡の顔がみるみると苦しげになって、彼は声を絞り出すようにして言った。


「俺は『蒼潤の呪い』ではなく、『峨鍈の願い』だと思っているのだけど。――だから、それを解くということは、俺が君以外の相手を選んでも構わないということだよ。亜希ちゃんは、本当にそれでいいの?」

「え……」


 亜希は日岡の言葉がすぐには理解できず、彼の顔を見上げたまま必死に頭を巡らせる。

 そもそも亜希はどうやって蒼潤の呪いを解こうというのだろうか。日岡から前世の記憶を消すことは不可能だ。

 蒼潤は青龍の子孫だったかもしれないけれど、亜希はただの人間で、なんの力も持っていないからだ。

 ならば、亜希ができることは、ただひとつ。彼にこう告げるだけ。


 ――蒼潤への想いは捨てて。


 その言葉を自分の口から日岡に告げることを想像して、亜希はゾッとした。

 だって、それはつまり、日岡と亜希それぞれ別の道を行くということで、もう二度と、会わないということなのだから。

 亜希は、彼の視線が亜希から逸らされて、別の相手に向けられることを想像して、胸が締め付けられるくらいに悲しくなった。


「嫌だ……っ」


 気が付くと、亜希はそう口にして、頭を左右に振っていた。

 ふっと日岡の顔が和らぐ。


「解かなくていいよ」

「でも……」

「ただ亜希ちゃんが、俺を受け入れてくれたら、それでいい」

「そうしたら、日岡さんはあの場所から前に進める?」

「進める」


 なぜなら、君は俺の片翼だ。――そう彼が亜希に告げてきたように感じて、亜希は、日岡さん、と言って彼に向かって両腕を大きく広げた。

 亜希は心を決めたのだ。今日、彼に会うと決めた時から、彼が自分自身の大切な一部になる予感はあったのだから、今更、迷う気持ちなんてない。

 亜希は彼を真っ直ぐに見つめて言った。


「私の髪は青くならないけれど、貴方の翼だよ。――受け取って!」


 亜希からは絶対に彼に歩み寄らずに、ただ両腕を広げた格好で彼が前に足を踏み出してくるのを待つ。

 日岡なら伝わる。そう信じて、挑む想いで両腕を広げ続ければ、彼が息を呑んだ気配がした。


 そして、一歩、二歩と、日岡が前に足を踏み出して亜希に歩み寄ってきたので、亜希は広げた両腕でぎゅうっと日岡に抱き着いた。

 懐かしい温もりがして、亜希はグッと目頭が熱くなる。


「私のこの想いが、私自身の想いなのか、蒼潤の記憶に引きずられているだけなのか分からないし、今の私は私であって、蒼潤じゃないから、日岡さんが私のことを好きになってくれるか分からないけど。……それに、こんなの、ずるい言い方だと思うけど、私がこの先、恋に落ちるとしたら、相手は貴方しかいないと思う」


 だから、と亜希が声を震わせて続けると、日岡が亜希の背中に腕を回してぎゅっと抱き締めてくれる。


「――この世界で私と一緒に生きて欲しい」



 △▼ 



「両想い!?」

「――って思うでしょ? ところが、ところが」

「ええっ、違うの!?」


 仰天して早苗が司書室のテーブルをバンっと両手で叩いて椅子から立ち上がったので、亜希はその反応を面白がって、あはははと笑った。


「いや、ごめん。たぶん両想い」

「なにそれーっ! ひどい。揶揄からかったの!?」


 いつかの早苗を真似した亜希に対して、早苗がもうっと言って、へなへなと脱力したように椅子に座った。

 その隣から市川の呆れたような眼差しと、志保の苦笑を向けられて亜希は、自分の告白の後に日岡が告げてくれた言葉を思い出す。


 ――好きだよ。亜希ちゃんを見つけた時からずっと亜希ちゃんのことが好きだ。


 日岡が峨鍈の蒼潤を愛する気持ちに影響を受けているのは明らかで、日岡はずっと蒼潤の生まれ変わりを愛するつもりで、その存在を捜し続けてきた。

 だから、正しくは、亜希を見つけ出す以前から彼は亜希が好きなのだ。


 亜希そのものと言うよりも、蒼潤の生まれ変わりである亜希が好きなのかと、亜希を戸惑わせるところではあるが、日岡曰く、峨鍈の想いも、その記憶も、日岡の一部なのだと。

 その一部が亜希の中の蒼潤に恋焦がれているが、それとは別に、日岡は亜希のことが好きだと言った。


 正直、亜希は納得がいっていない。だって、たった数回会っただけで好かれてしまうほど自分に魅力があるとは思えないからだ。

 結局、亜希が亜希自身の想いと蒼潤の想いを区別できないように、日岡も彼自身の想いと峨鍈の想いを区別できていないのだろう。

 だけど、そもそも区別する必要があるのだろうか、というところに亜希は行き当たった。


 亜希の心の一部が強烈に彼を求めているのに、亜希がそれを否定して、彼をこばみ、亜希自身を苦しめる必要があるだろうか。

 恋しくて、恋しくて、切なくなるような相手が目の前にいるのに、腕を大きく広げて抱きつかないなんて、あり得ない!

 だから、もう亜希は、あれこれ頭で考えるのはやめて、日岡が亜希に向けてくる想いを受け入れることにした。


「日岡さんが言うにはさ」


 亜希は、僅かに躊躇いを感じながら、早苗や志保、市川の顔を順に見渡しながら言う。


「私と蒼潤って、結構、違うらしいよ」


 それは、日岡が亜希自身を見ているよというアピールの言葉なのかもしれないけれど、そんなことを言われたら、亜希は再び困惑してしまう。

 亜希が蒼潤と違っているということは、日岡にどんな想いを抱かせるのだろうかと。

 そんな亜希の不安を察したように早苗が眉を潜めた。


「違うって、どこが?」

「蒼潤はもっと天真爛漫だった、って」


 あー、とあちらこちらから納得の声が上がる。


「それで、亜希は?」

「私は、どことなく暗いって……」

「えっ、亜希が暗い!?」

「あ、いや。暗いって言うか、かげがあると言うか。とにかく日岡さんが私を見つけた時、ちょっと驚いたんだって」


 亜希はぜんぜん暗くないよ! と早苗は自分が言われた悪口のように眉を吊り上げると、志保が冷静な口調で言った。


「蒼潤に比べたらってことじゃない? 蒼潤って、みんなから好かれて、大勢の人たちから守られて育ったじゃん。だけど、亜希は拓巳くんに対する劣等感をいっぱい抱えながら育ったもんね」


 痛いところを突かれたような心地になって亜希は苦々しい表情を浮かべながら、まあね、と志保に応える。

 すると、志保が肩を竦めて更に言った。


「そのおかげで、って言うのはおかしいけれど、でも、そうやって悩みながら育ったから亜希は蒼潤よりずっと深く、いろんなことを考えていると思うよ」

「うん。じつは、日岡さんにも似たようなことを言われた」


 亜希が不安げな表情を浮かべたので、日岡が言ってくれたのだ。

 蒼潤とは違って亜希は警戒心が強く、簡単には心を開いてくれないから、亜希を言いくるめるのは難しそうだ、と。

 だから、その場限りの言葉を並べたりせず、誠実に、そして、全力で君を口説くよ、と彼は微笑みを浮かべた。


「だけどさ、日岡さんだって峨鍈とは違うんだよ。雰囲気が日岡さんの方が柔らかい感じで」

「いいじゃん。ぶっちゃけ、殿の雰囲気で現代社会に現れたら怖い」


 市川の言葉に、ああー、と亜希を含めて再び納得の声が上がる。

 すると、その時、ずっと亜希たちの話に耳を傾けながらも仕事をしていた律子が、ふふっ、笑い声を漏らした。


「亜希ちゃんが幸せそうで嬉しい。それから、隆哉たかやさんのことを受け入れてくれてありがとう」

「律子さんってば、それ、昨日から何回目?」

「だって、とっても嬉しいんですもの」








【メモ】

5月8日 日曜日 騎手になりたいなら。拓巳と話す。

5月9日 月曜日 早苗が即位式の夢を見る。最後まで読み終える。

5月10日 火曜日 司書室にて

5月11日 水曜日

5月12日 木曜日

5月13日 金曜日 一番幸せだった頃

5月14日 土曜日 深夜2時の再会

5月15日 日曜日 最期の夢。競馬場にて

5月16日 月曜日 「好き」×4回


※次で最終話です。

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