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52.限りなく脈のある片思い

 

 拓巳たくみと最後に会ったのは、今年の正月だから4ヶ月前だ。あの時よりも拓巳の背が高くなっているように見えた。

 自分と血縁関係を感じさせる顔立ちをしているのに、拓巳は明らかに少年で、亜希は少年のように見える少女だ。


 拓巳の方が亜希よりも肩幅が広く、手足も大きい。

 頬から顎にかけてのライン。鼻の形。目の大きさ。それらひとつひとつは僅かな差だったとしても、その差は亜希に『お前はまがいものなのだ』と断罪してくるようだった。


 男ではないくせに男の振りをしている。

 いくら髪を短く切っても、スカートを避けてズボンを穿いていても、お前は所詮、女なのだ。――そう、拓巳という存在はいつだって亜希に事実を残酷に突き付けてくる。


 胸の痛みに耐えかねて亜希は拓巳から視線を逸らし、リビングを出ると、二階に逃げるように階段を上がった。

 自室のドアに手を伸ばして、亜希は舌打ちをする。亜希の部屋は、今日から一ヶ月の間、拓巳が使うのだ。

 亜希は美貴の部屋へと踵を返し、美貴のいかにも女の子っぽい内装の、どことなく甘い香りのする部屋の中へと入った。


 真ん中にレンタルした二段ベッドを置いて、部屋の空間を二つに分け、手前のスペースを美貴が、奥のスペースを亜希が使う。

 亜希は二段ベッドと壁の隙間を抜けて奥のスペースに行くと、早苗の言葉を思い出して、水谷に押し付けられた紙袋の中から『蒼天の果てで君を待つ』の4巻を引っ張り出した。

 本を手に二段ベッドの上の段に上ると、ごろんと横になって、本のページをペラペラと捲る。


(どこから読めばいいんだろう?)


 早苗には夢で見るシーンと同じか、それより先のシーンを読めと言われた。

 ページを捲っては少し読み、また捲り、亜希は文章を拾い読みしていく。


 葵陽に軍を進め、峨鍈は孔芍の進言を受け入れて皇帝蒼絃を擁立した。その後、蒼昏に帰都の許しが出て、蒼昏の代わりに蒼彰と蒼麗が葵陽に移り住んだ。


(この辺りか――)


 亜希は読み始める場所を決めると、布団に腹ばいになり、頬杖をついて本の文章を目で追いかけた。

 読み始めたシーンは、峨鍈の執務室に孔芍こうじゃくがやって来たところからだ。

 入口の衝立を避けるように室に入ってきた孔芍は、能面のような表情の読めない顔をしていたが、峨鍈には孔芍が言いたいことが分かっていた。

 なので、孔芍が口を開く前に、先手を打って峨鍈は言う。


「死なせるつもりはない」


 孔芍は綺麗に整った眉を歪めた。彼は文机を挟んで峨鍈の正面に座ると、すっと背筋を伸ばして言う。


「皇帝陛下を手の内に収めた今、不要な存在かと思いますが」

「あれを眺めていると、たのしいのだ。俺の気に入りの玩具だと思って捨てずにおいて欲しい」

「玩具ですか……。その程度であれば、捨てるべきかと思います。禍根を残すことになりますので」


 峨鍈は孔芍の美しくも冷ややかな顔をじっと見つめて押し黙った。孔芍も、その胸の内を探るように峨鍈を見つめ返す。


 ――禍根を残すべきではない。


 孔芍のその考えは十分に理解できるが、峨鍈にはどうしても蒼潤を切り捨てることができなかった。

 もっと早い時期であったならと思わなくはないが、もはやそれも今さらである。

 切り捨てるには情が移りすぎていて、尚且つ、抑えきれない想いまで寄せてしまっていた。

 不意に孔芍の口から大きなため息がひとつ漏らされる。


「分かりました。生かしておくという前提で策を考えます。ですが、一つ条件があります」

「何? 条件だと?」


 峨鍈が表情を険しくして聞き返すと、孔芍は、こほんと咳払いをしてから言った。


「あの方を、殿に惚れさせてください。けして裏切る気など起きないくらいに惚れさせるのです。わたしの見たところ、殿の片想いですよね?」

「な…っ!?」

「あの方の情緒が育ちきっていらっしゃらないのが原因だと思うのですが、殿の想いがまったく伝わっていないようにお見受け致します」


 容赦ない孔芍の言葉に、峨鍈は文机に肘をつくと、両手で頭を抱え込んだ。

 薄々と自分でもそんな気がしていたのだ。それを人から指摘されると、ずんっと気持ちが沈み込む。


 ――まったく伝わっていない。


 情緒が育ちきっていないと孔芍は言ったが、おそらく蒼潤は恋情を未だ知らない。要するに子供なのだ。

 己が恋情の対象になり得ることにも気付いておらず、そのため、峨鍈をそのような目で見たことがないのだろう。

 ますます頭を抱えた峨鍈に構わず、孔芍はさらに言葉を続ける。


「おそらく、あの方が龍である限り、あの方を担ぎ上げようとする者は絶えず現れることでしょう。どんな甘い言葉で囁かれようと、あの方が揺るがないくらいに殿があの方をしっかりと繋ぎ止めてくださるのなら、何も案ずることはないのです。――なので、どうぞ、あの方を惚れさせてください」


 できますか? と孔芍は言って、静かな眼差しで峨鍈を見つめた。

 峨鍈はそろりと顔を上げて、その眼差しを正面から受け止める。


「できると思うか? 相手は、あれだぞ」

「では、死なせますか」

「死なせはしない」


 苦笑交じりのため息を漏らして、孔芍は肩を竦めた。


「殿、どうぞ頑張ってください。わたしの見たところ、脈はあると思います」

「本当か? 本当にそう思うか?」

「はい。限りなく脈のある片想いですよ」


 そう淡く孔芍が微笑んだところで、パタンと小さく音を響かせて、亜希はいったん本を閉じた。

 峨鍈と孔芍のこの会話がなされた後、峨鍈邸に新しい側室がやって来る。新しい側室とは、岺姚のことだ。

 すると、岺姚との初夜が行われるはずであった夜から連日して峨鍈が蒼潤の部屋を訪れたのは、孔芍に言われて、蒼潤を惚れさせようと思っての行動だったことになる。


(え? 本気マジで? そんな気配まったく感じられなかったけど?)


 少なくとも蒼潤は、峨鍈が自分を惚れさせようとしているだなんて、まったく気付いていない。なんなら、監視されていると思っているくらいだ。


 監視と言えば、確かに蒼潤は監視されていて、蒼潤が思っている以上に言動が峨鍈に筒抜けになっていた。

 当然、杜圻との密会もバレている。血判状の存在も知られており、既に峨鍈によって偽物にすり替えられていた。


 亜希は、ほうっと息をつくと、いつの間にか力が入っていた肩を上下に動かしてほぐし、再び本を手に取ってページを開いた。


 蒼潤は苓姚を通して蒼彰や杜圻と連絡を取り合い、数日後に控えた蒼潤の皇帝謁見の段取りを進めていく。彼らの計画は次のようなものだ。


 峨鍈は蒼潤をともなって皇城に上がると、おそらく蒼潤を朝集殿に待たせて、朝堂に向かうだろう。

 朝堂には既に朝廷の官吏たちが立ち並んでいて、司徒である杜圻も玉座に近い位置に立っている。

 蒼絃そうげんが玉座に座ると、朝議が始まるが、その間、峨鍈は動かない。彼は朝議を終えてから私的な謁見を願い出るはずだ。

 そして、その際に蒼潤を自分の後ろに控えさせて、それで皇帝と謁見させたとするつもりだろう。


 だが、蒼潤には大人しく朝議が終わるのを待っているつもりはない。その前に杜圻によって朝殿に呼び入れて貰う。

 そして、大勢の官吏たちの前で堂々と皇帝と謁見する計画なのだ。


 さて、運命の日。

 蒼潤は、峨鍈ではなく、杜圻の思惑通りに皇帝蒼絃との謁見を果たした。


 朝集殿で、黒地に蒼い龍の刺繍が華やかに施された絹の長袍に着替え、結い上げた髷に冠を被せた蒼潤が、杜圻の合図で朝殿に足を踏み入れると、立ち並んだ官吏たちは皆、突如として現れた貴公子に目も心も奪われた。


 蒼絃も玉座から僅かに腰を浮かせて蒼潤に魅入る。

 そして、峨鍈さえ、頭の中を真っ白にさせて、朝堂の入口から玉座に下まで真っ直ぐと歩き進む蒼潤の姿を目で追っていた。


 彼は呼吸を忘れ、時に置いていかれたような心地で、蒼潤を見つめ、自分の龍が美しく着飾っていることに胸を焦がす。

 駆け寄って、あの腕を、あの肩を掴んで、自分の両腕の中に閉じ込めたいという衝動を、ぐっと堪えて、峨鍈は蒼潤が玉座の前で流れるような動作で膝を折る様子を見守った。


「互斡郡王が子、蒼潤でございます。皇帝陛下にご挨拶申し上げます」


 拱手した蒼潤に蒼絃は玉座から身を乗り出して、自ら蒼潤に問いかける。


「互斡郡王――斡太上皇の子と言えば、郡主が3人だったと思うが、貴方の母君は側妃だろうか」

「いいえ、陛下。わたしの母は桔佳きっか郡主でございます」


 蒼潤は蒼絃の許しを得て顔を上げると、すっと立ち上がって玉座に座る蒼絃を見上げて微笑みをつくった。


「わたしは誕生の際に深江郡主の称号を得ています」

「なんと、郡主であったか!」


 驚く蒼絃同様に、朝堂にもざわめきが起こる。

 色が白く、丸みを帯びた顔立ちをしている蒼潤は、その体の線の細さも相まって、袍を纏っていても少女のようにも見え、郡主だと言われれば、郡主が男装しているようにも見えるのだ。

 だが、蒼潤は緩やかに頭を振る。


「訳あって郡主として育てられましたが、男の身でございます。陛下、本日参内いたしましたのは、お願い申し上げたいことがあった故にございます」


 再び蒼潤はその場で膝を折って頭を深く下げた。

 その時、蒼絃の耳元で、彼の傍に控えていた宦官が何かを囁いた。その長い囁きを聞いているうちに、蒼絃の瞳が大きく見開いていく。


 宦官は杜圻とぎんの手の者で、なぜ蒼潤が郡主として生きなければならなかったのか、その理由を蒼絃に告げた。

 すなわち、恙太后に生まれ落ちた瞬間からずっと命を狙われていたことである。


 恙太后は蒼絃にとって祖母にあたる人物だ。

 蒼絃の生母も恙家出身の后であるため、蒼絃の即位後には『恙太后』と呼ばれているが、蒼絃はすぐに亡き祖母のことだと理解し、蒼潤を同情心を込めた眼差しで見つめた。

 そして、蒼絃は蒼潤に向けて告げる。









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