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54.玉座を得て、その先は?


 ピカッと室の外で空が光り、天を割るような轟音が鳴り響いた。

 武装した男たちが次々と土足で蒼潤の私室に雪崩れ込んできて峨鍈の後ろに控える。

 峨鍈はつかつかと牀榻ベッドに歩み寄ると、未だ蒼潤の体の上にある苓姚の髪を、ガッと鷲掴みにした。


「きゃああああああああああーっ‼」


 悲鳴と共に苓姚の一糸纏わぬ白い体が牀榻から引きずり降ろされ、どさっと峨鍈の配下たちの前に投げ捨てられる。


「その女を捉えて連れて行け」

「はっ」

「いやっ、やめて! 郡王様、お助けくださいーっ! 郡王様ーっ‼」


 峨鍈に命じられ、その配下たちは激しく抵抗する苓姚を拘束し、引きずるようにして臥室を出て行った。苓姚の声がずっと響いていたが、やがて遠ざかり、雨音の中に消えた。

 臥室に蒼潤と峨鍈のみが残される。蒼潤は腰の横に両手をついて、上体を起こした。


伯旋はくせん……」


 おずおずと視線を上げると、峨鍈が片手に握り締めている剣身がキラリと輝いたのが見えた。


(切られる!)


 反射的に体を竦めて、ぎゅっと瞼を閉じると、カランという音が臥室の中に響き渡った。


「……っ‼」


 強い力で抱き締められて蒼潤は息を詰めた。

 腰に回された太い腕に、蒼潤の頭を支える大きな手。蒼潤は目を大きく見開いて、峨鍈が手放して床に転がった彼の刀を信じられない思いで見つめる。


「――無事か?」


 僅かに掠れた声を出して峨鍈が問いかけてきた。

 裏切って、蹴落として、討ってやろうとさえ思っていた相手に、そんな風に身を案じられて、蒼潤は感情がぐちゃぐちゃになる。

 それから、裏切られて憎いとさえ思った相手であるのに、強く抱き締められて、ホッとしている自分に気付いて愕然となった。

 体を強張らせて何も答えない蒼潤に、やがて峨鍈は体を離して、その腕を引く。


「帰るぞ」


 蒼潤は無言で頭を左右に振った。

 苛立ったように峨鍈が再び腕を強く引いて蒼潤を牀榻から立たせようとしたので、蒼潤は、ガクッと床に膝から崩れ落ちた。


「おい、立て」

「……立てない」


 やっとの思いでそう言うと、峨鍈はようやく臥室に蔓延した甘い香りに気が付いたようだった。

 床に置かれた燭台を見下ろすと、忌々しげに舌打ちをして、その炎を踏み消す。

 おそらく蜜蝋に何か混ぜられていたのだろう。妙に甘い香りがゆっくりと蒼潤の体を弛緩させ、やがて熱に浮かされたように女体を求めるはずだった。

 峨鍈は屈み込むと、蒼潤の膝の裏に腕を差し入れ、その背を支えながら蒼潤の体を抱き上げた。


 室を出ると、外は激しく雨が降っている。

 雷は遠ざかっていたが、回廊に吹き込んでくる雨粒が蒼潤の髪を青く染めていく。

 蒼潤を抱えた峨鍈が門を出ると、配下が駆け寄ってきて峨鍈に告げた。


杜圻とぎん季招きしょう楼松ろうしょう岳協がくきょう彭何ほうか唐瓚とうさん廉厳れんげん、すべて捕らえました」


 分かった、と短く答えて峨鍈は蒼潤を抱えたまま馬に乗ると、蒼潤の髪を見て、自分の袍を脱いで蒼潤の頭に被せた。

 彼は蒼潤の青い髪が他の者の目に晒されることを嫌う。峨鍈は袍で蒼潤の体を包み込むと、馬を自分の邸に向かって走らせた。


 ずぶ濡れとなった二人が峨鍈邸に着くと、峨鍈は蒼潤の体を馬から下ろして再び抱き抱え、そのまま門の中に入る。

 邸の奥へと進んでいく途中で、奥から出てきた侍女が湯殿よくしつの支度ができていると告げたので、峨鍈は真っ直ぐ西跨院に向かった。


 西跨院の門をくぐると、門の扉にかんぬきを差すように命じて人払いをする。門扉が閉められ、閂が差される音が、ガチャリと響き渡ると、蒼潤は峨鍈の腕の中で身を竦めた。

 湯殿に入ると、浴槽の湯気が濛々と立ち上がっている。

 濡れた衣をすべて脱ぎ捨てると、峨鍈は蒼潤を抱えて湯の中に、ざぶりと体を沈めた。


「触れられたところはどこだ? 洗ってやる」


 蒼潤は峨鍈の手を退けて浴槽の隅に移動した。


「できなかった」


 膝を立てて座り、立てた膝に額を押し付けて蒼潤は言った。

 峨鍈が、蒼潤の言葉の意味を捉え損ねて、何が? とすぐに聞き返してきたので、蒼潤は顔を伏せたまま、ぽつりぽつりと言葉をこぼすように言う。


「お前は以前、女の肌を見れば自然と気がたかぶって抱けると言ったが、俺は気持ちが冷え込んでいく一方だった。女の肌は、触りたいように触ればいいのだとも言っていたが、特段、触りたいと思わなかった」

「そうか」


 峨鍈が、ほっと息をついた気配がした。

 大きな手が蒼潤の頭を、くしゃりと撫でて、蒼潤の髷を結っている紐を解く。青い髪が蒼潤の肩を覆い、湯の表面で扇状に広がって揺らめいた。


「岺姚をどうするつもりだ?」

「あの女の話はするな」


 ぴしゃりと言われて、蒼潤はそれ以上尋ねることを諦める。ならば、と僅かに顔を上げて聞いた。


司徒はどうなった?」

「謀反の罪で捕らえた」

「謀反?」

「皇帝を廃して、深江郡王を帝位に着けようとしていた」

「なら、俺も裁かれるのだな」


 峨鍈が軍令を発して、一夜のうちに捕らえた者たちは皆、蒼潤が杜圻から受け取った血判状に名を連ねた者たちだった。

 天連、と峨鍈が呼び掛けながら蒼潤の髪を指でく。


「お前は巻き込まれただけだ」

「違う」


 蒼潤は峨鍈の手を退けて言った。


「お前には俺に玉座を捧げるつもりがないようだから、俺が自分の手で掴み取ってやろうとしたんだ」


 再び峨鍈の手が伸びてきて蒼潤の頬に触れる。その手を払い除ければ、もう一方の手が伸びてきて蒼潤の首筋に触れた。


「お前は、単に玉座に座ってみたいだけだ。帝位に着いて天下をどうしたいのか、玉座に座った後の考えは何もないだろう」

「そんなことはない!」


 ばしゃん、と湯を叩いて蒼潤は声を荒げる。何度退けてもしつこく触れてくる峨鍈の手を掴み、勝手ができないように握り締めた。


「俺が即位したら、青王朝を立て直す」

「どうやって?」

「不正を働いている官吏を罷免する」

「この国の官吏は皆、罷免されるな。朝廷のあらゆる機能が停止するぞ」

「一時だ。仕方がない」

「仕方がない? ――まあ、いい。それで、他に何をする?」


 問われて蒼潤は湯の中に沈めた手で峨鍈の両手を握り締めて、必死に言葉を探す。


「民の暮らしを豊かにする」

「どうやって?」

「税を軽くする」


 とても良い回答のように思えたが、峨鍈は大きくため息をついた。


「天連、よく聞け。何をするにも金が必要だ。官吏を働かせるためにも、橋や堤防を造るためにも、まず金だ。だが、金は降って湧くものではない。お前たち皇族は、金は無限に湧くものだと思っているのかもしれないが、そうではない。民から税を集めているから、朝廷に金があるのだ」

「そんなこと知っている。だから、その税を減らせば民の暮らしが楽になると言っているんだ」

「減らした分だけ朝廷の財は減る。朝廷でできることが減るが、それでいいのだな? 例えば、河が氾濫しても軍は出せぬかもしれないぞ」

「そうはならないように無駄遣いをやめればいいんだ。きっと無駄に予算をかけているところがあるはずだ」

「ほう? お前にそれが分かると?」

「帝位に着いたら調べるつもりだった」

「教えてやろう。無駄もあるし、不正もある。そして、それらを行っていたのは、杜圻どもだ。杜圻らの手を借りて玉座に着いたら、お前には何もできん」

「……っ!!」


 蒼潤の頬に朱が走って、それを隠すように蒼潤は、ざばっと湯から立ち上がった。


「もう出る」


 浴槽を出て、用意されていたはだぎを羽織ると、湯殿から出た。

 素足で回廊を進み、私室に向かう。後ろから足音が追ってきているのは気付いていた。だが、振り返ることなく私室に入り、臥室に向かうと、その入口で蒼潤は腕を掴まれた。


「天連」


 2人ともろくに体を拭かずに湯殿を出てきたため、褝は湿り、髪からは雫が垂らしている。

 青い髪から滴った雫が蒼潤の頬に落ちて伝い、顎の先からポタリと床に落ちた。それを眺め、峨鍈が雫が伝った跡をなぞるように指先で蒼潤の頬に触れてくる。


「やめろ」


 蒼潤は峨鍈の瞳を見上げて短く拒絶の言葉を放った。だが、峨鍈は構わず蒼潤の顎を掴んで、親指の腹で蒼潤の唇をなぞる。

 激昂して、蒼潤は峨鍈の手を叩き払った。


「お前とは離縁する!」

「何?」

「いいや、俺は郡王だ。お前との婚姻は無効だ! 金輪際、俺を女のように扱うなっ!」


 荒げて叫んだ言葉こそ、蒼潤がずっと胸に溜め込んできた想いだった。その想いを握り潰されそうに感じて、蒼潤は必死に叫んで抵抗した。

 結局のところ、玉座なんて二の次だった。

 それを望んだのは、皇族の男子として生を受けたはずなのに、郡主としてしか生きられない己の身の上を嘆いてのことだ。


 ――ただ、ただ、蒼潤は男として生きたかったのだ。


「天連」

「嫌だ! 触るなっ!」


 蒼潤は自身の体を両腕で抱え込みながら峨鍈から距離を取る。


「いっそ殺せばいい! 謀反の罪とやらで、杜圻たちと共に処刑すればいいんだ。お前の邸の奥に閉じ込めらえて一生を終えるなんて、俺は嫌だ! お前の妻なんて、もうやってられるかっ! 俺は男として生きたい! それができないのなら、死んだ方がマシだ!」


 殺せーっ! と叫ぶ蒼潤に峨鍈が静かに歩み寄ってくる。

 暴れる体を抑え付けるように、蒼潤は彼に抱き締められた。










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