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62.前世の延長のように

 

「げっ。仲草ちゅうそう様も現世にいるのか。会いたくないなぁ……」


 柢恵の顔を見れば小言ばかりで、逃げ回る柢恵を追い回していた孔芍の姿を思い出して、亜希は苦笑を浮かべる。


「たぶん、絶対、市川は水谷さんと出会うことになるよ」

「俺もそう思う」


 遠い目をしながら市川が亜希の言葉に同意する。

 それで、と亜希は城戸に話の続きを促した。


「――で、4年前だ。まさに、ここで亜希ちゃんを見つけた」

「4年も前に……。でも、声を描けてきたのは城戸さんだけだった」


「そりゃあ、接触禁止にしたんだよ。今にも亜希ちゃんのことを連れ去りそうな勢いだったからな。亜希ちゃんが大人になるまで近付くなと言ったんだけど、あいつは待てるわけがなく、なら、せめて前世で出会った年齢になるまで待てと必死に止めたんだ。とは言え、小学生はヤバいかと思って、中学生になるまで待てと」


「中学生でもヤバいです」

「そうだな」


 城戸の目が、遠いものを見ているかのような目つきになった。

 その宇宙の彼方でも見つめているかのような顔を見て、今まで彼が自分のことを全力で護ってくれていたのだと亜希は理解する。

 それはもちろん、あの人の手からというのもあるだろうけれど、それだけではなく、他の危険からもだ。


 もしかしたら、元々、城戸は競馬には興味がなかったのかもしれない。それなのに、毎週、競馬場に足を運んでいるのは、亜希がひとりで競馬場をうろついていたからなのだろう。

 前世の延長のように護って貰えていたことに、亜希は顔を綻ばせる。

 だが、はたと気付いて城戸を見上げた。


「ところで、なんで、あの時、爸爸はいなかったんだろう?」

「ん? あの時?」

「葵陽であれこれあった時だよ」

「あれこれ?」


 まったく思い至らない様子の城戸に亜希が焦れると、亜希の言葉の少なさを補うように志保が口を開いた。


「蒼潤が葵陽に移った年に、蒼彰に唆されて杜圻と組み、謀叛を起こそうとした時のことです」


 あの時の夢の中で、一度も夏銚の姿を見かけた覚えがない。

 やしきを抜け出した蒼潤が帝都の外を馬で駆けさせている姿はよく見たが、夏銚や夏範と共に調練をしている姿は一度も見なかった。

 もしも、あの時、夏銚が蒼潤の胸のもやもやを聞いてくれていたら、もっと違った展開があったのではないだろうか。

 そう思いながら城戸を見上げていると、城戸は志保の言葉を聞いて思い至った様子で頷いた。


「ああ、あの時か。あの頃、夏銚は併州だな。赴郡太守だったはずだ」


 ――赴郡。


 聞き覚えのある地名だ。蒼潤が柢恵と力を合わせて攻め落とした城が、赴郡城だ。

 なるほど。そこにいたのかと、夏銚が葵陽にいなかったことが分かる。


(いなかったんじゃあ、しょうがないかぁ)


 もっともっと城戸には聞かなきゃいけないことがあったような気がしたが、市川と志保が前世での出来事を懐かしむように、あの時はああだったといった話を始めてしまったので、亜希は口を閉ざした。

 隣を見やれば、早苗がきゅっと唇を結んで静かに座っている。ここに来て人見知りを発動させているのか、すっかり存在を消して、聞き役になってた。


 そう言えば、芳華は夏銚とは接点がなかったのかもしれない。

 甄燕は蒼潤とずっと一緒に行動しているから、当然、夏銚が行う調練にも一緒に参加していたはずだ。

 亜希は早苗の肩を指先で突いて耳元に唇を寄せる。


「大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。すごく楽しい。だって、小説の裏話を聞いている気分だもん」


 そっか、と言って亜希は微笑む。

 それから夕方まで競馬場で過ごして、城戸と市川とは競馬場の東門で別れ、志保と早苗はいったん亜希の家に寄ってから、それぞれ帰っていった。



 ▽▲



「おい、いるか?」


 ぞんざいな声掛けと、返事を待たずに室の中に入って来る足音が響く。

 待て、と峨鍈は言って腰を浮かしたが、制止は間に合わず、帘幕カーテンの陰から蒼潤が姿を現した。

 はっと息を呑む音がそこかしこから聞こえる。峨鍈自身も思わず目を奪われたが、すぐさま我に返って立ち上がると、大股で蒼潤に歩み寄り、その腕を引いて屏風の後ろに押し込んだ。


 蒼潤の方もまさか峨鍈以外の者たちが峨鍈の書室しょさいにいるとは思ってもみなかったのだろう。

 いくつもの視線をいっせいに浴びて、ぴしりっと体を硬直させて立ち尽くし、峨鍈に屏風の裏に押し込められても文句ひとつ言わなかった。


「悪いが、今日はここまでにしてくれ。続きは明日にしよう」


 屏風を背にして立ちながら峨鍈が言うと、書室に集まっていた配下の者たちが、はっと声を揃えて応え、ぞろぞろと退室していく。

 峨鍈が胸を撫でおろしたのも束の間、背中の方から、陽慧ようけい、陽慧、と細い声が聞こえて振り向けば、蒼潤が屏風の陰から顔を覗かせて柢恵を手招いていた。


「まだ顔を出すな」

「陽慧、久しぶりだな! 先日届けさせた薬はどうだ? 効きそうか?」


 まるで峨鍈の声など聞こえていないかのように蒼潤は柢恵を呼び止める。思わず足を止めた柢恵が蒼潤を振り返り、見てはならないものを見てしまったというように顔を引き攣らせた。

 事実、柢恵は見てはならないものを見てしまったのだ。

 まるで命乞いをするかのような表情を浮かべた柢恵に視線を向けられて、峨鍈はやれやれと首を横に振る。

 他の者たちが書室を去ったのを確認して峨鍈は蒼潤に声を掛けた。


「出て来ていいぞ」


 蒼潤が、しゃらしゃらと簪に連なった珠飾りを鳴らして屏風の陰から姿を現す。

 紺藍色のスカートに天色の深衣を纏ったその艶やかな装いは、後宮の妃たちよりもずっと美しく、一瞬で室の中が華やいだように感じられた。


 蒼潤は白粉をはたいた顔に眉を描き、唇には紅を、目尻にも朱を差して頬紅をつけている。

 元より好みの顔立ちをしていたが、抱いてからはいっそ色気が増して、誰の目にも触れさせたくない想いが強まった。

 男の為りをしている時なら、まだ我慢できるが、このような姿の時の蒼潤を、たとえ柢恵であっても見せたくないというのが本音だ。


 しかし、蒼潤はそんな峨鍈の想いなど少しも構いはしなかった。

 柢恵に歩み寄ると、その正面に立って小首を傾げる。


「顔が赤いぞ。まだ熱があるのか? 陽慧はすぐに熱を出すから心配だ」


 峨鍈が視線を向けると、柢恵は慌てたように後ろに退き、蒼潤から距離を取った。


「天連に貰った薬のおかげで熱はすぐに引いた。もう大丈夫だ。それより俺はまだ死にたくない!」

「当たり前だ。陽慧に死なれたら困る!」

「なら、俺から離れてくれ。頼む、天連」

「………はぁ?」


 そこでようやく蒼潤は自分たちに向けられた鋭い視線に気付いて、迷惑そうに峨鍈に振り向いた。


「お前のせいで、陽慧と話もできない」

「その格好はどうした?」


 ふて腐れたように言った蒼潤の言葉にわざと被せて問えば、蒼潤は未婚の少女のように結って後ろに流した髪を片手で払って、にっと笑ってみせる。

 その勝気な笑みに峨鍈はそわそわと落ち着かない心地になった。


(なんだ? 何か強請ねだりたいものでもあるのか?)


 だが、蒼潤はすぐには欲しいものを告げず、自分の身に起きた出来事から話し始めた。


「最近、りんほうが化粧の練習を始めたんだ。俺は今朝、きょうの弓を見ていたんだけど、琳がやって来て、練習台になってくれって言ったんだ。嫌だって言ったら、朋までやって来て、しつこいから一回だけだって顔を貸してやったんだ」

「なるほど」


 琳も朋も峨鍈の娘たちで、梨蓉が産んだ娘が琳で、嫈霞おうかが産んだ娘が朋だ。そして、驕というのは、梨蓉が産んだ峨鍈の息子である。


「そしたら、そこに明雲めいうんがやって来て……。琳と朋は明雲から化粧を習っていたから、明雲が来るのは、まあ、おかしくはなかったんだけど、琳と朋がやらかした俺の顔を直し始めて、――んで、なぜか、そこに嫈霞が深衣を大量に抱えてやって来たんだ」


 おそらく、その辺りから蒼潤の周囲は大騒ぎになっていたのだろうと想像がついた。


「俺は嫌だって言ったんだけど、雪怜せつれいが新しい髪型を研究したいとか言い出して、簪を挿してきたから、もうおしまいだって叫んだら、梨蓉がやって来たんだ」


 あら、皆さんで楽しそうですわね、と微笑みながら登場する梨蓉の姿が峨鍈の脳裏に浮かぶ。

 視界の端で柢恵が、災難に見舞われた親友に憐れむ眼差しを送っているのが見えた。 

 そうして、為す術もなく女たちの着せ替え人形と化した蒼潤は、よれよれになりながらも、どうにか女たちから逃げて来たという話なのだろう。そう予測して頷くと、蒼潤は、ぴっと人差し指を立てた。


「耐え抜いたご褒美に、梨蓉がひとつ情報をくれたんだ」

「情報?」

「お前、俺に隠し事があるだろう」


 まさかと思って、峨鍈は蒼潤の勝ち誇ったような顔を見た。


「梨蓉は何も知らないはずだが、何を聞いた?」

「梨蓉は、ただ、お前が俺に後ろめたいことがあるようだ、と教えてくれただけだ。だから、俺は自分で調べたんだ。ここ最近この邸で起きたことを」

「ほう?」

「何日か前に勅使ちょくしが来ただろう。俺に向けた勅使だったのに、お前は俺に会わさずに追い返そうとしたから、しばらく揉めたらしいな」

「しつこい宦官だったな」

「お前は代理で勅旨ちょくしを受け取ったが、なんだかんだ理由をつけて勅命を拒んでいる」


 蒼潤は立てた人差し指を峨鍈に向けると、腕をすっと伸ばして、その指先で峨鍈の胸元を突いた。


蒼絃そうげんは俺に参朝さんちょうするようにと言ってきているんだろ?」

「必要ない」


 峨鍈は自分の胸元に触れた蒼潤の手を握って首を横に振る。












【メモ】

 蒼潤と柢恵は「歳が近い」と言われているが、柢恵の方がひとつ歳上。

 葵暦196 年、葵陽に移った時に、蒼潤が19歳で、柢恵が20歳。

 ただし、上記は数えなので、実年齢だと、秋生まれの蒼潤は、ほぼ17歳。

 早生まれの柢恵は、ほぼ19歳で、現在風に言えば、2学年上。

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